私の活動の原点は60歳を越えてから水墨画芸術に再挑戦することと その為に健康な自身の体を造る事への研究にあります。

私の芸術活動は、終戦の年、昭和20年・16歳の秋頃に始まります。自分史にも書きましたが京都東山地域特産の京人形や陶器の絵付けで収入を得ながら細々と修行を始めました。
 当初は大阪の有秋会・久保田耕民先生の通信教育に始まり、更に進んで書の谷辺橘南先生から、その師である辻本史邑先生への紹介を受け、水墨画は内藤璂土から河野秋邨先生へと、苦しい生活の中から、諸先生の大きなお引き立てを戴いて順風の追い風に乗って着々と成果を挙げていたが家庭の事情で続けられなくなって写真の世界に入ることを余儀なくさせられ・続いて自動車学校へ20年の勤め、55歳で定年退職。

 さて、いよいよ人生最後の機会到来と、小牧で新築して二十年余り住んだ家屋や過去の全てを精算して、現在の岐阜県八百津町潮見と云う山間地へ移転し画業精進の復活と・・スタートを切ったのが63歳でした。

 ここで多くの皆さんに読んで知って戴きたいのは私が自動車学校を定年退職する2年前頃から、好きな山間の地へ移って修行するには何よりも病気しない体を造る必要がある・・との思いから東京の
CI協会正食医学を学ぶ必要があると毎月1回、二泊三日の講習を一年間受講して、まさに眼から鱗・・で、病気になるのも、また健康でいることも簡単なんだなぁ・・と理論的には全く納得することが出来た。


  

4. 医学定説「細胞分裂説」の疑惑

 

 

《医学定説を覆した千島喜久男》


http://www12.plala.or.jp/kusuri/chishima.jpg血液は消化された食べ物から、腸の絨毛組織で造られる。定説の骨髄造血説は明らかな誤り
体細胞は分裂ではなく、赤血球が融合・分化して増殖する。生体の健康状態では細胞分裂は起こらない
千島博士の警告:-
「現代医学による医療ミス、薬害、難病に対する無策ぶりは、人体の生理構造についての、この明白な事実を無視した結果である。
もしこのまま放置すれば、国民は医療の犠牲となり、その命と健康が重大な危機に瀕することは必至である。
医師や医療関係者はもとより、ご自分の健康にとくに関心がある方々は、医学迷信、くすり迷信の洗脳からみずからを解放し、『千島理論』をぜひ毎日の生活で実践なさってください」

http://www12.plala.or.jp/kusuri/chishimabook.jpg千島博士は、なんと半世紀におよぶ緻密な観察と実験を繰り返し、それを集大成した「革新の生命医学全集」(全11巻5,550ページ)は1972年に出版された。
この業績に対し、昭和天皇は同書の献本を要望され、正五位勲三等瑞宝章が授与されている。
もちろん、千島理論は世界の学界に知られており、その絶大な賛同者・支持者のなかには、がん細胞研究の世界的権威パリ大学アルベルン教授、血液学者ステファノポリ博士、モスクワ大学オパーリン教授など、超一流の科学者たちがいるのだ。
しかし現代医学は、伝統理論固執の立場から、いまだに千島理論を容認していない。本当にこのまま、誤った定説に基づいて行われる医療を許しておいていいのだろうか?

(千島博士「革新生命医学理論」より)

 

医学はいうまでもなく、生命の世界を扱う学問です。だとすると前節で解説したとおり、たえず流動・変化する世界の研究に、デカルトの機械論的世界観は通用しません。このことは医学の根本思想にかかわる重要な問題であるのに、医学は科学的思考に追従するばかりで、この問題をあいまいにしたまま放置してきました。

それをはっきり裏づけるのが、現代医学が定説として承認している、フィルヒョウの「細胞理論」と呼ばれる理論です。これこそ機械論の典型ともいうべきもので、多くの矛盾に満ちているにもかかわらず、一世紀ものあいだ、医学・医療の世界に君臨してきたのです。

そしてこの理論がゆえに医学思想が混乱し、あらゆる医療処置を無意味で無効なものにしている――またそのことに誰も気づかないことが、さらに憂慮すべき事態をもたらしていると思われます。

