壬寅<旧きをたずねる者が、新しき道を拓く>  1・2・3月/'22

 

 外のエネルギー『壬(みずのえ)』は、妊につながり、新しいDNA、新秩序を育む姿。内なるエネルギー『寅(トラ)』は、昨年紐でまとめた組織で演じる形。Withコロナの新秩序を確かなモノにする為に、 昨年実施したワクチンのブースター・パフォーマンスを実施する。というのが、2022年干支の意味するところ。 正にNew Normal が実現する運気。

 

 壬申の乱:天智天皇の太子・大友皇子に対し、弟・大海人皇子(天武天皇)が反乱を起こし勝利した672年の出来事。皇位を兄弟で争わず、長男が後を継ぐ。倭という呼称を日本に変更。等々新しい方式への転換が『壬』。それを実行する内なるエネルギーは、陰気が陽気を突き抜き、天と地を結ぶほどに伸びる『申』で、反乱軍が勝利。天武天皇の政策を継承した持統天皇により、種々の改革が行なわれて、今の日本の形が出来 あがった。伊勢神宮も、天武天皇・持統天皇の時代に斎宮が制度化されるなど、現在の姿に整備された。

 

 伊勢神宮の起源は、第十代崇神天皇の治世に、疫病が流行り多くの人民が死に絶えたことで、天皇の傍で祀るのは恐れ多いとして、神鏡を皇居の外に移したことにある。神鏡を託された倭姫命は、各地を転々と移動して(愛知県では一宮の酒見神社等)、伊勢に落ち着いた。新たな日常が定まるまで90年かかっている。倭姫命が神鏡と一緒に持参したのが、ヤマタノオロチから素戔嗚尊が取り出した剣。これが日本武尊に手渡され、各地を遠征した後に、草薙の剣として熱田神宮に祀られている。

 


3月27日(日曜日) 晴れ風強し 18℃ 120km/65478km

鎌倉街道&東海道

 風強いけど、桜は咲くし、天気もいいので、午前中サイクリング。相棒はクロモリ。自宅 → 境川 → 井ヶ谷 → 駒場 → 八橋 → 花の瀧 → 熊野神社 → 宇頭 → 山崎 → 西岡崎 → 諏訪神社 → 渡橋 → 真宮遺跡 → 明神橋 → 岡崎公園前駅 → 中岡崎駅 → 八丁味噌 → 矢作橋 → 旧東海道 → 明治川神社 → 豊田・安城自転車道 → 里町 → 猿渡川 → 八橋 → 駒場 → 井ヶ谷 → 自宅。走行距離65q。帰路は、風を避ける為、住宅街の中をギザギザに進むように工夫してみたが、それでも風はきつかった。

 

猿投山ヒルクライム

 天気の合間をみて、久しぶりにトライ。相棒はチタン。自宅 → 保見 → 猿投神社 → 東宮登山口 → 四郷 → 浄水 → 三好ケ丘 → 自宅。走行距離52q。猿投神社の駐車場から東の宮鳥居まで5q、20分で上れていたが、今日は30分かかった。登山をする人が多かったが、行違う人と、道を譲り合う時の挨拶が気持ちよかった。

 

まん延防止特別措置解除・日本大正村・春分の日

 暖かくなり、草木の芽が一気に吹き出してきた。そんな中のコロナ、感染者数減少が緩やかではあるが、ベッド使用数が基準値を切っているので、今週から解除。コロナウィルスがインフルエンザの一つになるステップかな。


3月20日(日曜日) 晴れ  14℃ 0km/65358km

福島沖地震(牡鹿半島南南東60q)

 16日23時34分、36分、寝ようとしてベッドに入った途端、ゆっくりとした横揺れ、TVをつけると、福島沖でマグニチュード7.4。宮城・福島で震度6強。東京が震度4。愛知県が震度2。太平洋プレートが北アメリカプレートの下に潜り込んで発生する北アメリカプレートの歪による地震。

