Sing... うたう          Oct. 2013    
 澄み切った青い空と白い雲が美しい季節となりました。
芸術・読書そしてスポーツの秋となり、1年でいちばん過ごしやすいのが、今の時期ですね。

 9月7日のIOC総会にて、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定しました。総会での、日本招致委員のプレゼンテーションには、思わず聞き入ってしまう内容の連続でした。中でもトップバッターで発表されたパラリンピック選手佐藤真海さんのプレゼンテーションでは、思わず涙してしまいました。また滝川クリステルさんの「おもてなし」プレゼンテーションも印象に残っています。
 でも、福島原発や被災者救済の件、多額の経費がかかる新たな競技場建設など、クリアしなくてはいけない課題がたくさんあります。この課題を解決することが、今後7年の間に課せられた私達の宿題です。そして、その宿題と対峙しながら、東京オリンピックという希望の明かりに向かって、私達は歩んでいくような気がしています。

 49年前の1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックは、私が中学1年生の時でした。
当時は、故郷の中学校もオリンピック一色。運動会では、五色の鉢巻きを締め、三波春夫さんが歌った「東京五輪音頭」のダンスを踊ったこと、五色の輪をもってのマスゲームをしたことを思い出します。
そして待ちに待った10月10日は、雲ひとつない青空。開催式開始のファンファーレが競技場に鳴り響き、入場行進曲に合わせて選手団の行進がはじまりました。トップの入場はギリシャ。
アルファベット順に各国の行進が続き、ラストは日本選手団です。赤のブレザーと白いボトムスを着用した選手の勇姿が印象に残っています。そして空に五色のスモークで五輪の輪が描かれ、縄文式土器をイメージした聖火台への点火など、初めてみるオリンピックに、心高鳴り感動したのを思い出します。まさしく「世紀の祭典」オリンピックに値する開会式でした。
 
 連日行われる競技の数々、学校の授業は、オリンピック鑑賞の時間になったことが、度々ありました。一台のテレビの前で、日本人選手の活躍に同級生たちと一喜一憂していました。
今でも、あの時活躍していた選手の映像が浮かんできます。女子バレーボールチーム 男子体操の遠藤・小野・山下選手 重量あげの三宅選手 陸上の飯島・依田選手 マラソンの円谷選手 水泳の中山・木原選手 柔道の神永・猪熊選手の姿を思い出します。外国選手では、チャスラフスカ・アベベ・ヘーシンク・ヘイズなどの金メダル、またソビエトの砲丸投げのタマラプレス選手の巨体も印象的でした。
 当時は、チャンネルをガチャガチャと回す白黒テレビがほとんどでした。その後、市川崑監督映画「東京オリンピック」を鑑賞し、美しいカラーの臨場感溢れる映像から、選手達のみなぎるエネルギーや表情が伝わってきて、再度感動したことを思い出します。

 7年後は、今以上にデジタル化が進み、果たしてオリンピックは、どのようなIT機材で観ているのでしょうか、楽しみなことです。でも何と言っても「生が一番!」。東京でオリンピックが観られるよう、今から健康に気をつけて過ごさなくては!と思っています。
 7年後に向けて新たな目標ができました。
Fukiko
親子でチャレンジ!円座作り
 敬老の日におじいちゃん・おばあちゃんにプレゼントする円座作りの講習会を開催しました。円座は毛糸を指で4~5mの紐に編んだものを、くるくると渦巻き状につないで作ります。それを花束の様にラッピングをし、メッセージを添えて完成させます。
   
 当日は、幼稚園児と小学生の親子33人の参加がありました。指編みをするのは、ほとんどの親子が初めての体験でしたが、挫折する子もなく見事に完成することができました。「こんなに落ち着いて集中するわが子の姿を見るのは初めてです。」「お世話になっているおばあちゃんにプレゼントするんだ。」というお母さんや子供たちの言葉に、大好きなおじいちゃん・おばあちゃんへの思いが伝わってきました。そして、ラッピングした円座を大事そうに胸に抱えた、子供たちの満面の笑顔は、私への素敵なプレゼントとなりました。

               
上質の細モヘア3色を引き揃え、

美しいグラデーションを

表現した横編みのプルオーバー

ふんわりとした色と風合いに

心まで満たされます。
2013~2014秋冬
「すてきな手編み」に掲載中
日本ヴォーグ社