鷹来工廠第三工場の工場疎開を追って

鷹来工廠第三工場の工場疎開を追って

ー 山田栄氏の体験手記の発見 ー

「春日井郷土史 第9号」(春日井郷土史研究会紀要)

 

                             富 中 昭 智

1 はじめに

 昭和20年は、前年のサイパン陥落により、米軍のB29による空襲が激しくなった年として記憶されている。当初、軍施設や軍需工場のみが標的で爆弾で行っていた爆撃だったが、カーチス・ルメイの発案で都市への焼夷弾による無差別絨毯爆撃が実施され、都市によっては戦艦による艦砲射撃などが撃ち込まれるようになり、日本は文字通り焼け野原となった。

 都市住民は、少しでも子どもの安全を確保するために、いわゆる個人的な縁故疎開を昭和18年頃から始めていたが、縁故のない児童も昭和19年頃から集団疎開(学校疎開)で農村部へ半強制的に移動させられた。

 機密ということで後に明らかになったことであるが、政府等の重要機関も例外でなく、皇居や大本営などを内陸の山中に疎開させる案が進められた。興味深いのは、陸軍によって長野県(松代)の山中へ、海軍によって奈良県(山辺)の山中への疎開計画がそれぞれ進められていたことである。

 昭和20223日には「工場緊急疎開要項」が閣議決定され、軍需工場の地下施設化や農山村への施設の移動が行われる。米軍の空襲を避けるために、重要工場である航空機や兵器を製造する工場を疎開させたのだ。精工舎(現セイコー)が長野県諏訪に疎開したことは知る人ぞ知るところである。となれば、春日井の軍需工場である工廠も工場疎開をしたのではないかと考えた。そこで、今回の小論では、以下の点について追究することとした。

 

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春日井にあった鷹来工廠は疎開をしたのか。

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2 「春日井市史」に記載なし

 春日井の歴史の定番である『春日井市史』(昭和38年)で確認してみた。p400~p401に「工廠の設置」の項目がある。しかし、工場疎開には全く触れられていない。

 ただ、p404には昭和20112日には名古屋にB29による本格的空襲が開始され、「軍需施設をもつだけに春日井とても、もはや安全な場所とはいえなかった」との記述があり、814日には、「鳥居松工廠及び鷹来工廠は爆弾を浴びて破壊された」とのこと。この部分は、緊迫感と共に、重要な情報を与えてくれる。工廠は814日まで操業していたのだ。 

鷹来工廠は、工場疎開をしていなかったのだろうか?

 

3 小牧の塚原毛織の工場は疎開工場ではない

 ネットで検索してみると、小牧の塚原毛織という企業の工場が昭和19年に軍需工場に指定され[1]、銃弾の部品を製造した[2]とある。銃弾と言えば、鷹来工廠の主たる製造品だ。

塚原毛織は、小牧町会議員であった塚原嘉一が起こした企業である。この工場は、7000坪の敷地の中にあり、昭和10年には織機が300台で若い女工を中心に500名もの従業員が従事する大工場だったとか。

 指定された年などから、これは鷹来工廠の工場疎開か?と思ったが、ここと鷹来工廠ではあまりに近い。これでは工場疎開にならないのではないか。部品の製造とあることから鷹来工廠の関連工場とみた方がよさそうだ。

 

4 『終戦五十周年記念事業 戦争体験集』に出会う

 鷹来工廠の工場疎開について、確かな手ごたえがないまま、かなりの時間が過ぎ、あきらめかけていたときのことだ。偶然、『終戦五十周年記念事業 戦争体験集』という書籍を見つけた。

 この書籍は春日井市が発行したもので、戦争当時、春日井の地で体験した戦争体験を集めた本であり、それぞれに興味深い内容が書かれていた。読み始めた時は、それぞれの方の体験として目を通していたのだが、そのなかにある「山田栄」氏なる方の文章に目が留まった。

 鷹来工廠も工場疎開をしつつあったという事実が書かれていたのである。

以下、該当箇所である。

 

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工廠も(昭和)二十年に入るや、米軍の艦載機グラマンの襲撃を受けるようになり、

