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 現代社会でもいろいろと問題になっている子供達をみてみると親が子供に対する接し方と云うものがまるで、なってない・・と云うケースが多い。私は別の稿で書いていますが、親自身が自分の精神の中に「先生」を持っていない人は只、子供を可愛がって育てれば・・とか叱るのは間違っている・・とか、放任主義で犬や猫のように只、可愛がっていれば自分も楽しいし、それが子供の為になる・・と勘違いしている人が多い。    
犬や猫でも小さいときに躾け教育が必要で、それの出来ていないペットは大きくなってからでは手のつけようの無い横着なものになってしまう。これは動物も人間も同じ事で日常の生活の中で、自分の我が儘が、どれくらい通るのか? と試行錯誤しながら自分を形成し自分の世界を作っていくからです。         

日常の生活の中で親が何も云わないでいれば、ここまでは良いんだな!! と意識して思わないでも、自然とそれが、その人間に許された許容範囲・・として個性を歪め広げてゆく。子供を只、可愛いと、何でも買い与えたり教育とはほど遠い接し方で幼年期・少年期と過ごしてくると、もはや何ともならん子供を世に送り出す・・と云うことになりかねない。尤も例外が有って子供自身の精神の中に先天的に「先生」のいるような優れた子供は親がどうであろうと自分自身の自覚力で自己を形成してゆくので、心配が無いが、それを頼みにしては立派な子供は育たない。                                            

一般に叱ったことも無く、ひたすら子供を可愛がっている親というのは、きつい言い方かもしれないが、子供の為に可愛がっているのでは無く、そうすることが、自分にとって楽しいからである。何でも云うことを聞いてやり、何でも買い与え、叱ることも無ければ、その時期、子供にとっても住み良い心地よい時期である。
親もまた、いらぬ気遣いもなく子供に好かれる。しかし子供は可愛がるだけでは駄目である。        
何度も云いますが可愛がる・・と云うのは親自身がペットのように子供が可愛いからで、つまり自分が楽しいから、自分の楽しみの為に子供を可愛がっているのだと・・と云いたい。                  
 本当に子供が可愛いかったら、愛さなければならない。                        愛することと可愛がることとは違うのだ。本当に愛することとは、反面、親自身に痛みの伴うことでもあるのだ。  子供を本当に愛している場合は、将来の子供の事を考えて社会人として立派な精神の持ち主に育てなくてはならない・・との客観性から、自分の心を鬼にしてでも叱るべきところは叱る。決して知らぬ顔をして過ごさない。これが親心である。心からなる愛の鞭は、子供の心底にある「先生」が納得し、却って親を尊敬するようになる。もし自分に娘が居たら、将来の結婚も視野に入れて、婿さんの親達とも平和にやってゆけるようにとの心配りが必要である。そんな気立てのよい娘に育てねば・・となるのが当然である。それが自分の精神に「先生」のないような親は自分の貧しい性格のままに、ただ可愛がって我が儘に育てるので橋にも棒にも掛からないような我が儘、横着な娘になって嫁入りしてからも夫や子供達、周りの人達との調和がとれなくて家庭不和の元となり、ひいては自分自身の不幸に繋がっているような家庭も多くある。
           
 さうした結果は最後には自分に返ってくるのである。