Sing... うたう Apr.2019
         
 桜の花が満開の4月となりました。柔らかい日差しの中花たちが笑っています。まさしく「花笑み」。そして皆さんの素敵な笑顔が満開となる季節です。

 先日、私の母方のいとこ達に会ってきました。
母は、5人兄弟姉妹、その子供達は私を含め11人。
その内の6人との「いとこ会」になりました。
 近年、晴れの日に会う機会がなく、お葬式や法事で顔を合わせてばかり。その度に、「にぎやかな席で会いたいね。」と繰り返すこと10年、やっと実現した「いとこ会」でした。
 
 「久しぶり!」「変わってないね!」と同窓会に参加したような会話の数々。幼い頃、お盆やお正月に母の実家で賑やかに遊んだ日々が、よみがえってきます。皆で近くの海で海水浴したこと。怪談話でトイレに行けなくなったこと。田舎育ちの私はズック靴だったのに、都会育ちのいとこが革靴を履いていたこと。そしてスーツ姿の男の子、ミルクのみ人形をもっていた女の子。うらやましかったなあ!とセピア色の写真を眺めながらワイワイガヤガヤ・・・。
 
 でも、1人のいとこが3年前に白血病を発症したと言った時には、全員が言葉を失いました。昔と変わらず元気そうな姿に信じられない気持ちになりました。
 疲れやすいと思っていた頃に定期診察を受け、白血病とわかったのは57歳の時。そして、発病から半年後に、一致するドナーが見つかり、骨髄移植をして幸運にも治ったそうです。
でも、いくらドナーが見つかっても、ドナーの生活や提供時の体の負担などのリスクから、提供を拒否される方もあると聞きますが、そのドナーの方は提供して下さったとのこと。提供して下さった若い男性に、感謝の気持ちでいっぱいだと話していました。
 移植そのものは、静脈に注射するだけなので、苦痛はあまり感じられないとのことでしたが、苦しかったのは、移植前の無菌室での抗がん剤の投与と放射線照射の副作用とのこと。
そして、移植後になったうつ病で苦しんだそうです。
 今は、うつ病も治り社会復帰していますが、発病前のような元気な体には戻れていません。あと少しで60歳の定年を向かえますが、それまで頑張って仕事をするそうです。
とにもかくにも、いとこ会に出席できたのは「良かった」と異口同音のいとこ達でした。

 いとこ達から飛び出した話の中に、おばあちゃんの話題がダントツに多く、それ程インパクトのあるおばあちゃん。善しきにつけ悪しきにつけ強烈な個性のあるイケてるおばあちゃんでした。
 そのおばあちゃんの逸話の数々を知っているのは、89歳の叔父しかいません。次回は、その叔父を交えての「いとこ会」にしようということになり、お開きとなりました。
 次のいとこ会が楽しみです。元気でいなくては!!
Fukiko
突発性難聴
 主人の右耳が聞こえなくなりました。左耳は元々難聴。両耳が不自由になってしまい、耳元で大きな声で話さないと聞こえなくなってしまいました。耳鼻科で診察してもらうと「突発性難聴」との診断です。
 
 突発性難聴は、症状が出てから1週間以内に治療しないと、治癒率が下がるとのこと。主人は辛うじて1週間以内でしたが、若くはないので完治の保証はできないと言われました。
 その治療方法は、ステロイドを1週間投与すること。でも、その副作用で、糖尿病の人は血糖値が上がるので、気をつけないといけないそうです。主人は、その糖尿病患者。即入院と決まりました。直ぐにステロイド投与してもらうと、見事に血糖値が上がり、直ぐにインシュリン注射です。この繰り返しの1週間でした。でも聴力は回復しませんでした。そして、会話は筆談となり、この状態が一生続くのかと思うと、気の毒でなりませんでした。

 次は、高気圧酸素のカプセルに入っての治療法です。この治療に望みを託すしかありません。そのカプセルに1時間半入るのを5日間続ける治療です。
一進一退はありましたが、幸運にもほぼ聴力が戻り、ホッと胸をなで下ろしました。また、元の生活に戻れそうです。

 「私も突発性難聴になったよ。」と言われる方が、意外と多いのにびっくりしました。主人と同じ治療をして完治した方、治療を始めるのが遅く全く聞こえなくなってしまった方もいらっしゃいました。主人は、タイミングよく治療に掛かれたことが幸いしたのでしょう、無事退院することができました。
   アシンメトリーに配した

V模様が印象的な

目にも肌にも涼しい1着

横編みにした

リラックス感のある

ボックスシルエットが

おしゃれです


デザイン/Fukiko
ヴォーグ社出版2019春夏
すてきな手編みに掲載中