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おーとばいザムライ 書庫18             →おーとばいザムライ

 

8月26日(日曜)

オートバイが車検から返ってきました。今回は、チェーンとスプロケ、前ブレーキの部品等を交換し、締めて約11万円也。チェーンとスプロケの同じ製品はもう入手できないそうで、歯が2つ少ないものを取り寄せてもらうこととなりました。乗り心地に違和感はなく、これでしばらくは乗り続けられそうです。前ブレーキも問題なく、以前のタッチ感が戻りました。今日も暑かったので、いつもよりも短めのプチツーリングにして途中でコンビニに寄ったら、たくさんの自転車が休憩していました。

 

 

8月23日(木曜)

バルバロッサ作戦(独ソ戦)でドイツ軍が恐れたというソ連軍のT-34は、ノモンハン事件の反省から開発されたという。ノモンハン事件は日本の大敗と喧伝されてきたが、実はソ連の資料から被害はソ連の方が大きかったことが近年明らかとなっている。その戦いの中で、ソ連が大量に動員したBT戦車の溶接やリベットが、火炎瓶攻撃や日本の戦車の砲弾に思いのほか弱かったことが判明したのだ。T-34の装甲は厚くされ、76mm砲を装備し、当時のドイツの戦車Ⅲ号戦車Ⅳ号戦車の性能を上回った。T-341934年の34から名付けられた。このT-34は、ドイツ軍にティーガー戦車やパンター戦車の開発を急がせることになる。

 

 

8月11日(土曜)

今日の午後9:00から放送された『NHKスペシャル「祖父が見た戦場~ルソン島の戦い 20万人の最期~」』を見ました。アナウンサーの小野文惠さんがご自分の祖父が体験した戦場を追体験したものでした。戦死された場所はフィリピンのルソン島だったんですね。場所こそ違え、私が作成したHP「二十八防空隊」も、同じように追体験したいと願ったものです。小野さんの「私は戦争のことを知らなかった」「少しでも調べていきたい」という言葉は、やはり孫である私もまったく同じです。父が亡くなったので、HP「二十八防空隊」を閉じようかと考えていたときでしたが、もう少し続けてみようと思いました。

 

 

8月9日(木曜)

 CB750FCの車検が迫ってきた。前輪ブレーキの右レバーを修理しなければならない。手ごたえがないのだ。ただ、レバーを何回も握ると手ごたえが出てきてブレーキも問題ないようだ。そのまま放置しておくとオイル漏れが起きるそうだから、まだそこまではいっていないようだ。だが、ブレーキのことでもあるので早く修理した方がいいだろう。部品を取り寄せて交換となるようだ。追加で報告となるが、例のバッテリーはまだ生きている。7月末で2年6か月となった。台湾ユアサのバッテリー、素晴らしい!

 

 

8月4日(土曜)

ドイツは、第2次世界大戦が始まるころは軽戦車のⅠ号戦車とⅡ号戦車が主力で、Ⅲ号戦車はまだ生産が始まったばかりだった。そのため、ポーランド侵攻時は、チェコスロバキア製LT-35LT-38で補ったという。では、どうしてドイツには戦車先進国のイメージがあるのだろうか。ガールズパンツァーにはⅢ号戦車J型出てくる。この戦車は50mm砲を備えた中戦車。しかし、開発当初は37mm砲であり、上のLT-35LT-38と変わらない。実は、特筆すべきことは、砲塔を3人乗りとし、戦車長、砲手、装填手を一人ずつが担当したことで戦車長も指揮に専念できるようにしたことと、全車に無線機を装備して連携できるようにしたことだった。このため機甲師団としての機動性が格段に上がり、いわゆる電撃戦をも可能となった。ドイツの戦車先進国というイメージは、このⅢ号戦車がつくったのだった。

 

 

7月25日(水曜)

