第四章  最後の修行地・八百津

          人生・最後の修行地に岐阜県の八百津を選ぶ
                                               
                                  
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      私は中京自動車学校で校風刷新を目標に全エネルギーを傾注していた頃から、
                           時たま、地方へ出掛けて撮影やスケッチをして回った。
             そんな中で、風光も良し、人情の厚そうな素朴な空気を感じ好感を持っていたのが、この地であった。


 私が、この八百津の地を選んで住むことにしたのは、25歳前後の青春時代に書画の道を志して、その道で日本を代表するような芸術家にもご縁を持ち可愛がられて、明るい前途を夢見ていた頃に、母や姉の切なる願いを聞いて一生の悲願を立てて頑張っていた書画の道を断念し、写真の世界に入って、カラー現像の草分けとして、命一杯、頑張った末、訳あって自動車学校に転職・・此処では校風刷新にと自分の持てる力を振り絞って頑張ったお陰で、その学校からは多くの素晴らしい人材が世に輩出し、校内から全国千数百校の頂点、自動車学校労働組合・協議会議長を出し、自分自身も組合委員長として、当校の労働協約64条を創設し安定発展の土台作りに奔走した。その詳細は前章「中京自動車学校時代の稿で詳しく書いた。

 昭和59年8月、 20年と5ヶ月勤め上げた自動車学校を定年退職。ここで、やるべき事は自分なりに、ほぼ満足のいくように頑張れたのでいよいよ、目指すは画業完成へ向けて最後の地を選び、其処を修行地と定めたら命を掛けて精進する事にして土地探しをした。その為にこれまでの過去の成果を象徴しているとも云える、小牧の住居も処分し、私が本当に生きた証を示すためには、50年にもなる空白期間を埋めるべく研鑽して、これから書画の世界で完成を目指して努力せねばならない。人は金を貯めたり、立派な家を建てて住み、楽をしたい。そんな処が夢であろうと思うが、私は全くそんな処に夢を持っていない。どんな掃き溜めの隅に住んでも、中身の有る自分像を完成してから死にたいと願っている。只其れだけである。

 
 指向的・意識の質量

 
この章題は私の過去の経験からくる、実践的な体感で付けたものです。
私が八百津の地に転居したのは平成4年の春のことで、柴犬の初代太郎と一緒に十日神楽の横手というところへ尻を据えて、書画の研鑽に取り組みました。その次の年には家内も呼び寄せて落ち着く筈でしたが、この建物はもともと、この一帯を分譲住宅にして売り出す為の見本として建てたもので、結構外観より設備の整ったもので10軒もの糞尿を処理できる大型の浄化槽や屋内は、脚を伸ばしたままで入れる、大理石もどきの立派な給湯設備のふろもあり、1階の床から二階まで赤い絨毯が敷き詰めてある、と云った可成り外観からは想像出来ない代物であった。
ところが一歩、外へ出ると回りに街灯のたぐいが全くないので、夜は全くの真の闇の一軒家となる。

 それに当時、警察から2度3度来て貰ったことのある、奇っ怪な男が近くに住んでいて、トラブルを引き起こしたこと等が有って、これでは家内を一人残して写生や撮影に遠方へ出掛けるのは無理だと思ったので、勧められるままに、当時、築60年にもなると云う、今の家を借りて敷地に自分で3仕切りのガレージを改装した、約27畳のアトリエを東濃建設で建てて貰い、今も殆ど1日中、其処で作画の研究をしている。

 閑話休題挿入記事
五十二年振りに京都で私が写真技術を指導した
            二人の弟子達が訪ねてきてくれて感激の再会をした。


                               

