明治維新と春日井

明治維新と春日井 <春日井郷土史研究会研究紀要第7号 「ふるさと春日井の歴史草稿」(市民向け春日井の歴史通史)>

 

                                         富中 昭智

 

 (1) 明治維新と春日井   

 春日井地区は、かつて織田信長の直轄地だった。江戸時代になると尾張徳川家が治めたのは周知のとおりである。尾張藩は徳川御三家の筆頭であり、当時、藩の実権を握っていた徳川慶勝は、会津藩主松平容保と桑名藩主松平定敬の兄であったことから、幕府方について佐幕派としての運命をたどったのではないかと思いがちであるが、実際は政治の主導権を巡って激しく政争が展開された。

 尾張藩の動き「青松葉事件」

 元治元年(1864)、孝明天皇の勅令に従い、禁門の変への責任を問うための第一次長州征伐が起こされ、征長総督として尾張藩の前々藩主徳川慶勝が出陣している。慶勝は再三固辞したが受け入れられず、全権委任を条件に引き受けた。そこで、長州藩に三家老の切腹等という形で征長軍に恭順を示させ、一応の決着を見る。しかし、この後、長州藩では恭順派を一掃して幕府に対抗する姿勢を示したため、幕府側は再び長州征伐(1866)を行うも、今度は長州が圧勝し終わった。

 そんな状況のなか尾張藩で起きたのが「青松葉事件」(1868)である。当時、藩内は尊皇攘夷の「金鉄党」と、佐幕の立場をとる「鞴(ふいご)党」とに分かれていた。14代藩主徳川慶勝は尊皇攘夷の立場であり、安政の大獄で蟄居を命じられ、鞴党が優位にあったという。しかし、桜田門外の変で井伊直弼が失脚すると慶勝の蟄居が解かれ、逆に金鉄組が息を吹き返した。そこへ大政奉還・王政復古の大号令が行われ、鳥羽伏見の戦いで幕府軍が敗走すると、120日に慶勝は京から名古屋城に戻り、長い御前会議に入った。当時の藩主はわずか9歳の義宜であり、実権は慶勝にあった。午後4時ごろ、年寄渡辺新左衛門、大番頭原勘解由、大番頭格石川内蔵允の三人が筆頭家老成瀬隼人正に呼ばれ、問答無用に二之丸御殿向屋敷の庭先で処刑されるという事件が起きた。結局、25日までに鞴党を中心に重臣から一般藩士まで14名を斬首、20名の処罰が行われた。

その後、尾張藩は新政府軍側に立ち、官軍は名古屋を通過し東海道を上り江戸城に向かっている。態度保留としていた東海の各藩も、この尾張藩の動きを見て雪崩をうって新政府軍側へついた。もし、このとき尾張藩が佐幕についていたら、会津のような大会戦の戦場になっていたのかもしれない。それを避けえたという意味では、慶勝の決断は評価されうるべきものなのだろう。ただし、その後の尾張藩の地位は冷遇されたと言っても過言ではなく、新政府内での地位は低かった。

『子爵田中上二麿伝』に、この青松葉事件のきっかけとなった「義宜擁奪東下クーデタ」の計画が紹介されている。そのなかで、佐幕派からの血判状への署名を求められた、佐枝新十郎という家臣が注進したために発覚したという。実はこの佐枝新十郎の父は佐枝種武といい、彼の給地(大名領主が家臣に与えた土地)が春日井の高蔵寺だったことは、もっと知られてよいと思う。『高蔵寺町誌』によると、高蔵寺用水の開削への功績が大きかったという。今でも当地では「佐枝まつり」が毎年行われているとのことである。

また、『春日井市史』には、慶応3(1867))に、内津村には王政復古を一般庶民に知らせる高札が揚げられ、慶応4年(1868)には下原に成瀬隼人の名前で、徳川慶喜が将軍を辞したことを知らせ、朝廷の正当性を強調する高札が立てられたことが紹介されている。

草薙隊設立

 これらの動きに春日井地区も無縁ではおれず、慶応元年(1865)、上条村の林金兵衛がこの地区から「卒二千八百人、馬六十餘頭」を調達して奉じたとある。また、この林金兵衛は、慶応4(1868)の鳥羽伏見の戦いのときに、彼の邸宅に集まった31人で義勇軍を組織して京都に赴き、皇居を守る者が甚だ少なかったので南門を守護したとある。金兵衛は、この時すでに尊王攘夷の考えで動いていたことがわかる。

 また、同じく慶応4年(1868)に、尾張藩士田宮如雲が京都市中総取締となるに及び、水野代官から一隊を編成してこれに加わるように金兵衛に命じた。金兵衛は近隣の村から62人の義勇兵を募り、隊長として引率する。春日井からは24人の参加だった。尾張藩はこれを熱田神宮にちなんで「草薙隊」と称し、まずは京都市中の巡邏の任についた。

 この草薙隊について、金兵衛は軍紀や勤王の意を表した歌謡を作っている。その中で金兵衛は、草薙隊に武士らしくあることを求めている。この草薙隊が実は「農兵隊」であることを考えると、立場は逆ではあるが新撰組に一脈通じるものがあって興味深い。

