7月に入り、夏の話題が聞かれる季節となりました。 気が付けば今年も半年過ぎてしまっています。あっという間に月日が過ぎ、少々焦りを感じるこの頃です。 先日、富士山の世界文化遺産登録が決まりました。 新幹線に乗ると「今日は富士山が見えるかなあ?」と、窓に額をくっつけその姿を毎回探しています。運良く見ることができた時には、「わあ!富士山!」と心の中で叫び、「今日はいいことがあるかもしれない!」と思わず笑みが溢れます。 日本人が愛して止まない富士山が世界遺産に登録されたのは、喜ばしいことですね。 なだらかな稜線の壮大で美しい富士の姿は、万葉の時代から「聖なる山」、信仰の山と崇拝され「霊峰富士」と呼ばれてきました。そして、日本の歴史の中に度々登場してきました。そう「竹取物語」にも「不死」の山と書かれていたことを思い出しました。また、古事記にも記された記録があると聞いたことがあります。当時は、噴煙を上げた活火山だったとか・・・。 江戸時代には、安藤広重や葛飾北斎を代表とする浮世絵師が、多くの富士山を描きました。 現在は、絵画はもちろんその勇姿を写真に記録する人、頂上めざして登山する人など、色々な体験をさせてくれる富士山です。 私の富士山の思い出と言えば、大学受験で訪れた山梨県甲府市から眺めた「裏富士」が印象に残っています。甲府の駅に降り立つと、一番に目に飛び込んできたのが、真白い雪を頂いた富士山でした。「わあーキレイ!」としばらく眺めていたのを思い出します。翌日、試験の合間に、富士山を眺めながら、「もしこの大学に合格したなら、毎日見ることができる!絶対にこの大学に進学する!」と思いながら、試験問題と悪戦苦闘しました。 見事にその大学に合格したのですが、結局進学したのは他の大学。裏富士を見るチャンスを自ら奪い取ってしまった青春時代でした。後年、裏富士を見る度に、あの時の受験と富士山、あっけなく進学校を変えてしまった私を思い出します。 その時から今まで、何度となく富士山を眺める機会がありました。新幹線からの富士はもちろんですが、娘が住んでいた埼玉市のマンションからの富士、中央道を走っていると目に飛び込んで来る富士、富士五湖からの富士、乗鞍からの富士など、富士山の周囲からその勇姿を眺めてきました。また登ったのは5合目まで、それ以上登ったことはなく、いつか頂上からのご来光を拝んでみたいと思いますが、登山する勇気が出てきません。やはり富士山は遠くから眺めるのが一番と心の中で呟いております。 今後、益々訪れる人が多くなりそうな富士山。登録前から議論されてきた自然保護対策不足ゴミ・し尿処理など解決しなくてはいけないことがたくさんあると聞きます。いつまでも美しい姿を保てる様に、私たちに課せられた宿題なのかもしれません。自然への畏敬の念を忘れずに。 |
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Fukiko | |||
粉瘤(ふんりゅう) | |||
今年の春に、右首のところに2センチくらいの硬い塊がもっこりとできました。 「こぶとりばあさんになってしまった!」「痛くも痒くもないこの塊はいったい何?」「悪性腫瘍?」と不安気に自問していました。好奇心旺盛な孫達は、「何?」と触り初めて体験する感触に目を丸くし、2才の孫は不思議そうに目をやっては、見てはいけないものを見てしまったように視線をそらします。 先月思い切って医者に診てもらいました。触診して「はい粉瘤ですね。」と即診断。「簡単な手術ですから、今から取りましょう。」と私が心の準備をする間もなく、即にベッドの上。麻酔をしてあっという間に手術終了。 これだよと、黄色い塊を見せてくださいました。「宝石のようないいものができればいいのに・・・。」と私の言葉に、先生は苦笑い。 術後の消毒は、水道水でジャージャーと洗い流し、化膿止軟膏を塗っただけ。傷が治るまでは、これを繰り返しました。先生曰く、「従来の消毒液は、良い菌も殺してしまうが、水道水は、良い菌を殺してしまわず治りが早い。」とのこと。 粉瘤は、アテロームとも言われ、皮膚の下に袋状の構造物ができ、本来皮膚から剥げ落ちるはずの垢(角質)と皮膚の脂(皮脂)が、剥げ落ちずに袋の中にたまってしまってできた腫瘍の総称だそうです。良性の腫瘍だそうですが、ときに化膿して真っ赤に腫れ上がったりすることがあるそうですよ。 兎にも角にも、不思議なものができてしまう私の体にびっくり!そして水道水にも驚きました。 |
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