たとえば現代医学では、「病気とは何か?」ということさえ、いまだにわかっていません。現代医学は病気の症状を何とか取り繕うだけで、その根本原因を知らないために、病気そのものを治すことができないわけです。

じつはフィルヒョウ理論には矛盾というより、むしろ重大な疑惑があります。以下、それをご説明しますが、次がその要旨です。

 

1.   一つの細胞が二つに分裂し、さらにそれが四つに分かれる

2.   すべての生命体は細胞のみで構成される

3.   生命の最小単位は細胞である

多分お気づきのように、これが「体細胞は細胞分裂によって増殖する」というあまりにも有名な説で、いまでは世界中の人々の常識となっているものです。もしこれが間違いだったといわれたら、おそらく皆さんは「そんな馬鹿な!」といって、一笑に付されるのではないでしょうか?

しかしなんと、これらはすべてウソであり、フィルヒョウ理論は完全に間違いだと主張する学者が現れました。その人こそ、「血球分化説」と呼ばれる学説を唱えて一大センセーションを巻き起こした、日本人の故千島喜久雄博士という生物学者です。といってもほとんどの方は、そんな説など聞いたことも、いや千島喜久雄という名前すら、ご存じないでしょう。

もちろん千島博士も御多分にもれず、細胞分裂説を率直に受け入れ、これをずっと信じていた学者の一人でした。ところが、ふとしたことがきっかけでこの既成学説に疑問を抱いた博士は、なんと約40年以上という超長期にわたる顕微鏡観察中、あるとき偶然に、赤血球が細胞に変化する姿を見てしまったのです。

当初わが目を疑った博士は、それ以降も粘り強く、数千回も同じ観察を繰り返した結果、フィルヒョウ理論を完全に否定する、次のような衝撃的な事実を確認するに至りました。

 

1.   細胞は分裂ではなく、赤血球の融合化成、血球分化によって増えていく

2.   細胞構造を持たない組織はたくさんある。脂肪組織、横紋筋(おうもんきん)組織、結合組織、硬組織など

3.   細胞が壊れても生命は存在する

しかしながら、博士がその膨大な観察・研究結果を論文に仕上げ、在籍する九州大学に提出し(1947年)、学位請求をする段階で、「あまりにも非常識な内容」といわれ、さまざまな中傷誹謗の的になったことから、学会承認の前提である教授会による審査報告もなされませんでした。

結局論文は10年間も放置されたまま、学位取得どころか、日本では完全に無視され、日の目を見ることはなかったのです。

論文提出から10数年後、博士は九州大学を辞職し、郷里近くの岐阜大学で農学部教授を勤めたり、教育学部生物科で研究に没頭するなど陽の当たらない遍歴がありましたが、その間もずっと実験を繰り返し、自説が間違っていなかったことを何度も確認しています。

そういった時代の1961年、博士は慶大医学部発行の英文雑誌に、「ガン細胞の起源」と題する論文を投稿しました。すると数年後の1965年、この論文が偶然にも、博士とまったく同様の研究をしていた、がん細胞研究の世界的権威パリ大学・アルぺルン教授や血液学者のステファノポリー博士らの目にとまり、それが縁となって千島博士の先駆的業績、すなわち「血球分化説」に全面の賛同と支持を表明するにいたって、「千島喜久男」という名前は一躍世界を駆け巡りました。

こうして世界の学会は一時騒然となったのですが、どうしたことかまるで線香花火のように、あっという間に騒ぎは立ち消えになってしまいました。それはいったい、なぜだったのでしょうか?

理由はズバリ単純明快、巨大医療産業による口封じ、医学界全体を巻き込んだ隠蔽工作がおこなわれた可能性があるのです。どういうことかというと、フィルヒョウの細胞分裂理論によれば、たとえばがん細胞も当然、分裂・増殖するということになり、これを退治するには、がん化の疑われる部位の細胞をできるだけ早期に、根こそぎ取り除けばいいという理屈になります。

この考え方が合理的・科学的であるとされ、それに基づいてこれまで開発されてきたのが、いまや世界の医学常識となった医療手段、すなわち抗がん剤、放射線、外科手術といった、安定したリピート商業利益を生む治療法です。つまりフィルヒョウ理論こそ医療機関、いや医学界、巨大産学複合体にとって、願ってもないありがたい理論だったのです。なにしろそのお陰で、(日本だけでも)年間数兆円という巨額の利益が約束されているのですから・・・。