 フィリピン海プレートが、ユーラシアプレートに潜り込むことによるユーラシアプレートの歪で発生するのが南海トラフ地震。昭和東南海地震(1944年、46年)が発生してから80年が経とうとしている。昭和の前は安政東海地震(1854年)、90年前だ。フォッサマグナを堺に、北アメリカプレートで起こっている東北の地震、ユーラシアプレートで起こっている、阪神淡路地震や、熊本地震。いつ何があってもおかしくない。

 

夏日

 14日(月)ホワイトデーは、5月の暑さになり、地方によっては気温28℃を記録した。芝の芽が吹き出し、花が一気に咲き始めた。ロシアのウクライナ侵攻が続いている。Slave(奴隷)という言葉は、Slav(スラブ)が語源。ヴァイキング(800〜1050)が始めた奴隷貿易が起源かな?モンゴル帝国(1206〜1635)による支配、オスマン帝国(1299〜1922)の侵入、で継続的戦争状態にあったのがウクライナ、ベラルーシ、ジョージア。その頃の日本は、鎌倉時代で、元寇(文永の役1274年、弘安の役1281年)があったものの、海という自然の要塞に守られた。アメリカ大陸発見(コロンブス1492年)の頃には、船でアフリカ、アジアと活動範囲が広がり、黒人奴隷が増えた。陸続きの国々と、島国との差。『僕は、戦争に行くのではない、戦争が向うからやってきたのだ。家族と国を守るために戦う。そういう選択をしなくて済む戦争の無い国はラッキーだ。』というウクライナ青年の言葉が胸を刺す。民主主義(自由)と専制主義(統制)との戦い。


3月13日(日曜日) 晴れ 23℃ 62km/65358km

名古屋 Women’s Marathon

 名古屋に用事があり出かけたが、名古屋市博物館前の通りがコースになっており、中々横切れず、随分遠回りをして、1時間近く遅れて目的地に到着する羽目になった。予め、コースを調べておくべきだった。 帰宅後、はなを連れて愛知池を散歩、堤防往復する等、久しぶりに1時間30分くらい歩いた。

 

豊田安城自転車道

 4月中旬の暖かさ。黄砂と花粉で、猿投山が霞んでいる。水源公園で、I江さんと落ち合って出かける。相棒はチタン。自宅 → 水源公園 → 安城の北城屋  → 水源 〜 浄水 → 自宅。走行距離60q。久しぶりのルート。途中、工事中で迂回ルートがあったものの、安城市内に入ってからは、大きい道路や鉄道の下をくぐるトンネルは相変わらずで、走り易い。和菓子の北城屋は、ほぼルート沿いにある。朝から大勢の人出だった。お土産に 『かりんとう饅頭』を調達。暖かく、風もない春うららサイクリングだった。


3月6日(日曜日) 晴れ 10℃ 103km/65296km

津観音・阿漕塚

 津観音が、日本三大観音の一つだと知った。阿漕ヶ浦の漁師の網に引っかかった観音像だ。諸輪の観音様も元々は漁師がお祀りしていたのが、境川の河口に流れ着いたのを、諸輪まで運んできた。『船板一枚下は地獄』、観音様と漁師との関係は、深かった。観音菩薩は、人間に近くて、万能で、縋りたくなる。

 

春一番

 5日(土)は、昼間の気温が一気に上昇。チタンで練習。愛知池一周+逢妻川。時間と共に、雲行きが怪しくなり、帰宅寸前に強風と共に雨が降り始めた。気象庁は、昨年より13日遅い春一番だったと説明。ロシア軍のウクライナ侵攻が続く。Slave(奴隷)の語源はSlav(スラブ)。スラブ民族が奴隷となった厳しい歴史が、思いやられる。♪花はどこへいった♪ 花→少女→青年→兵士→墓場→花→少女・・・・と繰り返される。ベトナム戦争時の反戦歌が蘇る。

 

