〜闇〜
月面基地のドッグの中に、その黒い砦は眠っていた。必要以上の電源は全て落とされた薄い暗闇の中で、私は何も映し出さない大きなモニターを見つけていた。ブリッジの自分の特等席、鉄の冷たい玉座に、普段は絶対にしないような体勢で、身体を深くもたれさせ、モニターの向こうにあるであろう星空と、そのどこかにいるであろうあなたを、想っていた。
腰を浅く掛け、背中は大きく沈め、頬杖をついて身体を斜めにして、答えが出るはずの無い自問自答を繰り返す。明日になればこの艦に火が灯され、戦場に向かう…いや、核を使った一方的殺人を行う…
「っ!」
自分の考えを否定するように首をぶんぶんと横に振った。軍人である私がそんな考え方をしていてどうするのだ?軍の判断は正しいものなのだ。例え、人間一般として正しくなかったとしても、疑問を持つことなど愚かしいことだ。ほんの数ヶ月前の私なら、こんな考えを持つ部下を一喝していただろうに。
もう一度座りなおし、モニターを見つめる。あなたは今、何をしていますか?
ため息をついた瞬間、ブリッジの扉が開く音が背後に聞こえた。廊下から一筋、光が差し、扉が閉まるとともにまた暗がりに戻る。
こんな時間に誰だろうか。この艦の艦長である私以外に、自由に艦内に出入りできる人物…
コツコツと、靴の音が近づいてくる。ああ、ここは重力があるのだな、とぼんやり想いながら、そのままの姿勢を正すこともなく、様子を伺っていた。
その人物はこちらの存在に気づくことなく、私の横を通り、ブリッジ全体が見渡せる、私の目の前に立つ。その背中を見て、彼の正体を掴んでも私はなぜか声をかけることも、そっと逃げることも考えなかった。
金色の髪が闇の中のかすかな光を捉えて緑色に反射していた。彼は私のほんの数十センチ先にいるというのに、まるでこちらに気づかない。彼の背中によって遮られたモニターを見つめる代わりに、私はその背中を見つめていた。
初めて会ったときに感じた、「この男は危険だ」という警鐘も、今は鳴らず、静かに二人だけの時間が流れるのを、なぜか心地よく感じていた。
どれだけ時間が経っただろうか、数十分かもしれないし、数秒だったかもしれない。彼は気が済んだのか、ため息をつきながらモニターから目を逸らしたのが背中越しの気配でわかった。そしてゆっくりと踵を返すのを、私は瞬きもせず見つめていた。
「…!うゎ!」
やっとこちらに気づき、驚いて彼は後ろにのけぞる。
「!」
そのまま後ろに倒れこみそうになる彼の腕を、掴み、力いっぱい引っ張る。今度はその力で私は背中から艦長席に倒れこんだ。痛みを感じるほどではなかったが、後頭部を軽く打ち、背もたれで制帽がずれて視界を覆う。
「大丈夫ですか?」
私は二人の体の間に挟まった腕を何とか抜き、制帽のつばを上げる。
「…理事?」
開放されたとはいえ、やはり薄暗い視界の中で目を凝らす。先ほどから鼻先をくすぐるのはこの男の髪の毛だったのか、と認識すると同時に、男としては決して広くはない肩が小刻みに震えていることに気づく。その震えと同じリズムで彼の髪は揺れ、微かなコロンの香りが鼻孔をくすぐる。
…泣いている?