まさに金の卵のようなフィルヒョウ理論を否定し、同時に現代医学の存立を脅かす千島理論は、どうしても認めるわけにはいかないのです。

それにもし、フィルヒョウ理論が誤りであることが一般に知れ渡ると、過去100年以上も、誤った治療をつづけてきた国や医学界の信頼の失墜につながり、ひいては国民に莫大な賠償責任を負わされることになるでしょう。

そうなれば医療従事者(医者、看護士、技術士など)、医療機関や医療産業、その関連企業で働く社員の失業保障、それら企業のスポンサリングで成り立つ全メディアの死活問題になることは必至であり、国の経済が大混乱に陥ってしまうわけです。

何がなんでもそうした事態を避けたい事情はわからないでもありませんが、だからといって誤った理論に基づく治療法が原因で、がん患者だけでも年間25万人が現実に命を奪われ、さらに数十万という人々が、死亡よりもっと残酷な障害を負わされる不条理を放置していいわけがありません。

心理学者ユングによれば、人間一人の命は、潜在意識のレベルで万人の命とつながっているといいます。その意味で私としては、集合的無意識下にある人間の良心は、利益追求のためには人命軽視もやむなしという、利己的で卑劣な特権意識の横暴をいつまでも許せるはずはない、と信じています。

国民の命を守るべき立場にある国や医学界は、もし千島学説の正当性が確証されれば、医療の大元凶となっているフィルヒョウ理論を追放し、千島学説を公認、導入すべきであると思います。

では、はたして千島博士の観察と結論に問題はなかったのか、それをつぎに検証していきます。

まず生体(人体)のごく普通の生命維持の状況下で、体細胞が分裂によって増えていく現象を目撃したり、確認した人は歴史上世界のどこにもいません。

じつはフィルヒョウも含め、細胞分裂を見たと主張する学者たちは、平常時ではなく、きわめて異常な状況下における細胞の特異な振るまいを、正常な営みだと錯覚していたのです。

細胞は大変デリケートなもので、気圧、温度、光、湿度などによる異常な刺激や、飢餓や断食による栄養分の極端な不足など、体内における環境条件が激変したり、細胞だけを人体から切り離し、そこに強い光線を照射して顕微鏡下で観察するなど不自然な状況におかれると、それこそ不自然な、平常時にはありえない現象を起こすことがあるわけです。

こういったいわば生体が危機に瀕したさいに、自己保存という自然の英知が働いて、一時的に細胞分裂が起こることは、事実として確認されています。しかしこれは異常事態における、いわば生命のフェールセーフ(安全維持機能)現象とでもいうべきもので、本来の細胞形成(増殖)の姿ではありません。

明らかにフィルヒョウは、断続的、断片的に観察したものを性急に判断し、それを不変の事実と錯覚したのではないか、と思われます。そしてそれが科学の大発展の時期に理論提唱されたため、ほぼ無条件に承認されたと考えられるわけです。

一方千島博士は、固定組織の細胞ではなく、流動組織としての血液の存在を最重視していました。それは博士が、生命現象は一時も留まることがなく、たえず流動、変化するものであるという、当たり前の事実を見逃さなかったからにほかなりません。

フィルヒョウが、ある特定の部位の組織細胞を関連部分から切り離し、それを一時的に固定したり、不自然な操作を加えて観察したのにたいし、博士は生理構造ぜんたい、とくに消化器官に注目しました。それは次節で解説するように、博士がそれまでにカエルなどを使って行なった実験観察から、「血液は消化器官でつくられる」ことを、すでに知っていたことによるものです。

それを踏まえて造血のメカニズムを注視したところ、なんと赤血球から白血球が生成され、次に白血球から細胞が形成される(いわゆる血球分化と呼ばれる)姿を、みごとに捉えることに成功したわけです。

また博士以前の研究者が、鶏の胚子の生殖腺(睾丸・卵巣)の組織発生を観察するとき、胚子のウォルフ氏体(中腎)とその付随の生殖腺を切り離していたのを、博士はそれを切り離さずに、中腎と生殖腺を一緒にした標本を何百枚も作って、それから観察するという手法をとっています。

