書庫12

   おーとばいザムライのぼやき  2015年8月10日(月)
  精工舎(現セイコー)の懐中時計の鉄道時計は19セイコーが通称で、一般には「19型セイコー」と呼ばれているようです。この時計が、当時の鉄道省に正式に鉄道時計として採用されたのが昭和4年11月。昭和4年といえば1929年であり、世界恐慌がこの10月24日の暗黒の木曜日からはじまったとされています。つまり、世界恐慌の直後にさいようされたわけです。昭和5年10月に発行された報知新聞の記事を見ると、スイスもこの世界恐慌にかなり影響を受けたように書いてあります。もちろん欧米はどこも同じような様子だったことでしょう。となると、十分な数の時計を輸入できないとか、精工舎を国策として保護しなければならないとか、といった要因が働いたことも十分予想されます。ただ、そのためには時計の精度が十分でなければならず、精工舎の時計はそれを満たしていたという、良いタイミングだったのかもしれません。面白いことは、この報知新聞には19型セイコーではなく、「『セイコー』20型」と載っていることです。単なる間違いなのか、名称の確定というか、定着というか、そういったことが、もう少し後になってからだったのか、調べてみる価値があるかも、と思うのは,拙者だけ?
,   おーとばいザムライのぼやき  2015年8月23日(日)
  「艦隊これくしょん –艦これ-」なるアニメが話題になっているようですね。それぞれの軍艦が印象的になるようにキャラクターが設定されているではありませんか。私の祖父音治もいくつか軍艦に乗っていたことが履歴書からわかっています。あまり関心がなかった私も、ちょっと調べてみました。乗っていたのは<敷島><出雲><陸奥><足柄><金剛><羽黒>でした。特に、<足柄>と<高雄>は建造時に艤装員としてかかわっていたこともわかりました。音治はいわゆる砲術屋でしたので、艦砲関係だったのではないかと思います。よく調べてみれば、これらの経歴からも色々なことがわかるかもしれませんね、と思うのは,拙者だけ?
   おーとばいザムライのぼやき   2015年9月6日(日)
  資生堂の化粧品エリクシールは、錬金術の用語なんですね。不老不死になると伝えられる霊薬、万能薬のこととか。エリクサーとも言うんですか。いわゆる「賢者の石」か、それと同じようなもののことなので、それではイメージがよくないのか、資生堂のHPには次のようになっています。Elixirとは、フランス語で「霊感」「粋」「情」「エッセンス」を意味し、「科学」と「情感」のエッセンス(粋)を集めることによって、美しい年代をいつまでも保つ、という意味が込められている、と。コーヒーについても、UCCのHPを見ると1000年以上前に初めて効能を書き残した人は、医師であるラーゼスとしていますが、実は彼は錬金術師でもあります。やっぱり、錬金術というのは良いイメージがないのでしょうか、と思うのは,拙者だけ?
,   おーとばいザムライのぼやき   2015年9月21日(月)
  19セイコーの文字盤にある数字は、大まかに戦前は直立数字、戦後はブレゲ数字となっています。例外として、戦前戦中でも一部15石の高級時計にはブレゲ数字が使われたものがあります。アブラアン・ルイ・ブレゲによるデザインということであり、19セイコーにこのブレゲ数字が使われだしたのが主に戦後ということは、肯定的な意味で使われたのでしょう。高級感を出すため、あるいは、お手本としてきたウォルサムを追随したためと思われます。19セイコーの数字デザインはほとんどがこの2種類ですが、例外が2つあります。1つはレイルウェイ・ウォッチで太い直立文字になっています。これは当時の鉄道時計の流行にならったものでしょう。もう1つは戦後に韓国で発売されたものです。個人的には、戦前の直立数字が上品で好きなのですがね、と思うのは,拙者だけ?
   おーとばいザムライのぼやき   2015年11月15日(日)
  時計にセコンドセッティング(秒針合わせの機能)がついたということは、秒針が意識されたということでしょう。それまでは分針さえ合っていればよかったということでしょう。19セイコー(セイコーの鉄道時計)にこの機能がついたのは昭和30年代のSEIKOSHA。昭和34年にSEIKOになってから、すべての19セイコーにセコンドセッティングが付いているかと思えば、面白いことにそうでもないことがわかります。セコンドセッティングがついていない時計もあるのです。鉄道時計と言えども、秒針まで時刻合わせをするようになったのはせいぜい昭和40年代前後ということでしょうか、と思うのは,拙者だけ?
   おーとばいザムライのぼやき   2015年11月23日(月)