     
八百津町・人道の丘
  ささゆり店内濤石作品の前で


これは私が母や姉の切実な願いを聞いて、生涯の目標として邁進していた書画の道を断念してまで当時、京都で三大写真店であったサクラヤ・ムツミ堂・ツバメ屋の内、姉の嫁いだ先の「サクラヤ」内で現像室を初めて造りモノクロ現像・更にカラー現像と研究の成果を挙げて出入りしていた撮影所・京都大学などの関係方面で大きな成果を挙げ、カラー現像の草分けとして独自の研究をしていた頃に弟子として就職してきた写真部門社員10名近くの内、最も古参で指導した二人であるそれぞれ人生の成功者となり大きなビルのオーナーとして活躍しているなど話が尽きない。

 再会の当日「平成18年9月13日(水)」の午後3時過ぎ、人道の丘公園内の喫茶ささゆりで待ち合わせた。再会した時はほんとに言葉もなく感激の対面だ。よく遙々、50年以上も昔の師匠を訪ねて大阪の箕面と京都の大徳寺近くから二人連れ立ってよく来てくれたものだと思う。
私はこの日のために荒れた庭の草刈をし、アトリエのテラスに10年程前に使用したテントを張った。この二、三日天候が悪く雨模様であった為に歓迎の場所も無いのでテラスにテントを張って其処でささやかなバーベキューでもてなした。当日の夜は頼んでおいた潮南荘で一泊し、快適な一夜を送れたと喜んでくれた。


                                                    
朝7時に出発して、ささゆりに到着の二人 ↓

 ← 潮見アトリエのテラスで


これとは別に中京自動車学校で生涯の道を私から伊東鷺伸先生に繋いで詩吟の世界に導いた、多くの人達が居て、北九州市小倉南区湯川の松尾柏伸君は北九州市吟剣詩舞響会の副理事長として多くの弟子を指導している。彼も是非一度、先生の住む八百津の地を訪問したいとの心を云ってくれた。 ほんとに人生とは欲得無しに無心に指導した人達は、皆、心に深く感ずるものを持っていてくれて、それが実生活の活動の上にも成果として生かされているんだな・・と思う。


 
 八百津の小学校で六年生に
        「人間としての心のあり方と水墨画体験」

 
     錦津小学校の六年生が社会科で、愛知先生から「雪舟」の授業を受けたことから町の教育課に水墨画の指導者の紹介を求めたことで私が紹介され出向くことになった。九月上旬にとの希望であったが、私の都合で、結局、十月十日にしてもらって実現した。
 水墨画は、元々修行の媒体として画いているので、設題のような文言になった。当日は蘇濤墨藝文化会から、長谷川孝三事務局長・伊藤隆雄理事・富松武理事の三人が助手として参加して戴いた。          


{ ここに掲載した写真は、当日、富松武理事(蘇濤墨藝文化会・会計
統括責任者) が撮った60枚ほどの内から選んだもの}

 
生徒達は私の話を熱心に聞いてくれた。
このような依頼がくるというのは如何にこの学校の先生が
決められた普通の指導だけではなく、プラスαの心の世界
が子供達に注がれていると思われて敬意を表したい。

 
当日は単なる体験と云うことで・・突っ込んだ指導も時間の関係で出来ないので
生徒の作品を展示・・とまでは1時間の体験では無理なので後日を期して上達した
ものを親御さん達に見てほしいと思っています。


















 この日、第一部では二階の教室で「人間と生まれて・・・」
「自分の心に中に先生(師)を持つ・・」ことの大切さを教え
心の中心となる柱を持つ事の重要性を仏教の一部に敷延
して話したが、時間的な制約の中では、理解に難しいとも
思われた部分もあるがが、熱心に聞いてくれている生徒も
多くいてくれて良かった。まだまだ、時間が有ったら、いつの
日か天才空海が成就した「虚空蔵菩薩最勝心陀羅尼求聞
持法」が家庭風に無双原理の世界から応用して小学生でも
分かり易く実行可能な原理を話してあげたいと思っていた。
そうすれば、この八百津町から偉大なる子供達が続々と誕生
してゆくのは必定である。これはまた今後を期したい。

