今の社会では、毎日のように子供が色々と問題を引き起こして、新聞やテレビを賑わしているが
現在のような国の教育制度では、これからも益々、追いつめられて行き場の無くなった子供達が、その犠牲となって、その哀しい結末を様々な形で私達に投げかけてくるだろう。

 私は、昔から子供の教育は家庭ですべきものであると思っていました。ものの善悪を基盤にした、人間性の教育は家庭生活の中でやるべきであって、決して学校に任せて安心していて良いものではない。
 戦争前の教育では「修身」の時間というものがあって、人間教育を主体とした国の人材教育が徹底していたが、今の教育は優秀な産業戦士を生み出すための英才教育が主体で、色々と個性や特技のある子供達も味気なく点数ばかりを目標にした今の教育にはついて行けず、落ちこぼれてしまうのだ。

 この写真は妻と、私の二人の子供達の高校生頃の写真である。
 小牧の旧宅に設けた茶室での1コマである。家庭での教育の一環として
家族全員で「茶道」をやらせていた。勿論、私も率先してやっていたのは云うまでもない。
別に偉い人にならなくても良い。健全な精神と身体を養って社会の明かりになるような
優れた人間性と心温かい家庭をつくって貰いたいと、希望するのみ。
 その娘も、このアトリエから旅立って行った。その日の嬉しく、
また寂しい思い出は私の心に昨日のように思い出される。



 

私は、教育と云うのは必ずしも有名校に入れて高い資格を与える
ことが素晴らしいとは思わない。特に心の教育と云うのは家庭の中で・・生活の中でこそ養われ身についてゆくものだと信じている。他人任せで、何か事が起こったときには、その責任だけを訴えようとする前に親としての子供達に対する心のあり方、接し方がどうであったかを、反省しなくてはならない。

 子供が一人立ち出来るようになるまでは、親の責任において家庭内教育をすべきである。これは心さえあれば出来ることだ。
全ては心のありようが柱である。時間があるから出来る・・金があるから家が建つ・・これは根本から間違っている。 心があるからこそ、それが実現するのである。心が無ければ、どんなに金があっても時間があっても、決して実現はしない。金は身につかないものへと消えてゆき、時間は意味もなく浪費、霧散して意味のない人生を送ることになる。
これは小牧名鉄ホテルでの娘の結婚式の当日の写真です同窓の友人達に囲まれて幸せ一杯の笑顔です。
 
旧小牧の自宅アトリエにて娘の結婚式支度。


私は職業の教育者ではないが、並の教育関係者よりはよっぽど教育には関心がある。
そう努力している訳でもないが、そういう生き方、雰囲気が自分にピッタリだからだ。
この2枚の写真は近隣の家庭の娘さん達である。
 月に2度くらい私の処へお習字に来る。
昭和50年頃だと思う。これらの子供達も、結婚して
良い家庭を持ち、楽しく暮らしている
ことだろう。



下の2枚は私が会社の中に創設した「吟書会」
で会社の社長・校長をはじめ職員の希望者当時37名を
集めての修養の会で私が漢詩書を書いているところです。


左下写真は毎月1回、名古屋市
西区の伊奴神社で開催していた。
 右下写真は職員の子供達も参加してのある日の書作会です。
                             
      右端・故鈴本信昭校長  元に戻る