Sing... うたう        Nov. 2017
 季節外れの台風が2つも襲来し、秋なのか夏なのか戸惑い気味の10月でした。そして、気が付けば11月。今年も2カ月足らずとなってしまいました。

 2年前の鵜沼宿脇本陣ニット展の開催中に、奈良市の女性が来場下さいました。百十郎桜の鑑賞するため来市され、ついでに寄った脇本陣でニット展を見て下さったとのこと。その時に、案内ハガキに載っていたセーターの編み図を差し上げました。
 後日、「時間はかかりましたが完成し、友達に羨ましがれました。」との嬉しいお礼のお便りが届きました。

 昨年は、私からショー・ニット展の案内をお送りしました。そうしますと、「皆様の素晴らしい作品に触れたいのは山々ですが、何分遠方でもあり高齢でもありますので、残念ですがお邪魔できません。ご成功をお祈りいたします。私ごときにまで、お気配り頂いたこと厚くお礼申し上げます。いつか、どこかで先生の作品にお逢いできますこと祈っております。」と手紙の書き方のお手本のような美しい文のお便りが届きました。お目に掛かった時に、上品な雰囲気の方との印象でしたが、そのお姿通りの教養の深さがにじみ出たお便りに感激しました。

 そして、今年もニット展の案内をお送りしましたところ、またお便りを頂きました。それも奈良県吉野郡川上村からです。「奈良市で若い人と一緒に住んでいましたが、故郷の田舎が恋しくなり1人のんびりと暮らしています。でも時々都会の空気を吸いに行っています。お年寄りがほとんどですが、生まれ育った故郷が私にとって一番です。先生の益々の発展を願ってやみません。そして、ニット展のご成功をお祈り申し上げます。」と書かれておりました。きれいな水や空気に育まれた吉野杉が有名な川上村。元気に過ごされている様子が想像できました。

 6月に入ると川上村から1本の電話がありました。お手紙を下さる方のお友達からでした。
ニット展の案内はがきに載っているニットを編んでみたいので、図々しいのは百も承知ですが編み図を送って頂けませんか?との電話です。そのニットの編み図は作っていないので、他のデザインの編み図をお送りしましたところ、先月その方から、お便りがありました。「あまり視力が良くないので上手く編めていないのですが、写真を送らせて頂きます。友達も頑張って編んでいます。」と編みあがったニットの写真が同封されていました。吉野の山里で吉野桜のように私デザインのニットが花開いているなんて、デザイナー冥利に尽きるお便りでした。

 人と人の縁は不思議なものです。一度きりしかお会いしていないのに、ご縁が続いております。それも、そのお友達ともご縁ができる不思議さです。このご縁を大切にしなくてはと思います。そして、ニットの花がまた開くことを願いながら、早速今季の編み図をお送りします。
Fukiko

久留米木

 先月、以前から行きたいと思っていた井伊家発祥の地、浜松市井伊谷にある久留米木の棚田へ行ってきました。NHK大河ドラマ「直虎」で一躍有名になったところです。
 
 井伊家が開墾して作ったという「久留米木の棚田」は、季節により色を変える約800枚の棚田があり、「日本棚田百選」に数えられています。
 当日は、黄金色に実った稲穂がこうべを垂れ、今か今かと刈り取りを待っているような棚田の素晴らしい景色に、見入ってしまいました。
 数日後にはドラマの最終回のロケが行われ、その後刈り取り作業がされるとのことを聞き、滑り込みセーフのグッドタイミングの見学に感激してしまいました。ドラマの最終回を見逃さないようにしなくては!
 この棚田美しさの要因は、田作りに欠かせない水の導水や分水などの農業土木が古くから伝承され、美しい棚田と共に井伊家の家臣の末裔や地域の人達によって伝えられてきたからだそうです。
 
 棚田から少し山の方に歩いていくと、ドラマによく出てくる「竜宮小僧」の伝説の淵に行けます。でも当日は、時間がなく行けなくて残念でした。
この竜宮小僧の伝説の水が、今も久留米木の棚田を潤しているそうです。


竜宮小僧伝説

昔、久留女木の川に竜宮に通じていると言われた渕がありました。
そこから小僧が出てきて村人と仲が良くなり、いろいろな仕事を
手伝ってくれるようになったそうです。
ある日、村人が感謝をこめて、食事に招きました。ところが、うっかりして
小僧には毒となる「たで汁」を出して死なせてしまいました。
悲しんだ村人が、ていねいに小僧をここに葬ったところ、
こんこんと湧き水が出てきました。
以来「竜宮小僧がこの水を竜宮から送ってくれている。」と言われています。

 近隣の強国の今川・武田・徳川・北条・織田に翻弄されながらも、井伊家を守り抜いた直虎、その意志を引き継ぎ徳川四天王にまでなった直政。その根底には国の基は、そこに暮らす人々が一番大切という礎があったからこそ、井伊家が滅びずに発展したのでしょう。
 久留米木の棚田や農民を大切にしていた井伊家の姿が垣間見えた、棚田見学でした。
 どこかの政治家も見学してほしいなあ。