Trip to Nagoya 10/10/99

 

父が来たので、無双直伝英信流の事を
中心に久し振りに色々な話を聞くこ

が出来た。                 
 



 

徳川美術館
この日はお茶会で賑わっておりました。
 

昔の茶室質素な中の贅沢を感じる。
 

名古屋市郊外のトヨタ博物館
 

館内のトヨタ1号車の前で
 
 
無双直伝英信流の流れ
 『何々流何代』というのではなく、流れということから言うと、何代目というふうに、『目』をつけるべきであると昔からやかましく言われている。その一つの流れから言うなら
大江正路――山内豊健――井下経広
 (17代)    (18代目)    (19代目)
ということになるな。

 大江先生の指導を受けた中には、佐藤忠三、黒住龍四郎、甲田盛夫、政岡壱実、大勢みえる。その中で、宗家の穂岐山先生と森茂樹先生が同期で一番早くから指導を受けた。山本晴介先生、山本宅治先生は、大江先生の晩年に指導を受けたということになる。何故武道専門学校で無双直伝英信流を教わったかというと、これは当時京都には、熊本出身の陸軍戸山学校を出た人が伯耆流を広めておってこれが大変盛んだった。これとは違うものが良かろうということで、無双直伝英信流になった。その時の先生が山内豊健先生。高知のお殿様だから、大江先生もそれなりの指導をされているはず。

 大江先生が、新潟で別の先生との共著で『居合の手引き』という本を出した。これが有名になって全国に知れるようになった。その中に中山博道先生がいる。高知まで来て無双直伝英信流を習得しようとした。先ず大江先生の兄弟子に当たる人に入門をお願いした所『無双直伝英信流は門外不出になっているので教えるわけにはいかん』と断られた。それで、立ち寄った防具屋さんに相談した所、『弟弟子の大江先生にお願いしては如何?』ということだったので大江先生の所に行くと、『兄弟子がいけないというものを弟弟子の私が良いと言う訳にはいけない』ということでこれまた入門は叶わなかった。

 しかし、大江先生は致道館(高知城の傍にある道場)で居合の講習会をやるから見学するのならしても良い。ということで、中山博道先生は見学をした。その後、自分の居合と、見学をした居合を研究した。昭和5年から昭和11年、山内先生が京都に見える時、5月大会に上京した折に、請われて山内先生は中山博道先生に抜いて見せた。山内先生は、中山先生の居合は毎年変わるんだ、と良くおっしゃっていた。不充分だから、聞き込んでは研究と工夫を重ねていたんだと思う。そして、無想神伝流を名乗った。昭和8年から9年頃、山内先生が、いっぺんで教士をくれたぞと喜んでいたのを覚えている。当時、居合道教士というのは数人しか居なかった。範士は中山先生一人だったからな。


 
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