いつ爆撃されるやわからなくなりました。昭和二十年三月、十数名が先発隊として

岐阜県恵那福岡村田瀬(現福岡町)にある田瀬小学校の校舎を工場として改造すべく、

当時中津川のある紡績工場の女子行員を動員して作業が行われました。工作機械の

運搬、敷設等大急ぎで行われました。私は技官とともに数名の女子行員の手助けに

より学校の裏山から校舎づたいに熱処理に必要な水を引くべく設置していました。

工作機械等はようやく稼働するようになったところへ八月十五日です。玉音放送と

なり終戦を迎え、即日業務停止、後解雇となり、九月頃これまで住まいとしていた

田瀬の農家の二階をはなれ、福井へ帰ってまいりました。<( )富中>[3]

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山田氏は福井県出身で、昭和12年に18歳で東京第一陸軍造兵廠へ入廠。少年技術養成者ということで、熱処理技術などの教育を受けたとある。昭和17年(23歳)まで中支(現在の中国の華中:揚子江と黄河に挟まれた地域)方面で兵役(軍務)についた後、昭和193月に工廠命により鷹来工廠へ転属し、第3工場の熱処理作業にあたったとのことだった。山田氏は鷹来工廠の「工場疎開」の当事者であることがわかる。

これで、鷹来工廠が工場疎開をしようとしていたことに間違いないことがわかった。

 

5 田瀬小学校とは?

 田瀬小学校は、現在の中津川市にあった小学校であるが、2020年(令和2年)325日に最後の卒業生を送り出し、331日をもって廃校となっている。同時に現在の中津川市立下野小学校に統合され、驚いたことに、この下野小学校も2023年(令和5年)331日に閉校となり、現在の中津川市立福岡小学校に統合されていた。この福岡小学校は、202345日現在、14学級289名の中規模校となっていることが、福岡小学校の公式HPでわかった[4]

 

 

 

 

田瀬小学校は現在廃校となっている

HP「たせっこ*田瀬小跡地を考える会」

 

 

 

 

 

 

 鷹来工廠が工場疎開した昭和20年当時、田瀬小学校は福岡村田瀬国民学校といい、1873年(明治6年)に開校した小学校であることがわかった。先ほどの山田栄氏によれば、工場は、「学校の裏山から校舎づたいに熱処理に必要な水を引」き、「田瀬小学校の校舎を工場として改造」し、長女の誕生日である85日には工場は稼働し始めていたとある。「たせっこ*田瀬小跡地を考える会」公式HPには、鉄筋コンクリート製の新しい校舎の写真が掲載されている[5]。当時は木造校舎であったであろうが、校庭や周

囲の様子を知るには大いに参考になる。現

在も裏山があり、ここから熱処理に必要な

水を引いたのだろう。

 念のため、「福岡町史 通史編下巻」で確認してみたところ、p857に次のようにあった[6]

 

  [田瀬国民学校]

  昭和二〇年 五月山菜を採取する。アルミ貨を回収する。

        七月陸軍造兵廠が学校へ工場疎開する。岐阜市爆撃罹災児童へ救援物資を発送する。国民学校学徒隊を結成する。

        八月運動場を開墾し、そばを蒔きつける。新校舎の階下四教室を軍需工場として使用する。

       十一月疎開児童田瀬寮より帰還する。進駐軍工場接収のため来校。

       十二月御真影を奉還する。

                   

 ここには、「鷹来」とは出てこない。しかし、7月に陸軍造兵廠が学校へ工場疎開して来ており、8月には新校舎の階下(2階建ての校舎の1階部分と思われる)を軍需工場として使用、とあるため、疎開してきた軍需工場というのは、鷹来工廠の第3工場と見て間違いないだろう。

 

6 福岡町史の記述に驚く

 これで山田栄氏の言う鷹来工廠第3工場の工場疎開が裏付けられた。ところが、実はこの「福岡町史 通史編下巻」にはさらに興味深い記述があることを見つけた[7]。下に書き出してみる。

 

  [下野国民学校]

  昭和二〇年 五月新校舎の全部と工作室階上下ともに鷹来軍需工場として転用する。

        七月学徒動員令により、高等科全員が陸軍造兵廠鷹来製作所福岡隊第四区隊(下野)工場へ出勤する(男女別二交代制で午前七時より午後六時まで勤労)。

 

  [福岡国民学校]

  昭和二〇年 一月山之田の富士山クラブを、東舎付属建物として軍で移築し、軍需工場に転用する。

        七月学徒動員令にともない、高学年は午後より造兵廠に就労する。運動場、道の路肩その他空閑地を掘起し、甘藷の椊付けをする。

        八月終戦に付き教育方針定まらず、第二学期の会合を取止める。

  