すると中腎と生殖腺のできはじめのものには境目がなく、組織が連続していることがわかり、しかもその周辺には、血管を飛びだした赤血球が無数に散在していて、それが原始生殖細胞や生殖腺の細胞に分化、移行していく姿を、しっかり確認することができたわけです。

またこれらの観察中、それまで謎とされていた、一日に40cc(2,000億個)もの赤血球が消滅する現象の真相や、毛細血管の先端は開放型であるなど、思いがけないことまでわかりました。

なおここでいう赤血球とは、核のない無核細胞のことで、それにかんしては次節で、「モネラ」という概念があることをご説明します。

そして今しがた述べた、「血球分化説」(「細胞新生説」ともいう)が生まれる前提となった「腸造血理論」についても、詳しいことは次節以下に譲ります。

このように千島博士は、生命現象を部分や偏見にとらわれず、全体的、相関的に捉えていることからも、その発見と見解はフィルヒョウのものより、はるかに生命の本質に近いといえるのではないでしょうか。

いやじつは千島学説は、そんな弱々しい疑問を呈するまでもなく、その主張にはフィルヒョウ理論に強烈な止めを刺すほどの威力があります。その明白な証拠が現代医学のがん治療の矛盾であり、がん細胞は分裂によって増殖するとし、それを阻止するためには、できるだけ早期に切除してしまえばいいとする誤った考え方です。

一方千島学説に従えば、ガン発生の原因は血液の汚れであり、血液の性状を改善しないかぎり、がん細胞は全身的に出現する可能性があるとします。そしてがん細胞は分裂増殖しない(本当は血球分化により増殖する)ことから、早急に切除する必要はなく、むしろ十分時間をかけて、血液劣化の原因となる食の誤りを是正すればよい、となります。

体に大きなダメージを与えておきながら、その後も再発の恐れを除去できない、再発すればまた同じことを繰り返す、その間ずっと患者は拷問のような苦痛を強いられ、あげくの果てにその命まで奪われてしまう現実を見れば、そういった処置が論拠するフィルヒョウ理論がいかに間違っているか、もはや議論の余地さえないといえます(詳細は第六章を参照)。

千島学説を無視しつづける世界、とくに医学界は、「真理はしばしば少数意見とともにある」という湯川秀樹博士の言葉や、「科学の本当の進歩は既存の学説を覆したり、修正していくことにある」という歴史の教訓を謙虚に受け止めるべきです。

千島博士の経歴について、次のサイトもご参考になさってください。

ところでフィルヒョウが細胞理論を発表してまもなく、メンデルとモルガンが遺伝理論を発表しています。一般的にこちらのほうがよく知られているため、おそらく皆さんもご存知かと思いますが、遺伝理論とは、「細胞核に染色体があり、その染色体のなかに遺伝子があって、それによって遺伝の基本的なパターンがあらかじめ決定されている」というものです。

つまり遺伝理論は、細胞分裂を中心とするフィルヒョウ理論を土台に発展させた考え方で、本質的に「生命は変わらない」という固定観念です。

一つの細胞がまったく同じ二つの細胞に分裂し、それを繰り返すことで細胞は増殖する、その遺伝を決定づけるのが遺伝子だということで、この考え方は結局、元の遺伝子が変わらないかぎり、変わった形質が途中から発生することはない、となります。

早い話、これが現在の医学・生物学の定説であり、その固定観念がゆえにさまざまな矛盾が発生し、行き詰まっているわけです。

がんなどの難病が、親から受け継いだ遺伝だから「どうしようもない」、「治らない」という考えも、この固定観念が医学常識として定着したものにほかなりません。

しかし生命の源は、細胞そのものに存在するわけではありません。生命の源は、細胞を新生させる血液、ホルモンや酵素、神経伝達化学物質など、細胞よりはるかに微小な超ミクロ物質のなかに存在する、と考えられています。となると生命体、ひらたくいえば生命はどこにでも存在しうる、ということで、「細胞を生命の起源」と断定したフィルヒョウ理論では、生命現象の因果関係が説明できないのは、当然すぎる話ではあります。