ひな祭り

 3月に入った。オミクロン株はピークを過ぎたようにみえるが、感染者数の減少幅は小さく、高止まりしている。久しぶりに徳川美術館に行った。 先ず、宝善亭で昼食。本格的和食を楽しめた。その後、順路とは逆回りに進んだ。先ず、尾張徳川家の歴代雛飾りの展示。流石に、衣装や道具は、手が込んでいて、格段 にモノが違う。人形店で見るお雛様とは、別世界のように感じた。お雛様を一通り見て回り、本来の展示場に向かった。能楽舞台の復元版は見覚えがあった。茶室『猿面』の復元版展示場では、茶道具の展示があった。利休忌に合わせて、『千利休 泪の茶杓』の特別公開ということだった。何も知らずにいったが、久しぶり(恐らく10年以上経過)にいくと、思いもよらない出会いがあるもんだ。 日本食、雛飾り、茶道具、刀剣他の美術品の数々、改めて、職人技を眼にした。蔓延防止対策の延長で、飲食店の制限により、経済が回らないと言われているが、経済を回しているのは、飲食店や製造業だけではないのを実感した一日でした。


2月27日(日曜日) 晴れ  12℃ 62km/65193km

緒川城址

 徳川家康の母、於大の方生誕地訪問サイクリング。相棒はクロモリ。自宅 → 豊明駅 → 大府消防署 → 東浦森岡 → 於大公園 → 緒川城址 → 明徳寺川 → 県道r23 → R366 → カリモク本社 → 衣浦大橋 → 高浜かわら美術館 → 県道r50名古屋碧南線 → 小垣江町 → 大浜街道 → R155 → 逢妻川 → 刈谷市運動公園 → 富士松 → 旧東海道 → 境橋 → 大久伝八幡 → 太子 → 諸輪 → 自宅。走行距離61q。於大公園は大きくて分かり易いが、緒川城址は、民家が立ち並ぶ中にあり、車で辿り着くのは至難の業。石垣しか残っていないので、どんな城だったのか皆目見当がつかない。位置関係だけは分かる。川沿いの遊歩道が整備されているのが印象的。至る所に於大という名前がついている。衣浦大橋を渡り、いつもの道を帰るが、大浜街道は交通量や信号が多く走り辛い。暫く走っていない間に、体力が弱っているのを感じるサイクリングだった。

ロシア軍ウクライナ侵攻

 戦争が始まった。プーチンの独断戦争の様相。民主主義と専制主義の価値観のぶつかり合い。なので、国連の意味が無くなっているように思う。

天皇誕生日

 北京オリンピックが終わり、TVの番組も日常に戻った。 と共に寒波が戻ってきて、日本海側は大雪に見舞われている。北海道は、JRが前線運休、千歳空港も除雪が終わると又直ぐ積雪があるので、全面運休。


2月20日(日曜日) 晴れ 9℃ 0km/65131km

伊勢神宮

 家内安全、交通安全、健康祈願、お礼参りも兼ねて、2年ぶりの参拝。高速道路ICから先ず、外宮、正宮:豊受大神宮(豊受大御神)、別宮:多賀宮(豊受大御神の荒御魂)、土宮(大土乃御祖神)、風宮(級長津彦命、級長戸辺命)。皇學館大學の前を通って、内宮 正宮:皇大神宮(天照大神)、別宮:荒祭宮(天照大神の荒御魂)。愛知県から、木曽三川を渡って三重県に入るなり、雨に見舞われる工程だったが、無事参拝できたことに感謝。

2千年前の疫病

 崇神天皇の時代について、古事記には、『この天皇の御世に、疫病多に起こりて、人民死にて盡きむとしき。』とある。又、日本書紀には、『国内多疫病、民有死亡者、且大半矣。 (中略) 然畏其神勢、共住不安。故、以天照大神、託豊鍬入姫命、祭於倭笠縫邑、仍立磯堅城神籬。神籬、此云比莽呂岐。(後略)』という説明がしてある。神の祟りである疫病を、なんとか修めて下さい、と徹夜でお祈りしていた時に、神々の勢いに恐れをなして、一所に住んでいるのが不安になり、皇居を出て貰った。娘の豊鍬入姫命が、奈良でお祭りしていたが、転々として、次の垂仁天皇の時代になり、その娘倭姫命にバトンタッチして、伊勢に治まって現在に至る。皇居を出て90年、伊勢神宮はアフター・コロナの、ニューノーマルの象徴といえる。ニューノーマルを築くには何十年も掛るのを、覚悟しておこう。


