常州笠間は一藩剣道大いに開けて上達の者多し。依って一の組、二の組、三の組と組み合を三組に定め一の組を至極達者なる者とし、二の組みはその次、三の組はその次と為し、何れも一組に十人、十四五人、二十人も有り。とても一人二人試合に行きては其の三組を遣い兼ぬる程の事なり。或時右藩へ他流一人にて試合を申し込みたる者有り。然るに右藩は常例の如く三の組の内下等即ち三の組より遣い始めて二の組迄で悉く一人にて仕負かしたる由。然るに其の修行者言いけるは、早日も傾きたれば明日一の組と手合わせを願いたい。今日は先ずこれにて休息せんとて旅館へ引き取り其の夜ひそかに笠間表を出立なし、諸州を修行して笠間一藩剣道未だ不熟の由散々に悪しく言い触らしたることあり。後この事を諸役人伝え聞きて多いに不快に思ひたる由。其の後、余の笠間へ旅行の節他流手合わせには最初肝要の理を説きたる処、何れも其の理に感じ、返す返すも其の節の事を後悔せし事あり。例えば同門と稽古中にも自分より声を掛けて稽古を望みたるか、先方より望まれたるか其の時の試合大いに相違あるものなり。別して他流試合の節は最初の処実に肝要なり。能能心得置くべき事なり。
他流に出合いたる節、向う目怒らし肩を張るとも決して恐るるに足らず。却って温順柔和なる者には心を許すべからず。或る時、他流一人来たりて試合を申し込みたるに万事その身を謙遜し、我等甚だ剣術未熟なる者故、何分ご同門同様の思し召しにて軽く引き立て下さるべし等と申したるにより、門人中には甚だ侮りて試合致したる処思いの外達者にて中には不出来を致したる者もありし事あり。故に必ず向うの応対又は、立ち居振舞いの強弱に心を許すべからず。
宮本武蔵は二刀流の開祖にて、大切の試合六七十度致したる人なれども一度も二刀にて試合せし事なし。何時も一刀にて試合致したる人なり。佐々木岸柳との試合も其の節区区なれどもこの時も櫂を手頃の一刀に削り大いに謀る所在りて約束の時間過ぎまで、態と昼寝して後、その約束の場に至りしかば岸柳は待ち兼ねたる様子にて、怒気面に顕る。宮本静かに遅参の罪を謝し、さて云うよう、今日は最早時刻も移りぬれば試合の儀は見合せ後日重ねて願うべし。今日は、唯時刻を謝せんが為に来たりしという。岸柳益々怒って其の事を許さず。即刻試合を致すべしと居丈高になって望みしかば、宮本仕済ましたりと心中に喜び然らば是非に及ばず御相手致すべしと、兼ねて用意の木刀を脇構えになして進む。岸柳は真剣を以って上段に掛かる。宮本計って頭を出せしかば、岸柳得たりと上段より真っ二つにせんと精神を励まして打ちこむ一刀、宮本脇構えより櫂を揚げ岸柳が真っ向微塵になれと打ち砕く。砕かれ乍、岸柳は無念と声を掛け宮本の足を払う。宮本足を縮めて飛び上がりしかばその袴の裾を切り払いしと云う。これ実説にして他の説は確かならず。
他流と立ち合いの節は先ず間合を遠く離して会釈して上に遣うべし。其の内には向こうの得手不得手を知るものなり。第一向うの得手不得手を心得て試合をする事専要なり。
余の前々の稽古、並びに他流試合など致したる時相手達者にて業出来、小早き者に出会いたる節は大抵三つの挫きにて勝利を得たり。又、向うの手元へ寄りて鍔迫り合いになりたる時は、我が太刀の柄先を向うの左右の手の内に入れて前の方へはね挫けば向うその拍子に引かれて思わず此方の方へ背を向けるものなり。その処を後ろより向うの腮(アゴ)へ此方の右手を掛けてねじ倒し、或いは抱上げ投げ付けなどして多く勝利を得たるなり。又、余の多く稽古せん時向うより篭手へ打ち来れば何時も逃す事無く切り落し、悉く突きにて勝利を得たるなり。
三段の間合と言ふ事あり。先ず初心者等を遣うには間合を近くして業を色々に致して習う事専要なり。初心者の稽古にもなり、此方の方の稽古にもなる事なり。同格との稽古には、一足一刀の間合に居て心を残さず廃てすたりて稽古すること肝要なり。又他流などの手合わせの節は間合を遠くして打ち突きの届かぬ処に居て向うの尽きたる処、起こる頭、引く頭、を逃さず一足一刀に打つこと能々工夫すべし。
又、大事の試合に居て、出れば引き、引けば出で何分近寄らぬようにすれば例え一日中試合しても向うに打たるることは無きものなり。この如く先ず我が身を固めおき、扨て向こうの透き間次第に入って勝ちを得る事他流試合専要の心掛けなり、忘るべからず。
一足一刀とは、敵の太刀下三尺、此方の太刀下三尺都合六尺の間合なり。これを一足一刀と言うなり。
他流試合の節は支度の遅速大いに心得あることなり。右の相手の人より余り早くして悪しく、遅くしては猶以って宜しからず。能々見合せ少し早き方よし。然れども、余り早くすれば他流手慣れたる者は態と支度に手間を取りこの方の気をイラツカセ試合口を取り失う様に様々と心得来るものなり。心掛くべき事なり。