そういった超極微のあらゆる要素がたえず流動変化を繰り返し、細胞はもとより遺伝子さえも不変ではない・・・これが生命体における生理機構の実態であるわけです(ごく最近、血液のなかに「ソマチッド」と呼ばれる謎の生命体が発見され、それがDNAを支配しているのではないかと推測されている)。

じじつ、たとえば肉体上も性格上からも、親とはまったく異なる形質を受け継ぐ子供が生まれたり、同じ人間でも一代でさまざまな形質を持つことなど、固定観念では説明できないことは多々あります。現在の遺伝学・医学は、そういった異なる形質が出現するたびに、いまだにド・ヴリースの「突然変異説」を持ち出してきて、因果関係の説明を回避、拒否しつづけています。

このように現代医学が執拗に拘泥する生命不変説は、明らかに近代科学、つまりニュートン力学の機械論的世界観の影響を強く受けたものであり、そういった固定的、分析的、直線的、不可逆的、排中律的な思考パターンでは、生命の営みを正しく捉えることはしょせん不可能です。

つまるところ現代医学の正体は、人体をまるで機械の寄せ集めのように考え、細胞をその究極の部品とみなす機械論的・固定的分割思想の産物にほかならず、生命を扱う科学の一分野として、これがいかにとんでもない錯覚であるか、おわかりいただけたのではないでしょうか。

果たしてその機械論的思考の特色は、病気にたいする現代医療の対処法や、診療行為にはっきり浮き彫りにされています。 すなわち、

 

·         がん、糖尿病などの慢性病や、膠原病などの難病は治らないと考える(がん細胞は無限に増殖する直線的、不可逆的)

·         風邪、アトピー、サーズ、肝炎などの原因を病原体によるものとする(病気は偶然に起こる偶発的)

·         組織や細胞、血液、血圧、尿、大便など、さまざまな検査を個別にする(部分的な現象に固執する局所的、分析的)

·         病気そのものではなく、病気のシグナルにすぎない症状を病気と断定する(病名を独断で決める排中律的)

·         病気の原因がわからず、生体へのダメージを無視する処置をとる(薬、放射線、手術に依存する対処法が攻撃的)

このように、フィルヒョウやメンデル・モルガンの理論を 金科玉条(きんかぎょくじょう)とする現代医学は、じっさいは流動的、循環的、可逆的、全体的、統合的、なおかつ必然的である生命現象を、まるで正反対の概念で捉えている状況がおわかりだと思います。

「科学では生命はわからない」と主張する森下博士は、生命の世界にたいする科学的思考の矛盾について、つぎのように説明しておられます(「自然医学の基礎」より)。

 

「(西洋思想の土台となっている)二元論というものは、物理の世界では大変重宝な考え方である。車やロケットなど、機械を扱う分野で役に立つ。そういう世界では、この分析的、直線的、不可逆的、排中律的な考え方で十分通用する。

しかし生命の世界は、この考え方ではダメだ。生命の世界は、機械のそれとはまるっきり反対のものだからだ。

生命現象の本質は、一言でいうと波動であり、ラセンである。生命の世界には直線も直角も存在しない。また生命の世界においては、すべては可逆的である。たとえば病気になっても、しかるべき処置を施せば、必ず『治る』という現象が生じる。

『治る』ということは、『元へ戻る』ということで、すなわち『可逆』ということである。よく今の医学は、特定の慢性病に対して"不治の病"とか、"絶対に治らない"などというが、それこそまさに西洋思想なのだ。アタマが痛いとか、下痢をしたというような症状に対しては、たいてい一過性で終わることから、さすがの現代医学も『治る』と考えているが、膠原病とかがんなどの難病に対しては、彼らは『治らない』と考えている。

いろいろと理屈はつけるが、基本線としては『治らない』という考え方をすえている。一度病気になったら治らない・・・この直線的思考こそ西洋思想の真骨頂だ。

けれども実際には、決してそんなことはない。生きている限り、いい替えれば生命現象が存在する限り、必ず元に戻りうる。条件さえ整えば、病気は必ず治るものだ。がんも例外ではない。この元へ戻るということが生命現象の最大の特徴である。

