おーとばいザムライ

書庫8

   おーとばいザムライのぼやき 2010年4月17日(土)

 『機械の中の幽霊』(ケストラー)の第10章に,「眼なしのハエ」という興味深い話が出ています。劣性遺伝の純系統で,<数世代たつうちに,同型交配していた「眼なし」の系統のなかに,完全に正常な眼をもつハエが生じてくる>そうです。つまり,高校で習ったメンデルの法則どおりにはなっていないわけです。この後,こういった不思議な話が進化論でも展開されていきます。生命というのはわからないことだらけなんですね,と思うのは,拙者だけ?
 
,   おーとばいザムライのぼやき  2010年4月18日(日)

 『機械の中の幽霊』(ケストラー)の第12章には,進化が袋小路(特殊化)に入ってしまったときに,幼形進化という,逆もどりしてもっと希望のもてそうな方向に出直すという現象をおこすことがある,という考え方が紹介されています。その図式として,ガルスタングという人のものがp228に紹介されているのです。これも高校の生物では出てこない考え方でしょう。実におもしろい!と思うのは,拙者だけ?
 
,   おーとばいザムライのぼやき  2010年5月2日(日)

 『機械の中の幽霊』(ケストラー)の読書が,第14章「機械の中の幽霊」に入ってきて,いよいよ架橋か,という感じになってきました。どうも,心は(身体と区別して)確かに存在するが,それは,古典的な二元論でとらえるのではなく,<終端の開いた階層性>という系列的な見方(これがホロンの考え方だと言っているのだと思う)でとらえるべき,と説いているのではないかな。だから,心と体の区分は,階層性のすべてのレベルにわたって存在し,自我と環境の間のただ一線に存在しているわけではない,ということになるのでしょう。つまり,ケストラーは機械の中に幽霊がいるということを言いたいのであって,これはいわゆる行動主義(いわゆる現行の正統理論)の学者が揶揄した言葉に反旗を翻したのだ,と読み取りました。だから,攻殻機動隊の中で,草薙素子が「私のゴーストがささやくのよ」という台詞になって現れるのだ,と。さて,この読みは正しいのかな。誰か教えてくれないかな,と思うのは,拙者だけ?
 
   おーとばいザムライのぼやき  2010年5月16日(日)

 『フィロソフィア・ロボティカ』(櫻井圭記,2007)が手元に取り寄せることができました。『心の概念』(ライル)は一休みして,こちらをまずは読んでみようと思います。副題が「人間に近づくロボットに近づく人間」という奇妙な日本語になっています。まだ第1章を読み終えたばかりなので推測ですが,これは『攻殻機動隊』のタチコマが「生きている」ことの意味を問うシーンと関係がありそうです。AIBOやアトム,鉄人28号,ガンダムなど,マニアックな素材を取り上げながらも,結構まじめに哲学しています。いや〜,また楽しみが増えました,と思うのは,拙者だけ?
 
   おーとばいザムライのぼやき  2010年5月20日(木)

 読みましたよ。『フィロソフィア・ロボティカ』(櫻井圭記,2007)を。櫻井氏は、「ゴースト」は唯一的であること、代替不可能であること、を指摘し、カプランの言葉を引いて、人間を「機械(テクノロジー)プラスなにか」であるとみなすと明確に言っています。つまり、ライルが揶揄した「機械の中の幽霊」を肯定しているわけですよ。しかし、『攻殻機動隊』は結構楽しませてくれますねえ、と思うのは,拙者だけ?
 
,   おーとばいザムライのぼやき  2010年5月22日(土)

 『フィロソフィア・ロボティカ』(櫻井圭記,2007)の中で私が興味深く読んだ箇所は,ギブスンの言う「サイバースペース」が<現実のものとなりつつある>ということです。特に,生理学者のデドワイラーが<損傷を与えたサルの海馬と,記憶チップを接続する実験を>行っており,記憶の復元に成功すれば,脳が外部データベースから検索し,取得できるようになるかもしれないと紹介しているところは,『攻殻機動隊』で描かれている世界ではありませんか。まだまだ絵空事のようではありますが,実現不可能ではないように思えるから不思議です,と思うのは,拙者だけ?
 
,   おーとばいザムライのぼやき  2010年5月29日(土)

 『となりのアンドロイド』(黒崎政男,1998),次はこれを読んでいます。表紙は刺激的なイラストになっていますが,中身はいわゆるAI(人工知能)についての論考です。ドレイファスという人の,コンピュータは知性を持つことができない,という主張を紹介し,人間には暗黙知があるがコンピュータはそれをリストアップしてプログラミングしないといけないから,としています。これを<フレーム問題>とうのだそうです。この本は読みやすいのがいいですね。どんどん引き込まれます,と思うのは,拙者だけ?
 
   おーとばいザムライのぼやき  2010年7月19日(月)

「華氏451度」(レイ・ブラッドベリ)を読みました。本が禁じられた世界を描いたSF小説です。この中に「車」が所々出てくるのですが,その位置づけが気になります。そのうちの1つ,主人公のモンダーグが焚書の仕事をやめると話したときに,妻のミルドレッドが「じゃ,車でもとばしてみたら?」という場面はゾッとします。だって,理由が…。どうも,「考えさせない」,ということと関係がありそうです。この映画があるようですので,いつか見てみたいものです,と思うのは,拙者だけ?
 
,   おーとばいザムライのぼやき  2010年8月7日(土)

携帯電話があることから腕時計をしなくなった人が多くなったと聞きますが,それは本当なんでしょうか。携帯電話は,文字上は確かに「携帯」ですが,運動などをするときはポケットなどに入れたり,体のどこかからつり下げたりしなければならず,本当の「携帯」にはなりませんね。腕時計が発達した理由は実はそこにあるのであって,体の一部といっても過言ではないぐらいのその携帯性にあったはずです。そういった意味で,推測ではありますがオートバイ乗りもその便利さから腕時計愛好者が多いのではないかと思いますがどうでしょうか?と思うのは,拙者だけ?
 
,   おーとばいザムライのぼやき  2010年8月8日(日)

いやいや,昨日の記述が浅はかであることを教えてもらいました。世の中には,腕時計では都合の悪い職業があるんですね。その典型が医療関係者で,彼らの使用する時計を「ナース・ウォッチ」というのだそうです。看護婦などは,手首付近の衛生が悪くなり感染症を引き起こしてしまう可能性があるので,腕時計をせずに懐中時計型の専用の時計を使用するとのことでした。一言に時計と言っても奥が深いですね。Wさん,ご指摘ありがとうございました。他にも知らないことが多そうなことがわかってきたので,しばらくは時計について探索してみたい,と思うのは,拙者だけ?