〜大人の純恋4〜

 
砂漠の虎を撃退したアークエンジェルは紅海に出ていた。海をはじめて見る者や、久しぶりに見る者、多くのクルーがしばし戦争を忘れ、楽しんでいた。

そんな中、一人浮かない表情の士官がいる。ナタル・バジルール中尉である。AAの長距離移動による緊張から、忘れて・・・いや、正確には考えずにいられた事が再び頭を掠める。副官長席から一点を見つめるその先には・・・AAの操舵席があった。殆どのクルーが休憩を取り、海を見にデッキへ出ているというのに、その席に座る彼は、当たり前のようにそこを離れようとはしない。

レセップス撃退祝勝会の夜、そして翌朝に起きたことを思い出すと、彼とどんな顔を合わせたらいいのかわからず、あれから会議や報告などの事務的な会話以外は一切言葉を交わしていない。それに、ひとつだけ気になることもある。一度だけ廊下ですれ違ったとき、あえて思い切って話し掛けようとするナタルを避けたような気がしたのだ。お互いに忙しい時期でもあったし、気のせいかもしれない・・・しかしすっきりしない気持ちをずっと引きずるわけにもいかない。何より・・・何を話したらよいかわからなくても、彼と言葉を交わしたいという単純な思いがあった。

ナタルが色々と考えを巡らせていると、艦長までもが「ちょっとお願いね」と席をはずした。ブリッジは気づけばナタルと、そして操舵士であるアーノルド・ノイマン少尉二人っきりになっていた。

「・・・よし・・・!」

 ナタルは何やら気合を入れて、席を立ち、ゆっくりと彼の背中に向かって歩いていった。それはまるで戦地へ赴く兵士のようで・・・とても女性が気になる男性の元へ歩み寄るシーンには思えないのだが、彼女にとってはそこまでの決死の決意だったのかもしれない。

「の、ノイマン少尉・・・」

「・・・っわ!」

 恐る恐る声をかけると、彼は肩をビクッと震わせ、驚いたように声をあげた。

「うわぁ!スマン!」

 その声に彼女も驚き、つい誤ってしまう。

「あ、わ、す、すみません、中尉!」

 振り返り、声をかけた主の顔を見、慌ててあやまるノイマン。

「ちょっと、考え事を・・・」

 照れたように、そして困ったように笑いを浮かべる彼を見て、

「軍務中に考え事か!?」

 彼女はいつもどおり、軍人として、上官として声を大きくしてしまう。

「はぁ・・・、申し訳ありません・・・」

 また彼は顔を前方に向け、そして・・・沈黙が続いた。

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

「避けてるのか?私を・・・」

重い沈黙を破ったのはナタルの、いつもとは違う弱弱しい呟きだった。

「・・・・・・・・・」

 ノイマンは否定も肯定もせず、無言のまま、前方を見つめている。

「・・・あれから・・・一度だけ廊下ですれ違ったとき、目を逸らしよな?」

「あっ、あれはその、忙しくて・・・、その、急いでたものですから・・・!」

「・・・上官とすれ違って敬礼もしない程、か?」

少し意地悪な言い方だ、と彼女も感じたが、その言葉にひたすら謝罪する彼を見て、言葉を止める事は出来なかった。

「やっぱり、私なんかに・・・」

「違います!」

ようやく再び振り返った彼は、そのまま自嘲的な言葉を続けようとするナタルの腕をつかむ。

「・・・痛っ」

「あ、も、申し訳ありません!」

 思わず眉をゆがめた彼女に気づき、手を離す。そして立ち上がり、深呼吸し、彼女の正面にまっすぐ立つ。

「中尉のせいじゃないんです!お・・・自分が、いけないんです!」

「?」

 意味がわからず首を傾げるナタルの手を、今度はゆっくり、優しくとる。

「自分は・・・その、あれ以来、ずっと中尉のことを考えてまして・・・」

 しゃべりながら少しずつうつむいていくノイマンの顔は、心なしか赤くなっていた。

「やはり・・・私のせいなのだろう?」

 ナタルもしだいにうつむいていく。

「そりゃ、中尉のせいって言えば・・・そうなんですけど・・・ち、違うんです・・・」

「何が、どう?」

 手を包む彼の手の温度を感じながら、彼女は思ったままの疑問を口に出す。

「どう・・・って・・・言われても・・・」

 再び訪れる長い沈黙。ここでは波の音すら聞こえてこない。

「・・・じ、自分は・・・っ!」

「う、うん・・・」

 今度は沈黙を破ったのはノイマンの方だった。うつむいていた顔を上げ、まっすぐナタルの顔を見つめる。ナタルはその強く、熱い眼差しから目を逸らすことが出来なかった。

「自分は・・・中尉を思うと・・・その・・・、よ、よこしまな事を考えてしまうんです!」

「・・・!」

 彼の顔はもう気のせいとは言えないほど真っ赤になっていた。握った手が、汗ばんでいるように感じる。そしてナタルもまた、自分で実感できるほど顔を熱くさせていた。

「・・・例えば?」

 口にしてはじめて、ナタルは自分の声が震えていることに気づく。

「え?・・・ええと・・・その・・・きっ、キスしたいとか・・・抱きしめたいとか・・・」

 ブリッジには二人だけの声が響く。

「そう・・・」

「ちゅう・・・」

 ナタルは自分から顔を近づけ、自らの唇で、彼の唇に触れる。そしてそのまま女が体を男にもたれかけさせると、今まで彼女の手を捕らえていた手がはなれ、肩から背中に腕が回されるのを感じる。

「中尉・・・」

 唇が離れ、男は無意識的につぶやく。女は少し意地悪そうな笑みを浮かべて

「それだけでいいのか?」

とささやいた。

「え・・・!どどどどど、どーいう意味・・・」

 その時、扉の向こうからがやがやとした声が近づいてくるのが聞こえた。おそらく少年達であろう、地球の海と潮風を思い切り満喫したようで、楽しそうな笑い声が混じっている。ノイマンはそれに気づき、ナタルに回していた腕をさっと下ろし、一歩だけ後ろに下がる。

「んー、気持ちよかったぁ!」

「でさ〜、今度は・・・」

「うん・・・あ!バジルール中尉!・・・と、ノイマン少尉」

扉を開け、まだ興奮冷め遣らぬ様子で話しつづける少年たちが、二人の上官がこちらを見ていることに気づく。

「ちょうど良いところに戻ってきた。交代だ、頼むぞ」

 怒鳴られるのを覚悟し身を硬くさせていた少年たちだったが、ナタルがノイマンの腕を掴み、ツカツカと歩きながら自分たちに声を掛けたので、ほっと安堵の息を漏らす。

「お任せください、ごゆっくり!」

 明るく敬礼し、二人を見送るトールに、他の少年たちもそれに続く。

 ぴしゃっと扉が閉まると、彼らは顔を見合わせた。

「あ〜、びっくりしたぁ・・・」

「中尉達も海、見たかったんだね」

「そんな雰囲気じゃなかったと思うけど・・・まるで説教でも始まりそうな・・・」

「珍しくノイマン少尉、なんかやらかしたのかな?」

 少年たちは思い思いに推測する。

「う〜ん、ずばり、愛の告白ね!」

 ミリアリアが目をキラリと光らせるが・・・

「それが一番ありえないって〜」

 全員が笑い飛ばすのだった。

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