おーとばいザムライのぼやき   2016年8月9日(火)
  今日も、CB750FCを、ケミカル用品を使って磨いてみました。白っぽくなっていたエンジンの塗装が黒光りするようになり、全体にしっとりとした感じになって本来の姿を取り戻したようです。そろそろ34年になる車体です。クルマならとっくに廃車になっているような年代もんですが、手を入れればある程度はきれいになるということでしょう。あとはホイールをもう少し磨いて、シートの手入れをすれば、ひと段落といったところでしょうか、と思うのは,拙者だけ?
書庫13

   おーとばいザムライのぼやき   2016年3月11日(金)
  第二十八防空隊のページに、「激戦地ソハナ島の思い出」を追加しました。これは、隊員だった村山善策さんが残されたもので、ソハナ島での祖父音治の様子を詳しく書いてくださっています。私の方で平易な表現に直しましたので、ニュアンスが少し違っているところがあるかもしれません。ただ、だいぶ読みやすくなっていると思います。ご家族の方がメールで送ってくださいました。ありがとうございました。と思うのは,拙者だけ?
,   おーとばいザムライのぼやき   2016年3月27日(日)
  またまた、嬉しいニュースがあった。『諸説あるホンダ“CB”の語源 −バイクの系譜』というホームページに、CBの系譜について詳細に紹介した上で、この『おーとばいザムライ』の「ホンダCBの由来は,こうだ!!」のページにリンクをはってジャンプできるようにしてくれているのを見つけました。CAの説を退け、BはCLUBMANのB”を支持しています。こういったレベルの高いHPが出てきて嬉しく思います、と思うのは,拙者だけ?
,   おーとばいザムライのぼやき  2016年4月29日(金)
  熊本地震が、熊本というところが意外と自動車メーカーにとって重要な地域であったことを知らしめることになりました。トヨタ、ホンダという日本メーカーだけでなく、GMにも影響が出ていることが大きく報道されています。これはアイシンの変速機のことをいっているのでしょうか。最近の地理の教科書には、自動車関連工場だけでなく、実はエレクトロニクス産業にとっても重要な部品を生産する拠点になっていることが記述されています。実際、ソニーやパナソニックにも影響が出ているとか。九州は意外と先端産業の生産拠点だったんですね。となると、復旧も簡単ではないのでしょうか。 ここのところ日本の経済が下降気味なのが心配です、と思うのは,拙者だけ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   おーとばいザムライのぼやき   2016年6月11日(土)
  実は世の中にオートバイが無くなっても世の中はあまり困らないのではないか。たいていは代替物があり、自転車かクルマに置き換えられるからだ。しかし、オートバイの「乗り味」は代替物がない。体重移動をしながら、一旦車体を倒しこんでおいて、そこからアクセルをふかして加速しながら車体を起していく。このバランスをとって走り抜ける感覚はオートバイならではであり、自転車ではパワーが全く足りない。スキーは体重移動が近いものがあるが、慣性で滑り下りるものであり、オートバイのような加速感を伴うものではない。クルマの加速感は近いものがあるが、バランスをとりながら走り抜ける感覚は再現できない。低速なら低速で、中速なら中速で、この走り抜ける感覚が楽しめるからオートバイは楽しいのです、と思うのは,拙者だけ?

 

 

 

 

 

 

 

 