にもかかわらず、現代の医学者自身が西洋思想にかぶれてしまっていて、直線的で不可逆的な考え方をしているから、『この病気はもうダメですよ』などということを平気でいうのである。これは実に重大な間違いである。『どんな重症ながんの場合でも、生きている限り必ず治るチャンスがある』ということを、私は口がすっぱくなるほど患者さんに話している」

 

フィルヒョウ理論に戻って、この理論では一番元になる細胞がどこから、どのようにして生まれたのかが説明できません。しかし最初の細胞がどのようにできるのか、生命の発生にかかわるこの重要な現象を捉え、画期的な考え方を提示した学者がいたのです。それについて再び森下博士の「自然医学の基礎」から、一部を参照してご紹介します。

 

 

5. 生きた物質「モネラ」

 

こうして現代医学は、フィルヒョウとメンデル・モルガン理論を絶対の根拠としているわけですが、医学を科学の一分野と見るなら、生命を探求する生物学は本来、その基本とすべき重要な分野であるはずです。

その生物学において、生命を動的・発展的に捉える二つの注目すべき学説があります。一つはオパーリンの「生命自然発生論」で、いま一つはダーウインの「進化論」です。

オパーリンは「生命の起源」のなかで、つぎのような大胆な説を唱えました。

「太古火の玉だった地球には、生物は何も存在しなかった。しかしやがて地球は徐々に冷えてきて、それにつれて無機物が有機物に発展していき、その有機物の一部が蛋白質になり、ついにそこからきわめて原始的な生命が発生した」

この説は、たとえばメタン・アンモニア・水、その他一、二の無機物をフラスコに入れて火花放電すると、かなり高級な蛋白質ができることから、正しいものとして今の生物学で承認されています。

ダーウインは歴史的名著「種の起源」で、「アメーバのような原始生命が、環境の変化に適応しながら自然淘汰されつつ、次第に進化、発展してきた。つまり自然淘汰というメカニズムが働くことによって、よりうまく環境に適応したものが生き残ったのである」と述べ、これも生物学上不変の学説として、広く認められています。

かつて無生物だった地球に、今では数千万種類の動物や植物が生存している。この事実からも、「生命自然発生論」と「進化論」は、その考え方の根本は正しいものとして、認めざるをえないのでしょう。

するとここで、一つの素朴な疑問が生じてきます。フィルヒョウとメンデル・モルガン理論は、いうなれば「生命不変論」、つまり生命は変わらないという固定観念です。これにたいしオパーリンやダーウインの理論は、生命は変わるという「生命変動説」であり、流動的で発展的な考え方だといえます。

これら真っ向から対立する二つの考え方が、生物学界において、いやじつは医学界でも受け入れられている、これはたいへんな矛盾というべきではないでしょうか?

ところがこの矛盾について、学者たちはなんとも思っていない、というより問題にしようともしないわけです。これには学者同士のかばいあい、「わからないことはそのままにしておこう」といった怠慢や変な妥協が要因として考えられますが、前節で述べた医学思想の混乱は、案外こんなところにあるのかもしれません。

さてオパーリンやダーウインの「生命変動説」は、フィルヒョウなどの固定思想とくらべると、生命現象をより本質的に捉えているように思われます。しかしこれらの説もよく考えてみると、100%納得できるかというと、そうはいきません。

なるほど、無機物から蛋白質ができることは厳然たる事実です、しかしその蛋白質がどうして生命を持つにいたったか、ということになると、オパーリンの説では説明できませんし、ダーウインもその点については明言を避けています。

森下博士は、「じつはここが生物学のもっとも大事な局面の一つなのだが、そこが谷間になっているわけだ。考え方の本質としては正しいのだけれども、問題が残されているわけである」と述べています。

このきわめてデリケートな問題を追求したのが、前世紀の偉大な哲学者であり、ダーウイン進化論の熱烈な信奉者でもあったドイツのヘッケルです。ヘッケルは「モネラ」という画期的な概念を提唱したのですが、残念ながら生物学界でも医学界でも、その重要性に注目した学者はいません。その概念とは? まずそれについてご説明しましょう。

