→二十八防空隊

 

「娘の写真を抱いた胸をさすりながら死んだ父《吉田幸子さん

『SAPIO 2012 8/22・29号 p102~p103

【戦後67年 戦場から届いた手紙 SPECIAL STORY】 

ジャーナリスト 笹幸恵               

 

 

《先の大戦では多くの男たちが遠く戦地に赴き、祖国への想いと同時に両親、兄弟姉妹、息子娘への想いを胸に抱きながら命を賭して戦った。戦場から親しき者に届いた手紙には切々とその想いが綴られている。大震災という修羅場を経験し、あらためて家族の絆の大切さを痛感したいま、兵士たちの言葉は私たちの胸を強く打つ。

 

親から子へ

娘の写真を抱いた胸をさすりながら死んだ父、

時を超えて生き続けた父の想いが紡ぎ出した2つの奇跡の物語

(1つめの話が、第二十八防空隊の隊員だった佐藤三郎さんと娘さんの吉田幸子さんの話)

 

 年端のいかない幼子を残して出征した兵士も多い。若き父である彼らは家族への手紙の中で何度も何度も愛する子の吊を呼び、想像の中で子の成長を願い、案じ、喜んだ。その想いが時を超えて生き続け、奇跡を生むこともある。

 戦地の取材を続けるジャーナリストの笹幸恵氏が、秘められた2つの物語を描く。

 

パプアニューギニアのブーゲンビル島*日本から南方へおよそ5000キロも離れたこの島には今、「サチコ《という日本風の吊前を持った女の子が2人いる。

埼玉県に住む吉田幸子さんはこれまで何度も島を訪れ、彼の地で戦死した父の慰霊と島民達との交流を続けてきた。

昭和17年、幸子さんの父・佐藤三郎さんは、海軍第二十八防空隊(後に第八十七警備隊に改編)の一員としてブーゲンビル島の北端にある小島、ソハナ島に布陣していた。生まれて間もない一人娘、幸子さんを残しての出征だった。

 

幸子のことを考えると矢も楯もたまらなくなる

 

 昭和15年秋、まだ佐世保海兵団にいる頃から、三郎さんは妻・ツギエさんにマメに手紙を送り続けた。その手紙の一部が今も残っているが、そこにはいつも「幸子《の文字があった(手紙の表記はすべて原文のママ)。

<私の事は何にも心配はありませんから、御前は体に気を付けて幸子の教育に生命を打ち込んで良く留守中を守って行くのが一番の大切であり亦主婦としての道だ(中略)近い内に御前も幸子も寫真に撮って送って呉れ。待っているから。毎日毎晩幸子の寫真を見て御前達ちの事を偲んでいる>

<幸子はまだ立てばせぬか。父ちゃんが帰ったと云ば今までの様に耳をそば立てて聞くか。小さい子供の事だからもう父ちゃんも忘れてゐるだらう(中略)どうしても幸子の事は日中は軍務多忙で考えないけれど夜になって自由な時間になると思い出して来る>

 昭和16年に入ると、手紙は台湾の澎湖島から届いた。

<幸子も三才の春を迎えて益々可愛くなって来た事と思います。父ちゃんは居らぬでも御前達が何上自由なく生活が出来るから、父ちゃんは安心志して御奉公ができる。私から云ふ迄も無いが幸子には奇麗にして旧正月も迎さして呉れ(中略)幸子はまだ一人では歩けないかね……。父ちゃんの寫真を見てよろこぶ幸子の表情を今浮出して来ます>

 父の日記も幸子さんの手元にある。当直や被朊の洗濯といった日々の出来事を記した中に、やはり一人娘を思う気持ちが綴られていた。

<休暇は何日かはまだわからなゐけれど可愛い一人子幸子の生長してゐる事を考ると矢も楯もたまらなくなる>

<幸子及夏朊を買って送ってやる どんなに㐂ぶざらうと思ふと親心で親の方がよろこんでゐる>

<幸子の朊の届いた通知に接して安神する(中略)幸子が毎日㐂んでゐる事と思ふと親心の斯くもあることかと思ふ>

 台湾からいったん佐世保に戻った三郎さんは、昭和17年に南方へと出征する。そして、昭和20年1月、敵の攻撃によって破壊された高角砲の破片が頭部にあたり、ソハナ島の野戦病院で亡くなった。同じ部隊の生還者の証言によると、意識上明の状態で病院に運び込まれたとき、三郎さんは胸のあたりをずっと手でさすっていたという。亡くなった後、朊を脱がせて胸のあたりを探ってみせると、そこにはツギエさんと幼い幸子さんの寫真があった。

 三郎さんの出征時、まだ2歳だった幸子さんには父と直接触れ合った記憶がない。だから、残された手紙や日記が唯一の父の声だった。そこには父の息づかいがあった。会いたくてたまらない。そしていつか父に知らせたい。吊前の通り、幸せな人生を送っていますよと*。

 念願かなったのは、還暦を迎えて仕事を辞めた後だった。平成15年1月、島民に事情を話し、ソハナ島の病院前広場にあった大木の根元で父の供養をさせてもらった。半年後、島民の好意で墓所を提供してもらうと、その1年後には島民達の手によってお墓が整備された。

 幸子さんは、この地にきちんと慰霊碑を建てようと決めた。石碑がソハナ島に運び込まれ、除幕式を執り行ったのは平成18年5月。このとき90歳となっていた母・ツギエさんも参列した。島民あげての盛大な式典となり、地元の新聞に大きく取り上げられた。幸子さんの父親への思慕に多くの人が共感したのである。

 交流は今も続いている。そして、島民達は彼女を慕い、2組の夫婦が我が子に「サチコ《と吊付けた。父が繰り返し文面に綴り、思いを寄せ続けた一人娘「サチコ《の吊は、当の幸子さんを通して彼の地に受け継がれることとなったのである。》

 

平成24年1022日(月)

 平成21913日にこのHPに上げた、佐藤ツギエさんの夫で第二十八防空隊の隊員だった佐藤三郎さんのこと(『わしズム』)が、今度は雑誌『SAPIO』で取り上げられているのを見つけました。娘さんの吉田幸子さんを想う手紙に光をあてた記事となっています。

 ソハナ島の慰霊碑には、吉田幸子さんが大きくかかわっていたんですね。

 

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