 第二部は一階の工作室で水墨画の実技体験であった。
私が数本の筆を持参して生徒に使わせたが、殆ど何も水墨画
を画くための準備の無理のなかでは他の絵の場合と違って、
1時間の指導でものにならないのが心と精進の必要とする
水墨画であるだけに到底無理なことと思ったが、それでも特
に数人の生徒は著しい感受性を持っていたのには感心した。

 何事もこれを成就するには、初めから人より目立つ出来映えのある事より、永くこれを続けてゆける努力と忍耐力が有るか
どうか・・が大切で、難しいことは、常に壁にぶつかって、それを乗り越え、何度も何度もそれをやって、やがて彼岸に辿り着く
ものである・・・と締めくくった。


 潮見小学校5.6年生対象に
     素晴らしい人間性を育てる心の教えと水墨画体験講習07/07/06

  小学生高学年を対象とした精神と情緒教育・水墨画体験講習
 毎回、感じることですが、私の精神講話は、実に熱心に聞いてくれる。私も内心、感動さえ覚えてくる。

  今回の設題は「感動・有難・人間」で、今まで考えてもいなかった・・当たり前の事として問題視していなかった人間に生まれた有り難さを釈尊の説かれた雑阿含の中にある
「盲亀浮木」を子供達に分かるように解説して人間に生まれた尊厳と可能性について、話をしました。

 



















  八百津文化祭06/11/4〜5


 11/3の午後1時頃から各支部から
作品を持ち寄り展示した。

 右の作品は八百津美術会の廊下展示パネルに出したもので・・


 左の半切書の2点は室内に展示した

    初日の午後から水墨画の実演をした。









 和知・久田見支部会員の作品は昨年12月に
 「みのかも文化の森展」に出した10号作品と、
 最新作の8号作品を展示した。




   
   平成19年師走
   森濤石のアトリエを数年前に廃校となった旧潮南中学校に移転
   自分達の生活の範囲を超えて地域を愛する潮南の侍達によって私のアトリエと住居が旧潮見中学校に転居する
  こととなった。十数人の侍達が手弁当で雪の降る寒い日に柘植満義リーダーの呼びかけで汗を流してくれた。
  潮南の新しい歴史を築く侍達であろう。私は生涯、この日を忘れない・・。

 
   平成15.16日の両日、旧自宅から転居する旧中学校へ転居するために十数人の侍達が動員により手弁当で参加協力して頂いた。                 新しい40畳のアトリエ。       アトリエ「墨誠庵」の玄関・平成20年元旦。

 平成19年12月26日には移転した新居で寝た。
平成20年の元旦には旧校舎の玄関「アトリエ・・墨誠庵に「壽春」の毛書を貼って祝った。
     新アトリエ               新アトリエで第一作品・日本・桂林芸術交流協会展・出品
                                     「深山瀑韻」

 
 平成20年5月29日
 

八百津町・役場と教育委員会(ファミリーセンター)へ作品寄贈

                                      寄贈日・平成20年5月29日
  八百津町役場に

  「澗水飛白」F20号」 
メルボルン21世紀日本文化振興芸術賞 
 
メルボルン日本芸術祭・21世紀日本美術の現実展

  町長室で赤塚町長と小生 



 この「澗水飛白」20号作品はオーストラリア・メルボルン
の世界遺産−王立博覧会ビルで2007/03月に開催された時に記載の賞を受けました。

この他には国際美術誌「BIFROST-Vol.7」に推薦されて「至宝芸術栄冠賞」を受賞しています。

また、「Asia Africa Art Project <A.A.A project>」
〜願いと祈り〜にも掲載されてアジア・アフリカの恵まれない子供達への援助に参加しています。



   社会教育課−教育委員会・ファミリーセンターに



 


 「千仭飛瀑」 F30号
  コートダジュール国際芸術賞
               (黄金の平和賞)

    フランス・カンヌ国際芸術祭出品

国際映画祭の開催地として地名の高いカンヌでの開催。賞名のコートダジュールは地中海のモナコ〜ニース一帯の海浜地域で世界的に有名な金持ちや芸術家の別荘や美術館などが集まっている景勝地です。

教育委員長と小生