おーとばいザムライ 書庫19             →おーとばいザムライ

 

平成31年47日(日曜)

ホンダから嬉しいニュースがありましたね。「広がる旧車の部品供給プロジェクト、ホンダが「CB750F」の部品再販へ」とか。ホンダは、すでに2017年から『NSR250R』と『CB750Four』の部品を再販しているのだそうです。それに加えて、今回、『CB750F』の一部の部品を再販売することを決定したとのことです。4月から順次発売だそうですから、CB750F乗りにとっては大変な朗報ですね。現在乗っている車体も、一部流用で何とかしてきていますが、部品によっては純正に戻すことも可能ということでしょう。

 

 

平成31年310日(日曜)

先日、EMP(電磁パルスく攻撃、高高度核爆発)について書いた。専門家は、もちろんその危険性については認識しており対策も講じているものと思うが、一般人にはまだまだよく知られているわけではない。核弾頭が落ちてこなかったから安心というわけにはいかないようだ。このEMPは自然にも起きうるというから驚きだ。いわゆる太陽による磁気嵐がそれだそうだ。実際、1859年に発見者の名前からキャリントン・イベントなどと呼ばれているという。1972年にアメリカのシカゴからサンフランシスコにかけての電話線がダウン。1989年にはカナダのケベック州でブラックアウトが起こっている。

 

 

平成31年223日(土曜)

以前からしている台湾ユアサのバッテリーの報告です。とても安価だったのに、ここまでで3年を超えました。セルの回り方は元気で、まだまだ十分に使えそうです。まったく、うれしいというのが率直な気持ちです。ガソリンの燃料コックを止めて、キャブレターのなかのガソリンが空になるまでエンジンを回すようになったことも大きな要因とは思います。そうすることによってエンジンをかけるときのバッテリーの負担をかけないようにしていたからです。みなさんのオートバイ生活に少しでも参考になるようにと思います。

 

 

平成31年210日(日曜)

最近のニュースで、<中国、電磁パルス攻撃に特化した核弾頭を製造=米機密解除文書 被弾した地域は「石器時代に戻る」>という文字が躍った。電磁パルス攻撃は、EMPとか、高高度核爆発とか表現されることがあるが、高層大気圏で核爆発を起こすと、爆風はほとんどないものの、強力な電磁パルスを発生させて広い範囲で電子機器障害を発生さるというものである。基盤が焼かれるため、電子機器はほとんど使えなくなる。そのため、最近のクルマやネット関係の危機など、ほとんどのインフラはストップするとみられる。最近も「残響のテロル」や「学園黙示録」というアニメでも扱われており、北朝鮮もこの技術を保有している。決して、遠くの絵空事ではない。

 

 

平成30年1224日(月曜)

ベルギーのFN(ファブリック・ナショナル)社も、銃器メーカーとして有名であり、かつて、オートバイを製造していたことが知られている。1889年に、エルスタルに創業した国営兵器製造所だった。アサルト・ライフルの「FAL」が有名で、戦後、世界に広く制式採用された。オートバイは、駆動方式にシャフトドライブを組み込んだ4気筒エンジンのFN-Fourが知られている。第2次世界大戦時には、FN-M12がサイドカー用として製造された。フラット・ヘッドのツイン・エンジンで、992ccで、最高速度は100km/hだったという。サイドカーの機構は、ドイツのツュンダップによって鹵獲・研究され、KS 750に組み込まれたという。

 

 

平成30年1125日(日曜)

 スウェーデンのオートバイメーカーに、ハクスバーナがある。元々はマスケット銃を製造する工場として発足。後に、ミシンを製造する会社になり、19世紀末には自転車も手掛けていた。オートバイ製造は1903年の開始となっている。1919年にはエンジンを製造するようになり、オートバイだけでなく、エンジン付きの芝刈り機やチェーンソーも製造するようになった。オートバイは、モトクロスやエンデューロなどオフロードマシンに強く、国際レースでも実績を残している。しかし、戦後、カジバ、BMW、ピエラに点々と売却されたが、現在は、かつてハクスバーナから独立したフサベルが買い取り、ハクスバーナのブランドを継承した形になっている。

 

 