   おーとばいザムライのぼやき   2016年8月17日(水)
  CB750Fのハンドルは、鍛造ジュラルミンのセパレートハンドルというのは有名ですね。これは、先に開発していたCB900Fのハンドルと同じハンドル(絞り角を調整できるタイプ)のものにしたかったにもかかわらず、当時の運輸省から許可が出ず、かろうじて固定式の鍛造ジュラルミンのセパレートハンドルになったということですよね。こう書かれていると、よくセパレートハンドルのことが話題になるようですが、では、このジュラルミンとは何なんでしょうか? 旧日本海軍のゼロ戦の主翼に超々ジュラルミンが使われたところをみると、きっと軽くて強度があるのだろうとは想像がつきますが…。ジュラルミンというのは、なんとドイツの地名のデュレンとアルミニウムの合成語なんだそうですね。そして、肝心のジュラルミン自体はアルミニウムと若干の銅を混ぜた合金ということです。やはり軽さと強さが売りなわけです。だから、そういった部材を、当時使ったところがCB750Fの人気に表れているんでしょうね、
と思うのは,拙者だけ?
,   おーとばいザムライのぼやき   2016年8月29日(月)
  ニコンはそもそも日本工学工業という名の企業で、軍用の光学機械開発を目的として創設されています。日露戦争後から、日本は軍需品の国産化を目指していましたが、光学機械についてはそれができなかった。そこで、三菱資本で、藤井レンズ、東京計器、岩城硝子を合同して1917年に国策会社として出発し、ドイツの技術者を招聘しているのですね。ニコンは戦後に開発した小型カメラの名前であり、企業名をニコンにしたのは割と最近の1988年ではないですか。ちなみに、キヤノンは1933年に創設された精機光学研究所が前身で、この時代に開発した小型カメラのカンノンから商標をキヤノンとし、戦後に企業名をキヤノンカメラにしていますね。ナント、キャノンは間違いだそうで、キヤノンが正しいとか。カンノンのレンズ名はカシャパで、ブッダの弟子。系列は芙蓉グループ(旧安田財閥)。いやいや、知っていそうで知らないことばかりですな…、と思うのは,拙者だけ?
   おーとばいザムライのぼやき   2016年8月19日(金)
  CB750Fの困ったところは「ヘルメットホルダー」です。あまりに小さなホルダーのため、ヘルメットの金具を付けるのが至難の業なのです。しかも、付けたとしても、ヘルメットは車体の横に、横向きにぶら下がり、雨でも降ろうものならヘルメットの中はぬれてしまいます。もちろん、大きなものに付け替えるということも可能でしょうが、できればあまりやりたくないですね。そこで、私は、両端が輪に加工してあるワイヤーをホームセンターで購入してきて、そのワイヤーをシートの横の取っ手からヘルメットホルダーに渡して、ヘルメットをシートの上に乗せる方法をとっています。大切なのは、ヘルメットの顔のところから下にワイヤーを通すこと。これだとヘルメットが安定して固定できるし、ワイヤーなので切られる心配もありません。見た目もgoodです。値段もなんと400円弱。
 ただ、高価なヘルメットや思い入れの強いヘルメットにはお勧めしませんよ、と思うのは,拙者だけ?
   おーとばいザムライのぼやき   2016年10月10日(月)
  コンピュータは元々軍用であり、弾道計算に用いられたというのは有名な話です。日本の本格的なコンピュータの開発は戦後になりますが、やはり弾道計算には計算機が開発されていたとのことですね。それを担っていたのがニコンの前身の企業だったわけです。目で見える距離の戦闘なら、経験や勘も生きてくるでしょうが、その距離を超えてしまうとやはり技術力がものをいう時代になっていったようですね。祖父音治は、履歴書を見ると軍艦の艤装にも携わっていたことがわかります。こういった機械、計算機にもふれていたのでしょうか。また、高角砲なども同様のようですが、祖父がソハナ島で詰めていた指揮所というのも、これら機械と関連があるのでしょうか、と思うのは,拙者だけ?
   おーとばいザムライのぼやき   2016年8月21日(日)
  日本海軍の高射指揮装置(AA Director of Japanese Navy)というHPに、『計算機屋かく戦えり』という本から機械式アナログ計算機として高角砲の指揮装置を紹介しているのを見つけました。この指揮装置を取り上げているメディアは希少なようですね。これは軍事用アナログコンピュータと呼べるもので、敵機の未来位置を予測して大砲の射撃方向・角度と信管秒時を決めるための装置ということです。二十八防空隊の頁に出ている高角砲は、適当に撃っているのかと思いきや、計算していたんですね。この機械を作っていたのが、ニコンの前身の日本工学工業(株)とのこと。祖父は高角砲の弾道計算が得意だったと聞いていますので、この指揮装置を扱っていたのでしょう。戦死したときの指揮所というのも、この装置に関係するのでしょうね、と思うのは,拙者だけ?
,   おーとばいザムライのぼやき    2016年8月27日(土)
  今日は雨。土日ということで楽しみにしていたのに、台風10号の影響でしばらくCB750FCに乗れそうにありません。家の中に閉じこもっていると、どうも身体の調子が今一つです。こんなときオートバイに乗って出かけると、適度な運動ができ、酷使しがちな目の休息ができるのにと思うんす。オートバイの方も乗る頻度が増えると調子いいみたいで、エンジンの吹け上りが滑らかに感じます。自分がもう年ですのでそんなに長い時間は乗っていられませんが、ちょっとした足として、あちこちちょっとした用事でちょこちょこ乗ってみたいものです、と思うのは,拙者だけ?