Sing... うたう Dec. 2021
         
 行く秋を惜しむかのように、色とりどりの葉が舞っております。
そして、木枯らしの便りが届きそうな寒さとなり、ふと気が付くと、12月師走になっておりました。
街は、クリスマスイルミネーションやオーナメントが美しく、ケーキやプレゼントの商品案内も賑やかにです。そしてその隣では、お正月のしめ飾りや鏡餅が置いてあり、おせち料理いたっては、10月頃から注文の受付が始まっておりました。また今日は、早くもお雛様のチラシが入っておりました。
なんだか季節感が麻痺してしまいそうな、何かに急き立てられるそうな昨今です。

 今年も、コロナコロナの1年でした。ワクチン接種も済ませ、これでひと安心と思っていました。が、感染者が再び増え続け再々度の緊急事態宣言が発せられ、9月末日まで自粛生活をしいられました。10月からは、少しずつ日常生活を戻しつつあります。
でも、マスク・消毒は必須アイテム、油断は禁物です。

 昨年の秋は、コロナさんのご機嫌が良かったことを思い出し、今年もご機嫌がよさそうなので、このチャンスを逃すまい!と、11月下旬に鹿児島へ行ってきました。憧れの九州新幹線さくらに乗車しての旅でした。車内は、旅行客に配慮した飛行機のビジネスクラス並みのゆったりとした座席で、快適な乗り心地でした。でも楽しみにしていた車窓からの景色は、トンネルが多く、ほとんど楽しむことはできませんでした。残念!そこでFree Wi-Fiをスマホにつなぎ、音楽を聴いたり、編み物をしたりと日常生活を忘れてゆったりとした時間を過ごした車中でした。
 指宿・知覧・鹿児島市では、観光タクシーの運転手さんに懇切丁寧に案内して頂き、こちらもゆっくりと観光することができました。11月の超ハードスケジュールをこなした自分へのご褒美と思い、元気パワーをチャージできた旅でした。

 その旅行に行く直前に、南アフリカで、変異種の「オミクロン株」が見つかりました。その後ヨーロッパの各国で見つかったとか。そして一気に世界各国に広がりました。でも、島国の日本は大丈夫と思っていましたが、ついに上陸してきました。世界と頻繫に人の行き来がある昨今です、日本だけ例外ということはないでしょうね。ワクチンが効くのか、重症化するのか、感染力の強さはどうかなど、未知の変異株だそうです。とても不安です。

昨年出来なかった編み物教室のショー・展示会も、やはり今年も涙を呑むこととなりました。そのために製作していたニット達は、出番が無くなり淋しい思いをしております。来年こそは、華々しくステージに登場できますようにとニット達が待っております。
オミクロンさんあまり暴れないでね。よろしく!
Fukiko
一文字名字
  先日の鹿児島旅行中のこと、指宿市のタクシー運転手の名前は「武」さん。
鹿児島市の運転手さんは「保」さん、偶然にもお二人ともご両親は奄美大島出身とのことでした。そういえば、ホンジャマカの「恵」さんもご両親が奄美出身と聞きました。
 「保」運転手さんのお話では、奄美には一文字名字が多く、「元」「中」「祝」など400種類くらいあるとのことです。

 なぜ、一文字名字が多いのでしょうか? それは、江戸時代、薩摩藩に支配されていた奄美では、名字は一文字と決められた時代があったからだそうです。
 当時、薩摩は中国と貿易することで、藩の力を高めたいと思っていました。
しかし、中国は貿易する相手を琉球王国などに限定していました。そこで目を付けたのが、薩摩にも琉球にも近い奄美だったのです。薩摩は、奄美を支配し貿易をすることにしたのです。しかし、奄美を直接支配し、貿易相手が薩摩だということを中国に隠すため、島民の二文字の名字を一文字にするよう強要したのです。
 また、名字を持たない農民が多く、一文字名字を名乗れたのは、武士と同様の身分の人たちだったため、ステータスシンボルを得るために一文字名字を得ようとこぞって一文字名字を付けたそうです。このようにして一文字名字がどんどんと増えていったそうです。

 奄美の人達は、貿易のために支配された上に、サトウキビの栽培や黒糖の加工に従事させられた上に、それらは全て薩摩藩に供出させられたそうです。島民は、ソテツの実や少しの作物で生活することを強いられ苦労の連続だったとの「保」運転手さんの話でした。
 都会的なセンス溢れる

アシンメトリーデザインの

棒針編みセーター

スキー毛糸ルボアを使用

Design/Fukiko