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§ ガールスカウト一口メモ §

History (歴史)


B-P(ベーデン・
パウエル)

 
 今から丁度100年前の1907年イギリス人、ロバート・ベーデン・パウエル卿(B-P)によってボーイスカウト運動が始められた。翌年B-Pは「スカウティング・フォア・ボーイズ」を創刊。その本は爆発的な人気を集め、それと共に運動も広まっていった。

 1909年ロンドンのクリスタルパレス(水晶宮殿)で最初のラリーを行ったとき、B-Pはその中に少女の小さなグループがあることを見つけました。当時はイギリスでも、まだ女性は長いスカートを穿き、決して走ることもしなかった時代でしたから、この行動は様々な論議を呼び、評論家による多くの酷評も受けたのでした。しかしB-Pは少女達の強い要望に応えガールガイドを発足し、1910年妹のアグネスにその構成を頼みました。その後1918年、妻となっていたオレブがチーフガイドとなったのでした。

 このような発展の経緯を見てもガールスカウト運動が「女性の自立」を目指していることが分かります。しかし、そこで何故ボーイスカウトと同じ組織にされなかったのか、そこが一番大切なことです。男女同権とは言っても、人間の役割という面では大きく違います。中でも子どもを産み育てることは女性の大切な役割です。育児に関しては、最近は男性もその役割を担う時代ではありますが、母乳を与え細やかな愛情で愛しみ育てることにおいては、男性に勝ることでしょう。B-Pも、「子どもを育てるのは、将来の男性像にも影響を与えることを考えると、女性の教育の方が大切にも考えられる」という意味の言葉を述べています。

 もちろん女性の役割は子育てだけではありません。とくに最近の少子化、高齢化社会においては女性の社会参加が重要です。しかし、社会においてはまだまだ男女同等とはいえない面が多く残っています。社会通念を打破し女性の社会進出を容易にするためにも、女性自身の人間的自立が大切な時代になっています。

 外国人から見ると日本の女性は自分の意見を持たないようだと言われます。奥ゆかしいことが美徳と言われた時代の名残りかもしれません。でも、やたら自己主張だけが強くなっても人間として尊敬されるものではありません。「自分で考え」「はっきり発言する」ためには、何が正しいのか、どうすれば公平なのか、それは人のために役立つかを常に勉強し、自分を磨くことが大切です。

 また、心の荒廃が叫ばれて久しい昨今ですが、社会教育面で改善されているようには思えません。やはり子どもの教育の原点は家庭にあることを基本に、ガールスカウトのような確固とした目的を持った団体を見直し、心身ともにバランスの良い発育を促すことが大切と思います。

 「人間として、女性として如何に生きるか」、という観点から見るとき、ガールスカウト運動というものが、100年前から綿々と伝えられてきた意味が分かってきます。


 B-P御一家


B-Pのお墓
(ケニア)

 

            World Thinking Day (シンキングデー)


    B-Pご夫妻

  2月22日はB-P.ご夫妻のお誕生日、ご夫妻の運命的な出逢いもお互いのお誕生日が同じだったことが、より一層その結びつきを強めたのでしょう。

 1926年第四回世界会議において世界中のガイド、スカウト姉妹がお互いを思い合う「特別な日」が必要であると話し合われ、お二人のお誕生日である2月22日を選び、「思い合う日」=Thinking Day と決められました。日本では「国際友愛日」とも呼ばれています。
 そして、1932年第七回世界会議には、ベルギー代表による「シンキングデーがより自発的な貢献ができるように」との意見から、シンキングデー・ファンドが設立され、ガイド・スカウトが友好と感謝の気持ちを込めて献金をさせていただくことが決められたのです。
  その後、1999年にはより国際的な面を強調するために World Thinking Day と名前が変わりました。
 ワールド・シンキングデー・ファンドは世界中のガールガイド・ガールスカウトの活動の発展を助けるためになくてはならない基金となっています。