ふつう細胞は中心に核があり、そのまわりに蛋白質のかたまりであるコロイド状の細胞質があり、さらにそれを包む細胞膜がある、という構造をしています。

そういうはっきりとした形態を整えた細胞にまで進化する前段階として、「核のない細胞という存在を仮定してもいいのではないか」という考え方で、ヘッケルは、その核のない細胞を「モネラ」と名づけました。

つまり細胞になりきっていないが、いずれ細胞に発展するであろうという細胞の前段階の状態のもの、いわば「未完成の細胞」という発想です。現代医学・生物学は、このような考えにまったく見向きもしませんが、じつはこれは非常に重要な概念です。

そしてこれと同じような概念を提唱した学者が、もう一人います。ロシア(旧ソ連)の医者で生物学者のレペシンスカヤ女史がその人ですが、女史はその同じ概念を、「生きている物質」という名称で表現しています。レペシンスカヤ女史はソビエト医学アカデミーの正会員で、同アカデミーの細胞研究所所長でもあり、千島学説の絶大な支持者として知られています。レペシンスカヤは、卵黄の表面に発生する赤血球に注目することでその概念をえました。

ニワトリなどの卵が 孵化(ふか)するとき、よく見ますと黄身の表面に赤い斑点がいくつも出てきます。それが互いにつながって網目状になり、日がたつにつれてその網の目は細かくなっていきます。しかもその網はたんなる筋ではなく、なかが空洞になっています。

そのチューブの一部が、やがてふくらんできて拍動をはじめる、するとチューブのなかを血液が一定方向に移動するようになります。それを観察したレペシンスカヤは、とくに卵の黄身の表面に赤血球が寄り集まって、赤い点になっているところに注目しました。顕微鏡で見ると、なんとそこは立派な細胞の形をしているではありませんか。

そこでレペシンスカヤは、「これはいったい、どこからきたのか?」という大きな疑問をもったのです。そんなものはもともと、卵にはなかったことは事実です。卵の黄身しかなかったのに、孵化しはじめると赤い斑点がいっぱい現れてきたわけです。

「細胞は細胞から」というフィルヒョウ理論が本当ならば、この赤い斑点となっている細胞のその最初の第一個目の細胞は、あらかじめ卵の中に潜んでいたと考えなければなりません。そうでなければ、「細胞は細胞から」という考え方に反することになるからです。

しかし途中から赤い斑点が現れているのが事実ですから、はじめから赤血球が存在したなどということはありえないわけで、「細胞は細胞から」というフィルヒョウの考えは、やはり間違っていたのです。

じつは赤い斑点となった最初の細胞は、卵黄のなかから生み出されてきたものです。卵の黄身というのは、私たちが卵黄球と呼んでいるブロック状のものからできています。これは核も細胞膜もないので、細胞ではありません。その細胞ではないものから赤血球という細胞が生み出されている、これはもう、卵黄球が赤血球へと発展していっているとしか、考えようがないわけです。

「卵黄は生命体? それとも物質?」ということになると、これははっきりいって議論の分かれるところですが、今の段階では、物質(有機物質)だとみなす考え方が支配的です。そうすると、卵黄球という有機物質から「生命」が生まれたことになり、レペシンスカヤが卵黄球は「生きている物質」ではないか、と考えたことは正しかったのです。

無生物と生命体という大きく異なった存在を連続相として捉え、そのつなぎの一段階を発見したこの概念は、まさに画期的といえないでしょうか?

生命現象を固定的思想ではなく、流動的・発展的思想で捉えていくには、ヘッケルの「モネラ」という概念、およびレペシンスカヤの「生きている物質」という概念は、どうしても導入しなければなりません。そしてそれらは、次節で述べる「造血」問題を理解するうえで、不可欠の概念となります。

いずれにせよ、生命の本質から遠く離れたフィルヒョウ理論に固執する現代医学は、生命現象の因果関係が説明できないという、医学としては致命的な欠陥があるわけです。

 CI協会で学んだ実行的なこととは別に、この学問の周辺的な学問環境について大切なことを資料から引用して此処に再確認してみたいと思います。

以下はGoogle で検索して掲載したもので、
         私が実践し展開する健康な体造りに基礎的な
                 背景学問として是非とも皆さんに読んで戴くために引用しました。