  国産の鉄道時計「19型セイコー」(19セイコー)は、戦前のバリエーションが大変多いことがわかります。戦後はシチズンやカシオなど色々なメーカーとブランドが立ち上がったために、数えきれないぐらいの時計が生まれました。他方、19セイコーが戦前の飛行時計や交換時計等様々な時計に使われたところを見ると、当時はそれだけ信用のおける国産の時計が少なかった(なかったとは言わない)ためではないかと思います。鉄道時計そのものとしてもバリエーションが多いのも大変面白いと感じるのは私だけではないでしょう。しかし、その19セイコーの優れた点をきちんと説明している書籍やHPは意外と少ないですね、と思うのは,拙者だけ?
   おーとばいザムライのぼやき   2015年12月6日(日)
  19セイコー(19型セイコー セイコーの鉄道時計)のなかには、24時制表記の文字盤をもつものがあります。これはよく外地用といわれます。24時制は、主に、軍隊、医療、コンピュータの世界で使用され、特に軍隊内部では午前・午後の間違いを防ぐために24時制が使用されていました。
1942年(昭和17年)10月11日、鉄道省が12時制から24時制へ移行し、一般人の間にも24時制が普及し現在に至っています。しかし、19セイコーに限って言えば、内地用は一貫して12時制の文字盤であり、それは戦後になっても変わらず、現在に至っています。つまり、日本は実際には12時制をとっているということなのでしょう、と思うのは,拙者だけ?
,   おーとばいザムライのぼやき   2016年1月24日(日)
  この寒さで、愛車CB750FCのバッテリーが上がってしましました。バイク屋に頼むと2万円弱ぐらいの料金がかかるので、まずは自分でバッテリーチャージで充電してみようと思いました。そこで、バッテリーを取り出すべく挑戦。まずは左のサイドカバーを外して工具を取り出し、右カバーを外してバッテリーの位置と概ねの外し方を確認してから、シートを外しました。そして、マイナスのコネクタを外したところまではよかったのですが、プラスのコネクタの外し方がわからなくなりました。スパナにしても、ドライバにしても、斜めにしか入らずコネクタが外せないのです。さて、外し方を調べてからまた挑戦したいと思います、と思うのは,拙者だけ?
   おーとばいザムライのぼやき   2016年3月5日(土)

  クルマの自動運転がニュースになっていますね。本当に自動運転が可能になれば免許がいらない。すると、体調が悪くても、体の不自由な人でも目的地まで行けるようになる。通信やコンピュータ制御と組み合わされれば、事故が劇的に減る可能性がある。まさにバラ色。
しかし、オートバイの自動運転となるとどうなるのでしょう。自分で運転をしなくても、オートバイそのものの動作原理は変わらないから、車体を傾けてコーナーを駆け抜けるのであれば、スリルは味わえるかもしれない。ただ、それは遊園地の遊具と同じで、自分は乗っているだけのものになる。そういった特殊な使い方が想定されることになるかもしれないが、社会からすれば効率的ではない。移動体はクルマに収斂されていくのではないか。
  そう考えると、オートバイという乗り物は、実は前近代的な乗り物なのではないかと思えてくる。あと、数十年もすれば、オートバイは特殊な乗り物になっている可能性がある。自分で運転し、自分で整備できる人だけの乗り物になるのではないか。現在の乗馬と同じで、一部の特殊な人のみが特殊な場所のみで楽しめる乗り物に、と思うのは,拙者だけ?