![]() この夏は、今まで生きてきて初めての経験をしてしまいました。 それは、“めまい”です。素敵な人に出合いハートがドキドキ・目がクルクルのあの天にも登るような嬉しいめまいではなく、奈落の底に落ちてしまいそうな苦しいめまいでした。 それは、主人が不在中のお盆休みの暑い日でした。朝の起床時は何ともなかったのですが、家事が一段落した頃から体のだるさを感じ始めました。その内に軽いめまいや吐き気が襲ってきて、立っていられない状態になり、そのまま横になりました。“私の体はいったいどうなってしまったのだろう?”“もしかして、これが熱中症?”と思いながら体温を測りましたが、35.5度で熱中症ではなさそうです。でもしばらくすると強烈なめまいと吐き気が襲ってきて、トイレに駆け込みました。このような症状が何度も繰り返し襲ってきます。“いったいどうしたらいいの?救急車を呼ぼうかしら?”“でもこんな症状で安易に来てもらってもいいのかしら?”“ご近所さんがびっくりされるだろうなあ。”“隊員さんにどこから入ってもらえばいいのかしら?居間の鍵が開いているからここからがいい。”“でも部屋が汚いし、見られるのは恥ずかしい!いつもキレイにしておくべきだった!”などと、思っているうちに段々と症状がひどくなってきました。 苦しい中長女に電話しました。“すぐ行くから。”との返事に症状が少し軽くなった様に思えます。でも“このまま死んでしまうのかしら?”“ささやかな我が家の財産の管理している場所を、主人は知らないし困るだろうなあ。そうだ、私のヘソクリの場所も知らないよ~~。”“秋のファッションショーはどうなるのだろう・・。依頼されている講習会はどうしよう・・・”“私の遺品の処分に苦労させてしまいそう・・・不要な物は処分しておけばよかった・・・”と長女が駆けつけてくれる1時間ほどの間に、これまで考えもしなかったような思いがと次から次へと頭の中を駆け巡りました。 長女が到着し、直ぐに救急病院を探してくれましたが、かかりつけ医に診てもらうのが一番安心できそうに思い、午後の診察まで待ちました。そして点滴をしてもらい、診察の結果は、自律神経か内耳の異常と言われました。でも、私は若い時と同じように毎日忙しくしていた疲れが、今どっと出たのが原因だと思います。友達が“年令も体も正直なのよ。体と相談しながら生活しているよ。”と言っていたのを思い出しました。60才になった私の体が、“これからは謙虚な生活をして、体をいたわってね。”と訴えていたのだと気づきました。 不在だった主人は、“死ぬかもしれない!”と思いながら、長女の電話で飛んで帰って来てくれました。でも快方した私に“いい加減にせい!!年は年だから。”と一喝されてしまいました。また生徒さんには、“嬉しい!私たちと変わらない体だったんですね。”と言われました。 でも、今度は天に登るような嬉しいめまいをしてみたいなあ!! |
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Fukiko | |
やばい! | |
最近気になる言葉に、“やばい”というのがあります。テレビを見ていると、“この料理、チョーやばい!”と言い、一緒に食べている人に“やばくない?”とよく聞きます。なぜ“とっても美味しい!”美味しいね。”と表現できないのかしらと思います。 本来“やばい”は不都合な事が起こりそうな時に使うのですが、“最高”“すごくいい”という場合に使うのには、抵抗を感じます。また軽薄な印象を受けます。そして一生懸命に料理を作られた人に対して、とても失礼な言い方なのではと思います。 また“半端ない”という言葉にもよく耳にしますが、この言葉にも抵抗を感じます。 “半端なことではない”の略した言い方のようですが、“すごい”とても”“大変な”“とてつもなく”と感嘆を強調するときに使います。使い方は間違っていないのですが、略して使われるとやはり気になります。オリンピック代表の北島康介選手も使っているのを聞くと、若者の間では当り前に使われているのでしょうね。 ![]() 今朝、何気なくラジオのスイッチを入れると、女優の樫山文枝さんの対談が耳に入りました。ゆっくりとわかり易く話されるお話は心地よく耳に響き、それ以上に美しい日本語の一言一言が 心に響きました。決して気取った話し方ではなく、自然な話し方の樫山さんは、さすがベテラン女優さんだと思いました。 やばい・半端ないという言葉は、これからもっと一般的に使われていくことでしょう。でも、私は本来の使い方にこだわっていこうと思います。美しい日本語も忘れずに。 |
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チェコのチェスキー・クルムロフを散策中に、 |