他流手合いの節は会釈は遠く離れて致すべき事なり。近間に会釈すれば相手によりその会釈の終らぬ内に其の場より不意に打ち突きを出し声を高く出し卑劣の振る舞いをなし此方の気を悪くする事あり。また、打たれても申し分立たぬものなり。能々気を付け決して会釈は近間にて為すべからず。心得おきて宜しき事なり。
余の専ら他流試合致したる時には会釈の内に向うの上達不達が自然と胸中に浮かび知れたるなり。或時、無念流にて名人と呼ばれたる木村定次郎と野州佐野宿において試合せし事あり。会釈の場に到り忽ち向うの不達なる事胸に浮かびし故、安心して試合せし処、案の如く苦もなく勝利を得たり。其の後定次郎人に語って千葉との試合の節星眼にて遣いたる事は我等一生の不覚なり。向うは一刀流の事故、平常下段星眼の試合に馴れたる者なり。我等上段にて手合わせいたさざりしこそ返す返すも残念なる事致したりとくれぐれも申し居る由聞き及べり。其の後定次郎の門人我孫子理太郎なる者、常々師の仇報わんものと付けねらい居る由聞き及べり。依って、其の後理太郎氏出合いて試合の場にいたらば向う必ず上段にて掛るべし、其の節は却って此方より先を取り上段より打ち取るべしと兼ねがね工夫致せしなり。然る処、五ヵ年後、余が宝山流剣術の師家武藤虎之助氏方へ試合申し込みし節、理太郎氏姓名を変えて虎之助氏に潜み居り、余の引き連れたる門人ども手合わせを致さず既に試合も終わりたる処へ虎之助余の前に来たりて言うやう。今一人門人にて熱心の者あり、是非御相手下さるべしとたって申すにより、余も最初より我孫子氏なる事を察したる故、面倒に思い今日は最早十分に稽古を願いたれば、後日重ねて願うべしと頻りに相断りたれども、是非とも願いたき由強いて望みし故、然らば御相手致すべしと返答に及びて立ち合いたるに、定次郎氏同様に会釈の内に向うの不上達なる事忽ち胸に浮かび知れたれども、兼ねて工夫の通り立ち合うや否や直ぐに此方より上段に取りたれば我孫子氏先を取られて気を失いたる様子眼中に顕れたり。その処を逃さず散々に打ちすえ打ち込み或いは下段にても打ち星眼にても打ち突き大いに悩ましたり。扨て跡にて挨拶の節、御手前は安孫子氏なるや扨て先年よりは殊の外ご上達甚だ感心せりと述べたるに同氏大いに赤面して恥じ入りたる様子なり。右、勝手を得たるも全く多年遣い口を心得たる故なり。
試合中、鍔ぜり合いになりたる節、向うより此方の中柄を取らんとする時、此方の右を離せば向うの取らんとする張り合いにて思わず深く入りこむものなり。其の時自然と向うの後ろに成るもの故、そこを抱上げ或いは投げ付け如何様とも成る物にて余は中柄を取られたりとも遂に不覚を取りたる事なし。又此方より右手を離しそのまま向うの太刀を平手にて下へ強く叩き落せば心良く落ちる物なり。又此方より向うの中柄を取り向うより此方の太刀を張り落したる時には落とされながら両手或いは片手にて向うの足を取れば、面白く投げらるる物なり。試し見るべし。相手を足がらにて投げるには向うの体と此方の体の突き合う程の場になくては出来ぬ業なり。其の仕業は手にて押すに及ばず、此方の右肩に太刀をあて向うの左首筋にもあて、又此方の右足は向うの板間へ堅く踏み付け向うの足の外れぬ様になして我が肩にて太刀と共に強く押すべし。尤も自分の肩は向うへ押し掛けるを良しとす。又、向うより足がらを掛けられたる時の心得は後ろへは必ず引くべからず。向うへ出れば逃れるものなり。又、早く心付きたる時には此方より却って掛け返す事もできるものなり。
富士浅間流剣術開祖中村一心斉呑龍当地北辰の二地を賞し、この流名に及ぶもの無しと大いに感服せしなり。其の意、味わうべし。右一心斉は甚だ感心なる人にて歳七十余に及び上州水戸藩へ試合を申し入れ若き者を相手に致し悉く勝利を得たり。中にも水戸第一の達者なりと言う鵜殿力之助などとは終始勝負付かざる由。尤も老衰致せし故何れも三本限り試合なりと云う。何に致せ感服の人なり。
試合中下段星眼にて思う程向うに打ち勝つとも三四本目には上段に取り、又、三四本目には勝ちを取って居たるとも下段星眼に直し始終相気を外して遣う事肝要なり。右三四本勝ちたりともそれに乗じ其の後々も同じ構えにて打たん突かんとしては難しきものなり。依って、色々構えて取り交ぜ向うの心を迷わせて遣う事専要なり。
柳剛流という剣術は多く相手の足を打つ流派にて岡田某の発明に掛るものなり。其の足を打ち来る時、此方足を揚げんとしては念あり、故に遅くして多分打たるるものなり。依って、唯我が足踵にて我が尻を蹴ると心得て足を揚ぐれば念なくして至極早きものなり。又此方の太刀先を下げ留めるも善し、これも受け留めると思うべからず。唯切先にて板間土間をたたくと思うべし。是又念無くしてよく留まるものなり。
以上