2月13日(日曜日) 曇り後雨 7℃ 81km/65131km

ウォーミングアップ

 庭では、梅の蕾が膨らみ、寒アヤメも咲いた。ずっと走れずにいたので、足の筋力が弱っている。春も近いので、近場でウォーミングアップ。愛知池周回+逢妻川40q、鎌倉街道(祖母神社〜二村山〜鎌倉台)往復40q、土日で走った。風もなく、気温も穏やかだったけれども、家が近づくにつれて、身体が、近道を選ぼうとする。体力が落ちている。次回は60qまで伸ばしてみる。

 

冬季オリンピック

 50年前の1972年2月3日〜13日、札幌オリンピック。新入社員の時、2日間の年休を貰うのに、部会にかけられ、やっとの思いで、岡崎から夜行列車に乗り、東京〜仙台〜山形蔵王へスキーツアーに出かけ、民宿で『日の丸飛行隊』の雄姿を、観戦していた。日曜日昼まで滑り、午後に仙台まで。仙台から夜中に東京に着き、夜行で岡崎へ。月曜日朝は、岡崎駅から出勤、という日程をこなした。スキーに夢中になっていた日々を思い出す。


2月6日(日曜日) 曇り時々雪 5℃ 20km/65050km

JPCZ

 又、聞きなれない気象用語が出て来た。Japan sea Polar air mass Convergence Zone の略だそうだ。日本海寒帯気団収束帯、という意味。 大陸で発生した寒気団が、朝鮮半島北部の山で二手に分かれ、日本海に流れ込んでくる。そして、能登半島西部で再び合流する時に雪雲が発生する。これが為に、大雪注意報が尾張東部でも発令された。既に、北陸では大雪となり、長浜、関が原でも記録的な大雪になっている。 伊吹山を越えて、尾張地区にも降雪があった。

 

伊良湖クリスタルポルト

 菜の花を楽しみに、はなを連れて渥美半島へ。見事な菜の花がいたるところで咲いていた。道の駅赤羽ロコステーションで、はなと波打ち際を散歩したが、生憎風が強くて外に出るのは苦痛と感じた。伊良湖岬まで行ったところにある道の駅、クリスタルポルトは、鳥羽、師崎等からの旅客ターミナル。コロナ第6波の所為か、旅客はいなくてひっそりとしていた。その一角にひときわ目を引く真っ白なストリートピアノ。KAWAIのピアノだった。弾いてみた。凄くいい音がする。暫く弾いていないので、つっかえはしたが、楽しく弾けた。帰路、メックんハウスでソフトクリーム。渥美半島道の駅ドライブだった。

 

モデルナ

 第6波で、感染者が過去最多を更新している中で、ワクチンのブースター接種が急がれる。当初ファイザーでの接種予定だったが、都合で日にちを前出しお願いしたら、モデルナになった。 副反応等、いろいろ騒がれているが、今のところ、何ともない。今年の春節は2月1日。ここから、壬寅の年回りが始まる。


1月30日(日曜日) 曇り 8℃ 0km/65030km

保田ヶ池公園

 みよし市に整備されている健康の森というか散歩コース。はなの散歩に出かける。ほどよいアップダウンがあり、芝生もあり、林の中の道もあり、こじんまりと楽しめる公園になりつつある。

 

姓と名字

 姓は天皇から与えられたモノ、名字は自らが名乗るモノ。源の北条義時、というのが正式名だと『日本人のおなまえ』で、やっていた。天皇家に源流があるということで、源。天敵を平定した手柄を称えて、平。北条という領土を守る(一所懸命)武士としての義時、ということだ。御浦(ミウラ)は、神仏・天皇・貴人等がお住まいの入江・浜。これが三浦に変わったのが、三浦半島。全国の三浦さんは、大体ここの出身だという事。う〜ん、知らんかった。

