和時計を見直そう 5・29・2012

 

 和時計の見方が良く判らなかったので、調べてみました。一日を12等分して夫々十二支を割り付けております。これは太陽の方角を表しているようです。子は北に当たり、午は南に当たります。太陽が最も南にある時が 午です。太陽が南中する前、つまりひるより前が午前となり、その後が午後となります。中国語だと太陽が南に昇る上午、北に向かって沈み始める下午。 子午線は地球の北と南を結ぶ線。

 

 

 

 夫々の家に時計があるわけではないので、お寺の鐘で時を知らせます。子の時は九つの鐘を打ち、次の丑の時はそれを2回で18回と思ったのですが、沢山打ちすぎるのもなんだからと最初の10は止めて8回打つことにした。寅は三回目なので9×3=27、同じく20を飛ばして7回だけ、という具合にして4回までいって昼になるので9回に戻るといった具合。

 

 九月九日は重陽の節句です。九には災難を逃れる意が含まれているため、古来この日に高い場所に登る慣習があり、広州では白雲山に登ります。明け方の日の出を拝めるように時間を調整しながら登るのです。

 

 ところで、一時を四等分したのが一刻で、時と刻をあわせて時刻といいます。又一時はおよそ2時間ですので、一刻は30分になります。よって、一刻を争うというのは大体30分くらいで何とかしろ、という感じ。福島の原発で政府発表が何時間も遅れたのは一刻を争う体制が全く出来ていなかったということで非難されているのである。せめて30分以内に発表しておれば、結果はもっと違ったものになったはず。

 

 昔の人は日の出と共に仕事をはじめ、日の入りと共に仕事を終えた。正に体内時計の命ずるままに働いていたという事で理に適っている。一説に昔は朝と夜の2食しかなかった。昼お腹が空くので、お八つを食べた。和時計でいう八つは今の1時〜3時まで。一日3食摂るようになってもお八つが残っているのはDNAのなせる業か?

 

 日の入りで薄暗くなり人の顔がハッキリ見えなく時間帯を『たそがれ時』と言いますが、それは誰だ彼は=誰そ彼からきている。そして、日の出で同じような状況が生じる。その時間帯を逆に彼は誰だ=彼は誰? で『かわたれ時』と呼ぶのであります。

 


 

 社長が気に入って購入した成瀬時計。24時間時計だが、ミソは季節によって文字盤が変わること。この写真では12月の冬至頃で、6時〜18時までが短くなっている。6時というのは所謂明六つで、18時は暮六つにあたる。即ち日の出の時刻が遅く、日の入りの時刻が早いということ。

  

 こちらは6月夏至の頃を示す。夜が短く、昼間が長くなっているのが判る。上のポンチ絵と照らし合わせるとよく理解できる。明六つは日の出の時刻である午前4時半頃を示しており、暮六つは日の入りの時刻である午後7時過ぎを示している。日の出と共に活動を開始し、日の入りと共に一日を終える。