おーとばいザムライ 書庫15

2017年7月29日(土)

 ガソリンが腐るということを時々聞きます。これは、オートバイ乗りには比較的よく聞くことなんですが、揮発分が抜けたり、変質したりすることを言います。すると、久しぶりに乗ろうとしたときにエンジンがかからない、なんてことが起きるわけです。ガソリンは科学的には腐るのではなく、変質する、というのが正しいそうですが、空気に触れない状態で半年ぐらいとよく言われています。管理が悪いと、数か月ということもあるそうです。

となると、最近は、オートバイだけに限らず、いろいろなところで話題になるようです。特に、プラグイン・ハイブリッド車。それほど距離を走らない人だと、数か月から1年ぐらい給油をしなくて済むことがあるので、確かにガソリン代は助かるわけですが、燃料タンクに入っているガソリンが腐る可能性が出てきたということです。それから、災害対策でガソリンを備蓄しているところが増えているようですが、順次入れ替えていかないと、

これもガソリンが腐るということになりかねないわけです。

 ガソリンは必要なだけ買って必要なだけ使う。何やらコーヒーやお茶のような言い回しになるわけですが、これが本当にベストだとか。 

 

2017年6月25日(日)

 先日、職場で草刈り機用に混合ガソリンをつくりました。担当が若く、よく知らないということでしたので、僭越ながら私とつくることになったのです。ふだん、クルマでしかガソリンに触れない人は、ガソリンの性質や保管の方法を知らないようです。2サイクル・エンジンの仕組みから解説して、保管容器を確認して購入してきてもらい、混ぜました。おかげで草刈りは問題なく終了。ガソリンは灯油よりもさらに慎重に扱わないとね。

 

2017年6月18日(日)

戦争中の日本の飛行機に、アルコールを混合して使用したという話は良く知られた

事実です。しかし、それはガソリン不足を補うためというのが一般的な常識です。アルコールは熱量がガソリンより低いため使い勝手が悪かった、と紹介している書籍が多いですね。しかし、実はアルコールは、アメリカで、ノッキング防止効果があることが戦前から知られていたのです。ただ、石油企業と自動車企業の反対に遭い、ノッキング防止剤としてテトラエチル鉛(TEL)の方が選択され、有鉛ガソリンが使用されることになったそうです。この有鉛ガソリンが環境や人体に有害であると広く知られるようになるのは1960年代、日本では1970年代ということです。 現在の自動車やオートバイでは、このノッキングはほとんどありません。しかし、実は、私はこのHPで紹介している、スズキのRG50Eでノッキングを経験しています。2サイクルエンジンだったことと、無鉛ガソリンへの切り替えの境目にあったことが関係しているかもしれません。

 

2017年6月10日(土)

ハイオクタンガソリンと言えば、航空ガソリン、航空潤滑油の製造のために、日本石油をはじめとする石油会社8社の共同出資により、昭和14年(1939年)国策会社「東亜燃料工業」が設立された。当時、ハイオクタンガソリンは、高級揮発油と称し、アメリカでは生産過剰傾向だった。しかし、日本の大陸侵攻の拡大を抑えたかったアメリカは、ソビエトのフィンランド空襲を理由に道義的禁輸に踏み切った。そのため、UOP社のイソオクタン製造の技術で絵はない方の、もう一つの技術、接触分解法の装置、製造権および技術的知識を東亜燃料工業は入手することができなくなった。そこで、海軍は第二燃料廠(四日市)に自力でハイオクタンガソリンの製造プラントの手がけ生産に成功するも、時すでに遅し、だった。 

 

2017年6月3日(土)

 戦前の飛行機のガソリンのオクタン価が87で低オクタンと表記され、アメリカでは10

0を当たり前のように表記している。だから、戦後の日本のクルマのガソリンもそれほど

低くはないのではなかいと思いきや、レギュラーガソリンで、昭和24年〜25年に60〜

65、昭和27年に70〜72、という表記が飛び込んでくる。これではノッキングが問題と

なったことが容易に想像できる。しかも、レギュラーガソリンで88、プレミアムガソリン

で95になるのが、昭和49年というのだから、その間、高性能なクルマはどうしていたの

かと心配になる。この昭和49年は、希しくもスーパーカーブームの始まった年と考える

と、日本が本当の意味で世界に伍していけるようになったのは、このころからなのだろ

う。

 

2017年5月28日(日)

石油の時代になって製造されるようになったものが石油由来の「クレヨン」です。アメリカで石油生産が盛ん

になると、副産物としてワックスが大量に出て、そのワックスと顔料からクレヨンを生産したのでした。このクレヨンを、東京美術学校の関係者が持ち帰り、日本でも国産のクレヨンが生産されるようになったのことです。そして、大正14年(1925年)に文部省が図画教材として採用したことから、日本の子どもたちはクレヨンに親しむようになったわけです。ちなみに、クレパスは、クレヨンよりも柔らかいものを言い、登録商標のようです。正式には軟質クレヨン、あるいはオイルパステルだとか。

 

 

2017年5月21日(日)

 