「理事、大丈夫ですか?そ、そんなに驚かせてしまいましたか?」
急に罪悪感にとらわれ、未だ自分の体の上からどこうとしない男の背中に手を回す。子供じみたところがある、とは以前から思っていたが…
「理事…理事、すみませ…」
どうしたらいいかわからずオロオロしていると急に目の前に蒼い光が飛び込んだ。それが彼の瞳だと気づくのは、唇に柔らかいものを感じたのとほぼ同時だった。
「んん…っ…ふ…」
口内に舌が侵入してくるのがわかる。重心がずれ、頭の位置が下がっていく。
「…っ理事…っ」
ようやく、事態がのみこめて、彼の身体を押し離そうと腕に力を入れると、思いのほか軽く、彼は身体を離した。
「…っ…はぁ…」
身体を離し、私の目の前に立つ彼を下から見上げるが、暗くて表情が見えない。今されたことを咎めることも、責めることもできない彼の空気に、私はただ見ることしか出来なかった。
「…んで…」
「え?」
「なんで、アンタがここにいるんだよ?」
震える声は、怒りのせい?それとも…
「なんで、とおっしゃられても…」
なんとなく、としか言えない。自分でもわからないのだから。
「り、理事は?」
あからさまな話の逸らし方に、また責められるかと思って身をこわばらせるが、彼もまた黙り込む。私が腕で身体を持ち上げながら、姿勢を整えると、ようやく彼は口を開いた。
「見張りに来たんですよ」
「私を、ですか?」
「君がここにいるなんて知らなかった。…この艦を、ドミニオンを、見張りに来たんだよ」
「…はぁ…」
私が曖昧な返事をすると彼は顔を横に向けた。まるで視線から逃れるように。
「現に、裏切り者の仲間のアンタがこんな時間にこんなところにいただろ?」
「な…!」
私は思わず立ち上がり、つめよる。
「…!すまない…言い過ぎた…」
「!」
またも言葉を失う私に、彼は顔を向けてフッと笑う。
「僕でも自分に非があると感じたら謝るさ。」
まるで私の中に芽生えた疑問を読み取ったのかのように彼は言った。細くなった彼の目を見て、私は思ったままのことを口に出した。
「貴方らしくありません」
「…ハハハっ…艦長さんが僕の何を知っていると?」
それもそうだ、と私は肩をすくめた。私は何も知らないのだ。この男のことを、何一つ。
「でも、本当に裏切ろうとしたら、許さないよ?」
「…ありえません」
私の返事に満足げな笑みを浮かべた。先ほどまでの震えも、止まっている。
「じゃあそれを信じて教えてあげるよ」
「…」
教えて欲しいことなどない、といえばないのだが、疑問を感じたことがある事項は山ほどある。どれのことだろうかと私は首をひねった。
「僕はね、誰も信用しちゃいないんですよ」
「…」
「部下も、上層部も、もちろん貴女もね、艦長さん」
「…」
私は黙って彼を見つめていた。口を挟もうとしない私を確かめると、背を向けてまたモニターを見つめた。
「そして、この艦も」
彼は、モニター越しに何を見ているのだろうか。
「あのアークエンジェルも今や地球にとっては脅威となった。そしてこのドミニオンも…いつ地球に牙を剥くかわからないでしょ?」
「…クルー達が裏切ると?」
「まぁ、そう可能性もあるって事ですよ」
だから地球でのんびりしているわけにはいかなかった。最前線で地球軍を見張るのが僕の役目だ、と付加える。
「…むしろ僕は、憎いのかもしれない。この艦が」
「!」
「いや、この艦だけじゃない。MSも、MAも、核も、全ての兵器が憎い」
私が黙り込んでいると彼は振り向いて私に向き直る。
「地球を脅かす可能性のあるもの全てが、僕は信用できない」
貴方が作ったものでしょう、という言葉を飲み込んだ。そんな矛盾は、とっくに承知しているだろう。
「それでも、それを利用しなくちゃ、地球を守ることは出来ないんだ」
まるで私の言葉を待つように、そこで言葉を切る。
「…兵器は、使う者の心次第で身を守る盾になります」
「…まぁ、それが模範解答かな…」
彼の右手が私の前髪を掻きあげると制帽が床に柔らかく落ちた。蒼い瞳が近づいてきても私は目を逸らさなかった。その色は、地球の光に似て、久しぶりに郷愁を覚える。
「誰かに壊されるくらいなら…僕が壊した方がマシだ…」
唇を離して呟いた彼の声は、再び震えていた。同じようにかすかに震える、頬に添えられた手を私は上から覆うように握る。
この手は、血に染まることを厭いはしないが、誰かを血に染め上げる道具を持つことを拒否しているのか。
「良いんですか?私のこと、信用していないのでしょう?」
「…僕は気まぐれですから」
ならば…ならば私が貴方の剣になろう。貴方の憎む全ての兵器は、私が代わりに抱いて。
この宇宙のどこかにいる愛しいあなた、あなたにその剣を向けることになろうとも。
闇の中で幾度となく交わされる深い口づけの中で、彼の頬に涙が伝うのを、気づかないふりをしながら、私は祈る。
誰かに壊されるくらいなら…私が壊す…
〜後書き〜
あーやっとアズナタかけました。ずっと構想だけはあったのにイザとなると気合が空回りと言うか、私の中でアズナタが神聖化しすぎていてうかつに手を出せなかったと言うか(何をいまさら)。
今回のテーマは「盟主はいい人かもしんない」ってことで。あとウチのアズナタの共通テーマは「内在する愛」なのでよろしく。(されても)今回の話は珍しくノイナタを前提としていない(つもり)お話でした。あと、擬人法とか?