ドイツ軍と言えば「電撃戦」が有名である。構想したのはハインツ・グーデリアンで、彼の研究をまとめた著書「戦車に注目せよ!」が基盤になっている。彼は、それまでの歩兵部隊中心から、全部隊が機械化し自走しなければならないという発想へ変え、歩兵部隊から独立した大規模な機甲部隊を創設した。それに航空部隊を加えて、機甲部隊による縦深突撃を敢行し、背後に戦力を展開するという戦闘教義を編み出したのだった。このときの航空機が「ユンカース Ju 87 シュトゥーカ」であり、戦車が中戦車のⅢ号戦車とⅣ号戦車を中心とするもので、このときはまだティーガー戦車やパンター戦車はなかった。(数がそろわず軽戦車のⅠ号戦車とⅡ号戦車も使われたとか。)

 

 

7月21日(土曜)

 ドイツ軍の軍用オートバイであるツュンダップKS750について書いているHPは意外と少ない。第二次世界大戦中に、BMWR75とともに共同開発され、部品の約70%は交換可能だった。単車、側車(サイドカー)付ともに有名。側車には7.92ミリの機関銃が設置され、偵察等に使用された。エンジンは2気筒4ストロークで、25馬力。最高速度は95 km / hだった。タンク容量は23リットルで300 km走った。トランスミッションがジンバル軸受のドライブシャフトで側車の車輪を駆動する。ギヤボックスは4速・1低速・1後進となっていた。

 

 

7月14日(日曜)

 ティーガーⅠ(英語読みはタイガー)があれば、ティーガーⅡもある。ティーガーⅠの装甲をさらに厚くして前面装甲を150mm180mmとした重戦車である。あまりの強力な防御力に、アメリカ軍は「キングタイガー」と呼んだことは有名。しかし、エンジンはティーガーⅠと同じガソリンエンジンとトランスミッションが積まれたために、その重量に耐えられず故障が頻発したとか。また、燃費も悪かったことから、その機動力は期待を裏切ることになった。その様子は、映画「バルジ大作戦」(史実の検証が無頓着との指摘は有名だが)でも表現されていたと思う。

 

 

6月30日(土曜)

 ポルシェ博士と言えば、ティーガーⅠ(英語読みはタイガー)も外せない。ドイツを代表する戦車だが、意外にも開発は遅く、第二次世界大戦の直前だった。8.8cm口径の戦車砲、車体前面装甲は100mm、砲塔の前面は120mmという分厚い装甲。57tという重量を、水冷4ストロークV12気筒ガソリン・エンジン(700ps)で動かしていた。ティ―ガーの名の命名者がポルシェ博士だった。ただ、ポルシェ社も若干生産しているが、それは電気駆動式でほんの少ししか手掛けていない。実際のティーガーⅠの生産はヘンシェル社が行っている。この戦車のユニークなところはマニュアルである。ティーガーⅠを「エルヴィラ・ティーガー」なる女性に擬人化し、運用について女性を口説くことになぞらえているところである。

 

 

6月24日(日曜)

ドイツの軍用車に、もう1つのワーゲンがある。シュビム・ワーゲンである。直訳すると「泳ぐ車」となる。その名の通り軍用水陸両用車である。キューベル・ワーゲンをもとにして制作され、バスタブ状の車台に、水平対向エンジン、四輪駆動、3枚翼のスクリューを具えているというから、いかにも道なき道を行く車という感じだ。東部戦線の過酷さがわかるというものだ。設計者は、ポルシェ社としているHPが多いが、ポルシェ博士としているものもある。

 

 

6月16日(土曜)

ドイツの軍用車に、キューベルワーゲンがある。キューベルワーゲンは、フォルクスワーゲン・タイプ1を元に開発した車で、ドイツの軍用車と言えば、このキューベルワーゲンをイメージする方も多いだろう。キューベルワーゲンは直訳すると「バケツ車」となる。このバケツとはバケットシートのことで、ベンチシートではないことを示している。戦地を走っている映像を見ると、ドアがないものがある。バケットシートは、体を固定する必要があったためとわかる。他の特徴は、オープンカーになっていること、折り畳み式幌がついていることが特徴。この車の開発者は、かの有名なフェルディナンド・ポルシェ博士。

 

 