 今、世界の中では平和を保たれていない国がたくさんあります。戦争国で一番悲惨な目に遭っているのは、自分では決して戦争を望んでいない「女性と子ども」です。特に女の子には、人身売買という忌まわしい魔の手が襲いかかっています。人間が物のように売り買いされ、悪い病気に感染しても治療もされず亡くなっていくのです。世界連盟でも「若い女性の健康について、もっと考えましょう。エイズとHIVの撲滅に取り組みましょう」と宣言をされています。
 このような世界の中、日本の私たちは「平和な国で良かった」と言っているだけで良いのでしょうか?「世界平和」と一口に言えても、実際には難しい問題がいっぱいです。でも、だからと言って何もしないのはガールスカウトとしての意味がありません。世界最大の社会教育団体としての思いを新たに「世界中の子どもたちのために、私たちに何ができるか」を考えて見ましょう

  

日本のガールスカウト運動



1962年
チーフガイド来日



オレブ レディ  B-P



1973年


1919年(大8) 日本にガールガイド運動を伝えたのは、東京の香蘭女学校に教師として赴任していた、イギリスの宣教師、ミュリエル・グリーンストリートMuriel Greenstreetでした。

 

1920年(大9)イギリス連盟の一支部として、香蘭女学校に日本女子補導団東京第1組を設立し、イギリスのガールガイドと同じ「やくそく」と「おきて」を唱え、同連盟のハンドブックと、会員ピンを使用していました。

1923年(大12) 日本のガイド運動は独立しました。最初は女学校にガイド部門がおかれましたが、その後小学校にも広がり、少女団(ブラウニー団)も設立されました。日本女子補導団は日本国内だけでなく、当時日本の統治下にあった中国の東北部にも拡がり、大連、長春にも団ができました。

1928年(昭3) ガールガイド・ガールスカウト世界連盟の創設が決まったとき、日本は26ヶ国の創立会員の一国となりました。そして日本女子補導団は1928年から1939年まで世界連盟に加盟していました。

1942年(昭17) 日本女子補導団は第二次世界大戦のため一時解散しました。

1945年(昭20) 戦後、ボーイスカウト関係者が、荒廃する世の中に国際的なスカウト運動が必要であると判断し、アメリカ連合軍司令部(GHQ)と接触してボーイスカウトの再開をはかりました。GHQからガールスカウト運動の再開もすすめられ、
1947年5月22日 GHQ民間情報局(CIE)少年教育顧問ミスター・ダーギン(Mr. Russel L. Durgin)の援助によってガールスカウト中央準備委員会が発足し、再建がすすめられたのでした。

 その後、5月22日を記念して
「ガールスカウトの日」となり、その日をはさんだ一週間は「ガールスカウト週間」となったのでした。

1948年(昭23) 世界連盟からの資金援助の手がさしのべられ、アメリカ連盟からミス・マルグリート テュウイ(Miss. Marguerite Twohy)が世界連盟のトレイナーとして来日しました。日本の青少年関係の有志を対象として開かれた文部省主催の講習会に講師として出席し、その後全国を廻って、広く社会の理解と協力が大切なことを力説し、この方面の開拓にも力を入れ、滞日6ヶ月間に、組織の基礎づくり、広報の面などにも大きな足跡を残されました。

1949年(昭24)4月4日 ミス・テュウイの滞日中に、ガールスカウト第1回全国総会が東京の丸ノ内で開催され、長距離列車に乗るにも許可がいる時代に全国18県から125名が集まり、この時すでに2,663名の会員が登録されていました。

 このように戦後の運動はアメリカGHQの下で再興したため、名称はガールスカウトとなり、プログラム内容も当初アメリカの影響が大きかったのです。その後日本の会員の手によって日本の少女に適したものに次第に変わっていきました。

1952年(昭和27)3月 社団法人ガールスカウト日本連盟の認可を受けました。
同年8月 ノルウェーで開催された第14回世界会議で日本は準加盟を承認されました。
1960年5月 ギリシャでの第17回世界会議には、満場一致でついに正加盟が可決され、正式に世界の仲間入りを果たしました。

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