Sing... うたう Jan. 2022
         
 新年あけましておめでとうございます。寅年の幕開けです。
 寅年は、春が来て草木が成長するように、物事の成長が期待できる年だそうですが、新型コロナウィルスよる閉塞した毎日が、緩和される1年になるかもしれません。

 年末年始にかけて、寒波が襲ってきておりました。特に日本海側の地域は、記録的な積雪量となり、私の地域もまるで冷凍庫状態でした。
 その寒さを言い訳にして、「ホコリでは死にましぇーん」と大掃除は大さぼり。お節作りも「注文したお節があるよね」と黒豆を作ったのみで、またまた大さぼり。こんな私でいいのかしら?と少し後ろめたさを感じながらも、冷え性だし寒いしと言い訳をブツブツ。気が付けばカウントダウンの大晦日に、そして元旦を迎えていました。

 お正月の新聞に「所ジョージさん、幸福って何ですか?」という記事が載っていました。
「朝起きたら、幸せだと思うのが大事。生きているのを確認できたんだから。」「やりたいことがあるから、いつも朝早く起きる。前日寝るときには、遠足の前の晩と同じように、嬉しくてしょうがない。」と、「毎日の生活の中に幸せがある」と。例えば、中古の時計を毎日磨き続ける。
 輝きを取り戻した時計を売るわけでも展示するわけでもないそうで、目的もあてもないのが魅力的でやりたいことをやっているのが幸せなのだそうです。
 また「暮らすためには、物語がいっぱい欲しい」と言われ、例えばコンビニやインターネットは便利だけれど早く手に入れてしまうと、物語が足りないそうです。例えば食材を乾物にするには、風や日当たり・温度を見ながら仕上げていく楽しさがあり、そこに物語が生まれるそうです。
 毎日の生活に喜びを見出し・気負わずマイペースで生活されているからの、にじみ出てくる魅力とあの笑顔なのでしょうね。
 それにしても、大さぼりだった私の年末の大掃除やおせち料理つくりには、物語が欠如していました。まさしく嫌だ・面倒臭いと自ら楽しくなる芽を摘み取っていたようです。反省です。

 「今日が一番幸せだから、夢も目標もない。みんなシャキッとしているのがベストだと思い過ぎ、お腹が痛ければ痛いなりの楽しさを探す。笑う人の所には人は寄ってくるからさ。」と所さんの言葉に、思い出したことがあります。お正月のテレビで、北野たけしさんと鶴瓶さんが今年の抱負は聞かれ、「ありません」とそろって答えられたことです。その時には、もうやりたいことはやってしまったからの言葉だと思っていましたが、後日所さんと同じような生き方をされているお二人だからかの「ありません」だと気付きました。
 また、私の父は「ありがたい、ありがたい」が口癖でした。朝起きると「ありがたい」。夜寝るときも「ありがたい」。夜中トイレに起きても「ありがたい」と一日に何度も言っていました。
 今から思うと、父も所さんのような物語を作っていたからの言葉だったのかもしれません。

 今年は、私も3人さんや父のような生き方へシフトしていくことにします。
 今が一番幸せと思えるように・・・。毎日楽しい物語が生まれるように・・・。
Fukiko
道草のすすめ

長野県伊那市の中学校の校長先生が、「下校中に桑畑の実を食べ、林に基地を作って遊んだような、楽しかった経験を生徒にもさせてあげたい」と思い、また「今の子供たちは忙しくて自由がない。近くで咲く花にも気付かない。
将来何を思い出すんだろう。」と「道草を食ってもいい日」を作られたそうです。最初、生徒たちは「どう道草をすればいいの?」と戸惑い、先生や親たちは「学校が乱れる」「事故にあったらどうする」と反対しました。でも、すぐに伊那の良さを知り、生徒同士のコミュニケーションも深くなったそうです。
  
 私の小学生時代の下校中は、春には田んぼのレンゲや土手に咲いているタンポポの花摘み、夏は用水路の中をジャブジャブと歩き、途中メダカをすくい、学校にはゴム草履を履いて行っていました。秋は裏山の中を歩いて椎の実やドングリ拾い、冬は霜柱踏みや雪合戦と、道草の思い出が次から次へと浮かんできます。学校の授業よりも、道草をしながらの記憶の方が多いような気がします。そして、同級生たちの笑顔も。
 きっと、そんな道草で心の中の澱のようなものを、吐き出していたのかもしれません。
 
  今は不審者の出没や交通事故など、危険がいっぱいの時代です。「寄り道せずに真っすぐ家に帰ること」と言われてしまうのは、仕方のないことかもしれません。でも友達の家にちょっと寄ってみる・公園で立ち話・歩きながらの雑談など自然に触れることはできないけれど、会話での道草ならできるかもしれません。

 「おしゃべりは文化だ」と聞いたことがあります。と言うことは、おばさん達のおしゃべりはたくさん文化を創造している? そんな高尚な話をしているわけでもないけれど・・・。おだてられれば増々口八丁になります。
 
 そんなおしゃべり文化を創造しているのが、私の編み物教室かもしれません。
どうも編針が動いているよりも、口の方が盛んに動いている人が多いような気がします。そして、「あ~スッキリした!」と笑顔で帰宅されます。その様子から私も笑顔になり、元気パワーをチャージしてもらうのです。

 小学生時代にいっぱい道草をしたように、人生の道草のできる編み物教室です。
一緒におしゃべりしませんか?もちろん編み物も、です。