 

中京競馬場

 競馬観戦席の右側に、鎌倉台があり、ネーミングは、昔 ここを通っていた道、二村山にいたる鎌倉街道に因んでいる。二村山とは逆方向の先が、鳴海を経て、阿由知潟。愛知県の由来。 昔の人流は、桁違いに少なく、感染にも随分時間がかかったと思う。

 オミクロン株蔓延で、蔓延防止等重点措置が37都道府県に広がった。DNA鑑定が盛んだが、親から子、子から孫へと縦に遺伝子は移る。ウィルスは人に宿る事で、人から人へ、横に遺伝子を移し人の遺伝子に影響を与える。感染するかしないか、遺伝子にも関りがあるのではないか、所謂ファクターXの一つとして。 インフルエンザの情報が一切ない。インフルエンザウィルスは、何処に潜んでいるのだろうか。何処かの宿主の中で、生存し続けているはず。外に出ると数時間〜数日しか生存出来ないのだから。

成長と分配 & 愛知県制150周年

 岸田首相の新しい資本主義とは、結局、借金返済=成長−分配、利益=売値−原価、といいうことか。成長無くして分配なし、分配無くして成長なし。 出入口の整備といえる。出すのが先、空っぽになれば独りでに入ってくる。事業が継続している時は、そう言えるが、スタートアップ時点では、そうはいかない。入れるもの入れないと、出るものは出ない。離乳食をママから貰っている孫も、今はスタートアップの状態だ。県制150周年で、名誉県民として豊田喜一郎、盛田昭夫が選ばれた。


1月23日(日曜日)  雨 5℃ 0km/65030km

空振

 大噴火による衝撃波が、空気の振動となり海面を押し下げて津波になった。今までに無い形の津波。電話が衛星電話しか通じなくなり、トンガの被害状況がよくつかめていない。雨水を溜めての飲み水が、島全体に2pほど降り積もった火山灰で、使えなくなっているのが悲惨。日本では、オミクロン株に変異したコロナウィルスが、爆発的に感染者を増やしている。

 

二村山

  鎌倉街道、熱田を出て呼続、鳴海をとおり、相原から中京競馬場の北を進んで、愛知用水を横切ると、藤田医科大学の構内と濁池に挟まれた道に出る(写真)。これを、医科大学の守衛さんに挨拶しながら、真っ直ぐ進むと二村山の峠に辿り着く。『よそに見し小笹が上の白露を袂にかくる二村の山(源頼朝):遠いものと見ていた小笹原を今現実にかき分け、葉に置く白露を袂にかけて超える二村山』。二村山は尾張の枕詞に使われるほど有名な場所だった。晴れた日は、御岳山、恵那山、伊吹山、伊勢湾、三河湾が一望できる。確かに風光明媚だ。

 『それと聞くしるしばかりか境川、細き流れは名に流れても』(飛鳥井雅世)。尾張と三河の間を流れる境川も、室町時代には有名だった。鎌倉幕府、建武の新政、室町幕府、応仁の乱から戦国時代へ。 京都と鎌倉、京都と江戸を結ぶ街道の変遷があった。


1月16日(日曜日) 晴れ 11℃ 0km/65030km

トンガ海底火山爆発

 大爆発で、噴煙は直径2〜300qに及び、風圧が海面を押し下げ、その影響で津波が日本の太平洋沿岸にやってき た。やってきた高さ1mほどの津波により、高知県と徳島県では、港に繋いであった船が転覆したり、沈没したり。噴火が発生したのは15日の午後1時、津波警報が出されたのが、16日午前0時15分、11時間噴火の影響を観察して後 のことだ。その間、日本への影響は無いと言っていたので、何の準備もしていなかった。突然、夜間に、高台への避難なので、港の船にまで手が回らなかった。地震による津波のデータは沢山あるが、海底火山噴火による地震の発生は、今回初めて の経験だ。日本付近で気圧が2Hp上昇したので、『衝撃波のような風圧で津波が発生した』というのは仮説で、これから研究が進むのであろう。知っていることしか予知できない。気象予報の難しさを感じた。