他にも、草薙隊は、甲府地方浪士の暴動を鎮めたり、飛騨国での内乱を収めたりしている。また、明治212月に起きた稲葉騒動(中島郡稲葉宿を中心に起きた大規模な農民一揆)にも藩兵とともに出動し、特に清須宿の大集結には空砲による威嚇射撃が効果をあげなかったため、実弾射撃を行い、相当数の死傷者を出して鎮圧している。明治3(1870)に、北地総管所の藩兵と草薙隊を併合し、「北地隊」が誕生したが、世の中が落ち着いてきた明治4年に、この北地隊は解隊された。

 明治維新

 これら動きのなか、慶応4(1868)314日に明治天皇が公家・諸侯とともに神前に誓うという形で明治政府の基本方針を打ち出した。これを「五箇条の御誓文」という。同年421日には、この御誓文を冒頭に掲げた「政体書」を布告した。これは新政府の政治体制を示したものであり、中央政府として太政官を置き、その下に立法・行政・司法の三機関を配置する三権分立の体制をとった。そして、立法は議政官に、司法は刑法官に、行政は行政官・神祇官・会計官・軍務官・外国官に、と七官に分けた。そして、地方は府藩県が定められ、府県には知事を置き、藩はそのまま藩主に治めさせることとした。この尾張藩は「名古屋藩」と改称され、藩主は尾張徳川家のままだった。ちなみに、これに先立つ1月には、尾張藩から犬山藩(成瀬家)と今尾藩(竹腰家)が独立している。

五箇条の御誓文が出された翌日315日には、「五榜の掲示」が五つの高札とて太政官によって立てられた。これは明治政府が民衆に出した禁止令で、全国各地に掲示され周知徹底が図られた。

5月に函館戦争が終結し、ようやく戊辰戦争が終わると、日本全国が新政府の支配下に置かれることとなったわけである。6月には新政府は諸大名に領地と領民を天皇に返還させる「版籍奉還」を行わせ、藩主を藩知事に任命して地方長官として扱うこととした。

7月には水野代官所が廃止され、8月の行政改革で、南方(横須賀)、東方(水野)、北方(美濃太田)の三つの総官所が設けられることとなった。春日井地区は春日井郡の一部とされて東方総官所の管轄に入り、役所は元の水野代官所に置かれた。そのため、各布告は、春日井の村々には名古屋藩庁(尾張藩庁)から東方総官所を経て、下原村や下原新田(東野、六軒屋、八幡)には犬山藩庁から伝達された。

 また、7月に江戸は東京と改められ、9月には「明治」という元号となり、10月には明治天皇が京都から東京に入った。明治2年に東京城(元江戸城)を「皇城」(皇居と呼ばれるようになったのは戦後)とし、東京への遷都がなされた。これら一連の動きを「明治維新」という。

 庶民の生活の変化

 明治2年(1869)年に明治政府が、皇族、華族(公家・大名)、士族(武士)、平民(百姓や町人)と身分制度を改め、身分による結婚、・職業・居住地の制限を廃止した。明治3年(1870年)919日には平民苗字許可令が出され、平民が「苗字」を使用することを許し、明治8年(1875年)213日には、平民苗字必称義務令により、国民に公的に苗字を持つことを義務付けた。「祖先以來苗字上分明ノ向」の者は、自分で苗字を創作することとした。なお、結婚後、妻の苗字について夫婦同氏の原則になったのは、明治31年(1898年)に明治民法が制定されてからという。また、1876年(明治9年)の廃刀令によって、帯刀は許されなくなった。そして、明治4年(1871)に解放令が出されて、「穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス」とされた。

暦については、明治5年(1872122日まで太陽太陰暦(天保暦)とし、明日から明治6年(1873)1月1日とし、太陽暦であるグレゴリオ暦に改めた。しかし、生業である農作業には、それまでの旧暦が便利であったため、農村ではなかなか普及しなかった。また、同時に、時法についても、それまでの日の出と日没を基準とする上定時法から、一日を24等分する定時法が採用された。上定時法で使用する和時計について、春日井市の密蔵院が所蔵していることを当院のHPに掲載しているが、「明治17年仲夏、密蔵院第48世吉田源應住職が名古屋市柳原長栄寺より購入と誌されています。」とあるところから、定時法も普及するまでには時間がかかったようである。ちなみに、標準時が制定されるのは、意外と遅く、明治17年(1884)の国際子午線会議を受けて、明治19年(1886)のことであり、時間の大切さを尊重する意識を広めるために設けられた「時の記念日」の制定は大正9年(1920)のこととなる。

明治4年(1871)には、前島密が東京〜京都〜大阪間に郵便開始した。同じく明治4年(1871)に貨幣法によって日本の貨幣単位として「圓(円)」を正式採用した。それらを受けて、春日井地区でも、明治5年(1872)に勝川村と内津村に、明治9年(1876)には坂下村に、郵便局が開設された。

≪参考文献≫

 ・『贈位五位林金兵衛翁』 津田應助編 大正1411

 ・『実説名古屋城青松葉事件 尾張徳川家お家騒動-』水谷盛光 

昭和56年増補改訂版

 

 

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