  [高山国民学校]

  昭和二〇年  四月北舎二教室と特別教室を工場へ転用し、作業開始する。

七月高等科児童を、並松造兵廠への動員を開始する。

        十一月疎開児童が高山寮より帰名(名古屋へ帰る)する。

              

 もうお分かりだと思うが、下野国民学校には、明確に「鷹来軍需工場」「鷹来製作所」と書かれている。福岡国民学校は、田瀬小学校と同じく「軍需工場」としか出てこないが、鷹来工廠である可能性があると思われる。高山国民学校には、「工場」としかなく、軍需工場とは差別化されているように見えが、文脈からして、やはり軍需工場、鷹来工廠の可能性は否定できない。並松とは、現在の中津川市の苗木地区にある並松のことと思われる。

 

7 北恵那鉄道

 鷹来工廠には、中央線鳥居松駅(現在の春日井駅)から軽便鉄道の引込線が敷かれていた。今となっては詳しい資料が見当たらないのだが、軍人や工員、そして学徒などの人員、原材料、製品を運んでいたと言われる。この福岡村一帯にも鉄道があったのではないかと推測し調べたところ、「北恵那鉄道線」なるものが存在していたことが分かった。

 この鉄道は、当初は蒸気動力の軽便鉄道だったが、1920年(大正9年)に直流600Vの電気に電化され、愛称「恵那電」で親しまれていたようだ。路線は、中央線の中津川駅から付知駅を結んでおり、停車場(駅)は、

 

  中津川 * 恵那峡口 * 山之田川 * 苗木 * 上苗木 * 並松 * 関戸 *

 

* 福岡 * 栗本 * 下野 * 田瀬 * 稲荷橋 * 付知 …(付知森林鉄道)

 

となっている。

 駅名をご覧になれば分かるが、上記の国民学校(小学校)である、「福岡」「下野」「田瀬」が入っており、「並松」もある。この鉄道は、付知森林鉄道と接続し、もともとは、木材輸送を中心とする貨物輸送に使われていたようだ。鷹来工廠の工場疎開後は、この北恵那鉄道線を使うことになっていたのだろう。現在は、鉄道は廃止され、北恵那交通のバス路線となっている。

 

8 おわりに

 長い間、政府や軍施設などが疎開していたことから、では、鷹来工廠も疎開をしたのだろうか? と疑問に思い続けていたことが、この小論の出発点だった。果たして、鷹来工廠は、終戦直前に、現在の中津川市の福岡地区に工場疎開していたことをはっきりさせることができた。これは、『終戦五十周年記念事業 戦争体験集』(春日井市)との出会いのおかげである。ここに山田栄氏が書き残しておいてくださったことに感謝したい。

 

 

< 参考文献 >

[1]Wikipedia「塚原嘉一」経歴参照

[2]『第4回こまき検定 問題一覧と解説文』

  第30

   「太平洋戦争末期の昭和20(1945)8月3日の昼、小牧は米軍機グラマンの空襲くうしゅうにあい、3名の 尊 い命が失われました。この空襲で標的となった場所はどこでしょう。」

    「太平洋戦争末期は、名古屋や春日井でも空襲の被害を受け、名古屋にあっ  た愛知時計や春日井にあった鷹来工廠も米軍による攻撃の的となりました。小牧にあった塚原毛織工場は、戦争中に 銃 弾 の部品を作る工場へと   転換しましたが、米軍機グラマンの空襲にあい、当時15才の男子中学生1  名と、当時7才と4才の姉妹が亡くなっています。

      ※空襲・・飛行機から 爆 弾 などを落とされる 攻 撃 。

      ※工廠・・軍隊が直接指揮・管理している、武器・弾薬などの開発や製造、修理などを行う工場施設 。」

[3]「風船爆弾の和紙は福井県今立町から」山田栄

  『終戦五十周年記念事業 戦争体験集』春日井市 平成786

[4]中津川市立福岡小学校公式HP 

https://www.city.nakatsugawa.lg.jp/soshikikarasagasu/school/fukuoka_ps/index.html

[5]「たせっこ*田瀬小跡地を考える会」公式HP

https://ja-jp.facebook.com/tasekko.tasesho/

[6]「国民学校令時代」『福岡町史 通史編下巻』平成4331日 恵那郡福岡町

[7]国民学校令時代」『福岡町史 通史編下巻』平成4331日 恵那郡福岡町

 

 

                       2023年(令和5年)831

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