Sing... うたう          Aug. 2015    
 毎日猛暑の日が続いております。頭がジリジリと熱されてしまうようです。

 “キャンディー アイスキャンディー”の声が近づいて来ます。
アイスキャンディー入り木箱を自転車の後ろの荷台に積み、ゆっくりとペダルを踏みながら売っていたおじさんの声です。
 田舎の田んぼの向う、山のふもとの神社のあたりから“アイスキャンディー…”の声が聞こえてくると、お母さんから10円玉をもらい、その声が近づいてくるのを待つのです。それまでに村の家々を回ってくるのですから、少々時間がかかります。そして、やっとおじさんが到着し、木箱の中からアイスキャンディーを出し手渡してくれます。

 その様子を、家の陰から羨ましげに見ている少女がいました。その少女は、幼い頃の私です。
私は、そのアイスキャンディーを食べた記憶がなく、美味しそうに食べている友達の顔の記憶しかありません。“私も、アイスキャンディーを買いたい!”と、母に何度も懇願するのですが、“ダメ 汚い”と拒否されていました。みんな美味しそうに食べているのに、「汚い? なぜ?」と幼い少女には、母の言葉の意味が解せません。おじさんの“アイスキャンディー”の声が聞こえてくる度に、“食べてみたいなあ!”と寂しい思いをしながら、その声を聞いていました。

 母がなぜ頑なにアイスキャンディーを拒否していたのか、後になって、母が教えてくれました。
それは、私が生まれる前の夏、姉に夜店で売っていたジュースを飲ませたところ、直ぐに疫痢に罹り、嘔吐・下痢・発熱・意識障害と一晩生死の淵をさまよったそうです。両親や祖母、親戚の人達が、一晩中寝ずの看病をし、やっと命を取り留め、一同胸をなで下ろしたとか。祖母は一晩中、お百度参りをするように、土間を歩き回っていたそうです。
 
 疫痢の原因はジュースだったかどうか定かではありませんが、母はそれに違いないと思ったようです。それ以来、生の飲み物、食べ物には、人一倍神経質になり、自分の目で確かめて、安全だと思うものしか食べさせてくれませんでした。今と違って当時は、衛生面の規制はあまりなく、随分ゆるい状態の食品管理をしていましたので、疫痢で命を落とす子供達が多かったそうです。
 母の子供達への食べ物にたいする神経質さは、しばらく続きました。その後、容器の中で噴水の様にジュースが出ている自動販売機が登場しました。が、それもしばらくの間拒否をし続け、高校生になってやっと許しをもらったように思います。
 
 今では、食品の徹底した衛生管理は、それを扱う人達の必須条件です。孫たちがアイスキャンディーを頬張る姿をながめては、幼い頃のあのおじさんのアイスキャンディーは、いったいどんな味がしたのかしら?と思う盛夏です。
Fukiko
盆踊りウォッチ
 先日、久しぶりに盆踊り大会に参加してきました。
 超高齢化しているこの団地に、こんなに子供達がいたのかしら?と思うぐらい元気な子供達で会場はいっぱいです。夜店の前には行列ができ、会場の中心の櫓まで、行列が何本も伸びてきています。
 各丁内自治会が出店している夜店は、破格の値段の品々ばかり。安心して、子供に買い物をさせることができます。そして、私たちも童心に帰っての夜店散策です。
 
 ベビーカーに孫を乗せた近所の奥さんの姿にびっくり! あれ!私より随分若いのに、いつの間に、おばあちゃんになられたの・・・。
 学生さんだと思っていた彼女が、ママになっていて、その同級生と話している周りには、彼女達の子供達が走り回っています。
AKBが着ているようなフリフリレースのついた子供達の浴衣姿にびっくり! 浴衣ドレスって言うそうな。
 同年代の人達は、お久し振りさんに会えるかと思って来たのとの声。そして、その姿を見つけて笑顔の花が咲いています。
 そして、以前お会いしていた高齢者の皆さんの姿が少なく、いったい、どうされているのかしら・・・?と少し寂しさが・・・。

 若い世代が多くなっている会場を見回しながら、“ここも世代交代してきているのね。“と思い、踊りの輪の中へ。
 会場ウォッチをしながら、約2時間の盆踊りタイム。爽快な汗を流した夜でした。
 3色の糸をかえながら

ネックから裾に向かって

編んだベスト

グラデーションカラーが

新鮮です。