  戦前の日本は、航空燃料であるハイオクタンガソリンが不足していたというのは有名な話です。戦前は、日本石油の柏崎製油所のNNG式かアメリカのUOP社から装置と特許実施権を取得した日本石油と三菱石油によるイソオクタン製造装置がオクタン化の高いガソリンの製造を可能にしていました。しかし、NNG式が昭和15年末、イソオクタン製造装置が昭和16年9月に成功と言いますから、ちょっと遅いかも。しかも、アメリカのようにオクタン価100などという本物のハイオクタンガソリンの製造は難しく、いわゆる低オクタンガソリンが精いっぱいだったとうのが真相のようです。日本でハイオクタンの製造が可能になったのは戦後のこと。この石油に関する技術の差は大きく、南方や満州(戦後発見された)の石油が入手できても、あるいは人工石油の製造に成功していても、ただちに戦況を変えたほどだったかどうかは疑問です。

 

 

2017年5月14日(日)

 

日本の現在の石油自給率は99.6%。つまり、国内産の石油は0.4%ということになります。ほとんどの石油は輸入品であり、ガソリンなど目に見える石油製品だけでなく、生活のありとあらゆるところに石油が入りこんでいるということを示しているのでしょう。では、日本で石油自給率が最も高かったのはいつで、何%でしょうか。

 答えは、大正6年で、自給率はなんと83%。このころは、消費量が少なかったこともありますが、秋田・新潟における油田の生産量が多かったことも関係しています。

 

 

 

2017年5月4日(木)

 

  今日は、大口町にある入鹿切れの石碑を訪ねてみました。碑銘は「暴水流亡各靈墓」とあり、墓碑であることがわかります。これは、慶応4年5月14日にあった、入鹿池の堤決壊の際に亡くなった方たちの墓碑です。入鹿池から西に8kmあまり行ったところに木津用水と五条川が交差している堰があり、そこからさらに西に600mほど行った六部橋のたもとにありました。近くには小口城址があるようです。入鹿池の水は、遠く今の海部郡まで及んだそうです。

 

 

2017年5月3日(水)

  オートバイを動かす燃料はガソリン。でも、このガソリンについては、知っているようで案外知らないことが多い。ガソリンの重要性が認識されたのは、第一次世界大戦と言われており、「石油の一滴は血の一滴」というフランスのクレマンソー首相の電報の文言が有名。飛行機、戦車がガソリンエンジンだったためで、鉄道網がドイツに比べて貧弱だったフランスでは自動車も主要輸送手段だったことによるようだ。

 

2017年4月23(日)

 機械が不安なく動く、期待通りに動く、というのは実に気持ちがいいですね。私たちの世代は、機械は不調なところがあるのが普通で、時には動かなくなるという心配を抱えながら機械を使っていました。言葉を変えると、機械を信頼しきることができずに慎重に扱うのが当たり前だった時代を知っているということでしょうか。だからこそ、機械がしっかり動いてくれると嬉しい!と思ってしまいます。最近のクルマのように動くのが当たり前のようになると、機械のありがたみというのが薄れてしまいます。私のような心情をもつ古い機械のマニアは少なからずいる思うのですが、そういったマニアを世の中では何と呼んでいるのでしょうか? 

 

2017年4月16(日)

  最近の日本の企業は、あまりよくないニュースが多いですね。東芝、日本航空、シャープ、東洋ゴム、東京電力、タカタ、…。しかも、得意分野でのつまずきであり、ダメージが大きいのが気になります。どうしたんだろうと思うのは私だけではないはず。これが技術立国を謳っていたあの日本? もちろん、悪いニュースばかりではないのですが、さすがにちょっと心配です。三橋貴明氏の言うように、第4次産業革命が日本で進化することを願っています。

 

 

2017年4月8(土)

  先日、小さなオートバイ(たぶん、モンキー)をお互いに鑑賞しあっている若者5人を見ました。実に楽しそうで、いつまでも感想やら意見やらを言い合っていました。それらオートバイは小さいながらもよく磨き上げられていて、様々な趣向が凝らされていました。1つとして同じオートバイはないという感じで、こんな楽しみ方もあるんだなあと感心しました。

 

 

2017年4月2日(日)

 今日はたくさんのオートバイが走っていました。けっこう暖かくて、春!という感じ。実は、この季節を感じるというのは、とても大切なことなのじゃないかと思います。季節を感じるというのは、実は「時間を感じる」ということと思うからです。刹那的な時間でなく、大きな流れの時間を体感しながら生活するには、オートバイはとても適していると思うのです。

 

 

201741

このHPの整理をすすめています。『おーとばいザムライ』のページは残し、CB750FCも乗り続けることにしました。このまま、CBやオートバイ、機械、社会などについて思いを書き続けることにします。CB750FCも生産されてから35年になろうとしています。これからは乗り続ける人も減っていくことと思います。機械として乗ることができる状態で保ち、自分も乗り続けることで、オートバイに乗ることができるようにする。そして、そのことが私の心と身体の健康を保つ。そんななかで、楽しんでいきたいと思います。

それから、『「時刻よし!」19セイコー』のページを立ち上げつつあります。同じ機械である「19セイコー」(19型SEIKOSHA鉄道時計)も生

産が中止になってから46年になろうとしています。やはり使える状態で保つことに産業遺産としての意味があると思います。そして、時計や時間に関する興味関心をもち、楽しんでいきます。

 

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