 

第六波

 オミクロン株に置き換わって、急激な感染者増加が始まっている。ワクチン接種とのせめぎ合い。そんな中、N目さんの訃報に接する。なんでこう戦友が次から次へと逝ってしまうのか。大雪をもたらす寒波の所為かもしれない。家族葬の前に焼香が出来る時間をとってくれた。三密防止の一環ではあるが、小さなお葬式が増えた。

 

成人式

 今年の4月1日から、満18歳で成人。単独で法律行為が行なえるようになる。選挙権も含めて。

 

年賀状

 3年前に、年賀状を出すのを止めようと思い、欠礼年賀状を出した。それでも、何人かの方々から年賀状が届いたので、お礼年賀状を出させてもらった。そんな時に、原価管理でお世話になったM村さんの訃報がきた。家族葬なので、通夜式の前に焼香をさせて頂いた。『人と仕事のマトリックス』をつくり、ベテランの再雇用で、会社の業績と社員の平均年齢を上げていた。定年延長の先をいく取組について、いろいろ教えてもらった。そういうキーパーソンが先に逝くのは残念至極。昨年末には、職場先輩だったO方さんの喪中はがきも届いており、年賀状は生存を確認する方策かもしれない。


1月9日(日曜日) 晴れ 10℃ 0km/65030km

油ヶ淵水辺公園

 はなを連れていける公園を調べていたら出て来たので、出かけた。県営都市公園だという事で、よく調べずに出かけた。道路上の看板に、ナビとは違う方向に矢印が出ていたので、そちらへ向かうと駐車場があった 。車を停めて油ヶ淵を一周した。5qくらいはあったのではないかな。反対側に安城側の公園があるのを知った。車を停めた碧南側が水生花園、安城側が自然ふれあい生態園 、こちらの方が広い。未だ、整備の途中で一部公開という段階らしい。

 

初詣

 元旦は、諸輪の白鳥神社に詣でて、お札を頂いた。日を改めて、熱田神宮に出向いたが、凄い混雑で、毎年使っていた駐車場も工事中で入れない。諦めて、長久手の景行天皇社をお参りした。そしてまた別の日に、大高の熱田神宮摂社氷上姉子神社、少し足を伸ばして、春日井の内々神社を参拝した。御祭神の関係がドラマチック。それぞれ、日本武尊、景行天皇、ミヤズヒメ、建稲種命。景行天皇の命を受け、倭姫命に挨拶に行き剣を譲り受け、ミヤズヒメの兄、建稲種命を副将軍にして、東国遠征に出て、大高に凱旋してきた。その後、遠征中に遭遇した危機に、草を薙いで命を救ってくれた剣(草薙剣)をミヤズヒメに預け、伊吹山に出かけて一命を落とす。日本武尊を名乗る前の小碓命の兄が、大碓命、猿投神社の御祭神。古事記の世界が、ここにある。


1月2日(日曜日) 晴れ 7℃ 0km/65030km

家族揃って正月を迎えられた

 コロナ感染第6波が始まる前に、大寒波で雪が心配されたが、高速道路も順調で、2年ぶりに我家に家族が揃った。この間、娘の結婚、孫誕生と立て続けに慶事があり、コロナの波をかき分けながら過ごせた事に、感謝。年末に打ったうどんで、年明けうどんをつくり、餡入り餅に白味噌の讃岐のお雑煮で年越しを祝った。賑やかな正月で、よい年になりますように。

 

正月準備

 正月の飾り付けを終えて、うどんを打った。うどん部小麦粉のきぬあかり。食してみたが、コシ粘りとも良し。年明けうどんに使ううどんは、先日帰省した 時手に入れた、ホーコク製粉の粉。これは大晦日に打つ。先回、チャンピオンという粉を打ったが、なかなか手応えがよかった。これぞ讃岐うどんというのが出来た。北海道の粉も手に入れた 。