6月3日(日曜)

「ヴァルキューレ・ゲシュライ」とは、女神「ヴァルキューレ」の叫びと訳される。「メルセデス・ベンツ 770K」というクルマのスーパーチャージャーの響きのことだという。メルセデス 770Kとはどんなクルマなのか。「ダイムラー・ベンツ」社が1930年代に当時のもてる技術を結集して製作した最高級のクルマのことである。「グロッサー・メルセデス 770K」とも呼ばれた。2代目の770K、特にシャーシ番号189744は、7.7リットルOHV直列8気筒で、全長5.6m。スーパーチャージャーを積み、「Kompressor」(圧縮機)のKが付いており、230馬力を発揮した。フロントガラスや窓ガラスは30mmの防弾ラミネート加工が施され、車体は下部も含め防弾材で保護されていた。このクルマは総統専用車で、ヒトラーが載っている姿が歴史の書籍や映像によく出てくる。第二次大戦で生き残り、アメリカ軍が接収したとか。

 

 

5月4日(金曜)

台湾ユアサ・バッテリーの追加報告です。交換してから、これで23か月になりました。驚きの長寿。まあ、今どきのバッテリーは、クルマでもふつうは3~4年ぐらいはもつものですが、このCB750FCのこれまでのバッテリーは1年半ぐらいが多かったので、とても驚き。何と言っても、冬を2回越したことになる上に、何度も繰り返しますが値段も値段でしたから。

 

 

4月14日(土曜)

無限軌道と言えば、名古屋市北区に地元の人から「防衛道路」と呼ばれている道路がある。確たる由来を感じさせる道路なのだが、だいたい県道名古屋犬山線(旧41号)といことは一致していても、どこの場所のことを指すのか、あるいはいつの時代にできたものなのか人によって言っていることが違うと感じているのは私だけではないはず。名古屋から犬山の間の小牧基地付近とか、春日井と名古屋の間のことを言う人が少なからずいる。また、飛行機の離発着可能な道路などという人もいる。さらに、戦前のものという人もいる。よって、この防衛道路について整理しておくのも一興だろう。防衛道路は、黒川の交差点東の志賀橋から三階橋に至る道路のことを言う。この道路が戦車など無限軌道で走っても傷まないように、コンクリート製になっていたことからこの名があるというのが一般的な解釈だろう。しかし、実情は少々異なる。終戦後、アメリカ軍を中心とする進駐軍が、小牧基地を接収したことから、当時、進駐軍が駐留していた名古屋城付近から小牧基地に至る途中のの地域の道路を最優先で整備したこと、当時の国庫の防衛分担金を使ったことからこの名があるのだ。防衛分担金とは、日米安保条約に基づいて日本の防衛のために在日アメリカ軍が駐留するために必要な経費を賄うために日本政府が拠出した交付金だったのだ。

 

 

3月28日(水曜)

 興味深い特殊車両を見つけた。「九七式炊事自動車」といい、陸軍の自走式炊事自動車である。1930年代後半に開発されたとか。1919年のシベリア出兵のときに投入した炊事車が極寒のために使い物にならなかったことから開発されたという。この車、炊飯能力は1時間当たり走行中で400食、停車中で500食、汁物の調理能力は1時間当たり750食。水を沸かす能力は1時間当たり、バーナー使用時で200L、余熱および電熱使用時では250Lであった。水槽の総容量は540Lという。(Wikipedia

 この自走式炊事自動車は、自衛隊にも引き継がれており、「野外炊具1号」なるものがある。映画『シン・ゴジラ』に登場していたそうだ。炊飯のみ:6釜で約600名分[4](災害対応時、おにぎりで約800名弱分炊飯することもある)主食・副食・汁の同時調理:約200[4](焼き物の調理はほとんど上可・2釜で炊飯、2-3釜で副食調理、1釜で汁物、残りの1釜は予備および洗い物用の湯沸かし用)汁物のみ:6釜で1500名分[4](具材などにより多少の前後がある。ワカメのみなら1800名分まで調理可能)(Wikipedia

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