平成30年113

ソ連がコピーしたものと言えば、「B-29」も有名。ソ連側の名前は「Tu-4」。スターリンは、アメリカにB-29の供与を申し入れていた。しかし、アメリカは応じず、ソ連は結局、ソ連に緊急避難してきたB-293機確保して、コピー機を完成させた。1947年の航空記念日パレードで初めて披露されている。それを知ったアメリカは一時パニックになったとか。このTu-4は中華人民共和国にも引き渡された。

 

 

平成30年1021

『インディジョーンズ最後の聖戦』に、ジョーンズ親子の乗ったサイドカーをドイツ軍のオートバイが追うという場面が出てくる。設定では当然、当時のBMWかツュンダップのはずだが、実際は、ウラルモト社(IMZ)のオートバイだとか。ウラルモト社のHPによると、独ソ不可侵条約が結ばれてから、スターリンがドイツとの戦いを予見して製造させたようだ。それまで使用していたオートバイを見限り、スウェーデンからBMW71型を密輸。完全コピーして、M-72は誕生した。工場をウラル山脈のイルビトへ移転したことから社名をウラルとし、9,799台が投入されたとか。現モデルも、元々が軍用であり、デザインもレトロ感があるため、実用としても趣味用としてもファンは多いようだ。

 

 

平成30年107

 イズマッシュと言えば、兵器メーカーとして有名である。なかでもアサルト・ライフルであるAK-47が有名。カラシニコフが設計した、ソ連の制式採用した自動小銃である。この企業は、正式名は「イジェフスク機械製作工場」といい、1807年にアレクサンドル1世が創設している。このイズマッシュが製造していたオートバイが、IZh。ピョートル・ウラジミーロヴィチ・マカロフが開発しており、1928年からの製造となる。このIZhは、1970年代にコサックバイクというブランドで欧米に販売され、大変人気があった。製造は、2008年までで、今はカラシニコフ・コンツェルンが手掛けている。

 

 

平成30年930

 ナチス・ドイツがポーランドに侵攻した戦いで、ドイツのV号戦車を補完する形でチェコスロバキアの戦車が多数投入されている。38(t)戦車である。この戦車を製造していたのが、ČKD社とシュコダ社である。このシュコダ社系のオートバイがかつてあった。名前を「CZ」という。銃器メーカーだったチェスカー・ズブロヨフカ・ストラコニツェ社が、1935年から製造していた。戦後、1950年代から1970年代はオフロードを得意とし、モトクロスやエンデューロで実績を残した。一時、MotoGPにも進出し、技術的には優れていたものの優勝には及ばず、ロードレーサーからは撤退した。しだいに日本のオートバイメーカーに押され、1993年にはイタリアのカジバに買収され、現在はオートバイの製造から撤退している。

 

 

成30年922

 秋がやってきました。オートバイ乗りにとって、気持ちのよい季節であります。ガソリンの値段が上がっている今、ちょっとした用事ならオートバイで出かけたいもの。ただ、あまりに狭いところや、停めたい場所やそこから出発するときのオートバイの切り返しはできるだけ避けたいもの。ほどほどに広い道を、切り返しに苦労しない駐車場などがあるところがベストですね。また、車体磨きもいいかも。フッ素スプレーで光沢を取り戻すのは気持ちのいいものです。きれいなオートバイで街を走るのは快感ですね。

 

 

平成30年915

 東洋経済ONLINEに、興味深い記事があった。<北朝鮮の「通常兵器」はどこまで進化したのか>である。今回の軍事パレードについて、多くのマスコミはICBMが出なかったことに集中していた。かつて旧式装備が大半で、『動く軍事博物館』と揶揄されてきた北朝鮮軍の装備は恐るるに足らずといことだろうか。しかし、この記事は、「現代的な軍事国家というイメージを打ち出すため、最新兵器の披露に力点が置かれた」と分析し、新型戦車2機種、装甲兵員輸送車、152ミリ砲・170ミリを装備した自走砲、多連装ロケット砲、8連装のミサイル発射装置を備えた6輪式戦闘用車両、4連装ミサイルを備えた沿岸防衛用の車両、戦略地対空ミサイルシステムなどが紹介されている。果たして、韓国はこれらにきちんと対応できるのだろうか。