さて、寺田氏は韜打ちの稽古を望みとの事なれば是非にも及ばず我等は何れも承知せらるる通り竹刀の試合は好まず、しかしたっての望みとの事なりしかば寺田氏云う是非に及ばず拙者は使い馴れたる素面・素篭手にて木刀を以って相手すべし。御手前達は面・篭手にて身を固め拙者との試合の上此の方に透き間あれば少しも遠慮に及ばず頭なり腹なり勝手次第十分打ちこみたまへ。拙者は決して打たれ申さずと断然と言い放たれければ何れもその高言を憤り寺田氏に重も疵を負わしてくれんものと或一人手早く面篭手を掛け韜打ち振り立ち向かう寺田氏は素っ裸にて二尺三寸五分の木刀を提げ静々と立ち向かう。此の体を見て白井氏は言うに及ばず同門の人々もすわ事こそ起こりたらんと手に汗を握りこの勝負如何あらんと、瞬きもせず身居りたりしに、相手は寺田氏の頭上真っ二つにせんと心中に思う時、寺田氏声掛けて面へ打ち来れば摺り揚げて胴を打つぞと言う。また相手、寺田氏の篭手を打ち折らんものと思えば、寺田氏が声掛けて篭手へ打ちくれば切落しして突くぞと、悉く相手の思う所、為さんとする事を察し、一々その事を陳ぶるにより、相手は中々恐ろしく何一つ仕だしたる業も無くすごすご其の場を引き退きて感服致せしなり。その後へ二三人入れ替わり我こそ寺田氏を打ち挫かんものと代わる代わる立ち合いたれども何れも同様に寺田氏に向かい一度も打ち突きを出すこと叶わず皆同氏の術に深く感服せし事あり。
我が流派に寺田、白井氏の外に高柳氏の如き名人続々出でたるは全く中西氏の教授卓絶せられしものと深く感銘せり。また、此の教語によりて熟考するに当流にて組太刀と言い、諸流にて型と唱える業は、熟達致したく思う事なり。この業に練磨せざる時は真の勝負において大いに齟齬する所あるべし。然れども組み太刀の或いは型と唱えるものは理にて韜打ち韜打ち業なれば之等は車の両輪の如く鳥の両翼の如し。故に理業兼備の修行こそ切に望む所なり。
中西氏の門人に高柳又四郎と言う人あり。是又剣術の名人にて如何様なる人と試合したりとも自分の竹刀に相手の竹刀を触らせる事なく二寸三寸も離れて居て向うの出る頭、起こる頭を打ち、或いは突きを入れ決して此方へ寄せ付けず。向うより一足出るところへ此方よりも一足進む事故丁度打ち間良くなり他流等には一度も負けたる事なし。他の人とは違い良く間合を覚えたる故、此の人の上に出ずる者なし。然れども突き等は多く悪き処勝ちにて同門は余りこの人と稽古する事を好まず。又、同人如何様なる初心者にても態と打たせるなどと言う事は決してせぬ人なり。平日の出にも我は人の稽古になる様には致さず唯自分の稽古になる様に致す事故例え初心者なりとも態と打たすなどと言う事は致さぬと兼ねがね言われしなり。その癖つきたる故か、自分の門人にもその通りなる稽古故同人の門人には一人も上達の者なくその身一代の剣術にて終わりしは実に残念なる事なり。又、同人他流試合等の節にも初めより終りまで一試合の内一度も高柳の竹刀に触らぬ事度々ありたり。これを音無し勝負等と同人は唱えおりたり。先ず斯様なる人は名人上達の人とも云うべし。
無眼流剣術の元祖、反町無格諸国修行の節ある山路を通りしに長き渓あり。その渓流に架けられたる長橋は独木橋にして容易に渡り難く如何為さんと辺りの石に腰打ち掛けて案じ居りたりしに一人の盲人その橋に差し掛かりしかば無格心中に思う様、両眼ある我が身にさえ渡りかねたる程の橋なるにこの盲人如何にして渡る事の成るべきやと息をも為さずして見居りたりしに、盲人その木橋に差し掛かるや否や左右よりその木橋を杖にて探り何の苦もなく向うの岸へ渡りしかば無格思わず両手をハタと相打ちて大いに悟る所あり。剣道もこの所なり、兎角眼ある故、疑惑して妙所に至る事得ず目を潰して修行すべしとて自ら無眼流と改め一流の祖となりその名尤も後世に高し。これ無念無想の所なり。実に味わうべき事なり。
稽古遣い盛りたる節は、此方の方より打たん突かんと思うこと無く向うより自然と打たれ突かれする者なり。当流極秘歌に『敵をただ打つと思うな身を守れ自ずから漏る賤が屋の月』 右は全く月の賤が屋の中まで照らすと云うにあらずして賤が屋の方に自然と漏るるところ在る事なり。剣術もその如くこの方を明るくして懸中待、待中懸というて懸かる中に待ち、待つ中に懸かる位に居ってジット構え居れば此方の方より尋ね求めずして向うより自然と漏るる場所在るとの事にて剣術絶妙の要所なり。
守・破・離と云う事あり。守はまもると云う。其の流の趣意を守る事にて一刀流なれば下段、星眼、無格流なれば平星眼にて遣い、其の流派の構えを崩さず敵を攻め打つを言うなり。破とは破る事を言ふので、左様の趣意になずまず其の処を一段破り修行する事を言ふなり。離とはななれると言ふて、右守、破の意味も離れ無念無想の場にて一段も二段も立ち上がりたる処にてこの上なき処なり。右守、破、離の字義能々味わいて修行肝要なり。
水月の矩。と云う事あり。これ敵の起こる頭へ映る意にて月の浪に映るが如く浪の動くに随い起こるに随いてどこの嫌いなく向うの動く所へ映るもの故水月のタトエあり。剣術も其の如く向うの動くに随い起こるに随い其の処を逃さず打ち勝つの意なり。
一刀斉の歌に
浦風や波の荒きに寄る月の数多に見えて烈しかりけり
宮本武蔵の歌に
筑波山 葉山 繁山繁けれど 打ち込む太刀は真の一刀
この歌の意をよく味わうべし。
一刀斉の歌に
打つ太刀を切り分け中を突くぞかし 勝負は天に任せてぞある。
これは当流の切落しの所を詠じたる歌なり味わうべし。
或る話に樵深山に入りて木を切りたりしに、さとりと言う獣そこへ来たりしかば、異獣なる故何とかして生捕りたく思いしかば、そのさとりの言うよう、其の方は心中に我を生捕りたく思うなるべしと云う。樵、之を聞きて大いに驚きしかばさとり又言う。其の方今我悟りたる事を不審に思うなるべし。樵益々驚きひそかにこの斧を以って一打ちに打ち殺さんと思う時、さとり又言う。其の方我を殺したく思うなるべしと。依って樵心中に思う様、かように我が思うこと為さんとする事を知りてはとても致し方なく思い、又もとの如く斧を以って木を切り掛かりしかば、さとり又云う、其の方は最早致し方なしと思うなるべし。樵これにも構わず一心に木を切り居りたりし時、其の斧自然と飛び抜けてさとりの頭を打ち砕きしかば異獣二言を発せず死せりと云う。流石のさとりも無念の斧には打たれしとのタトエなり。剣術も其の如く向う明らかなる者に出遭いては此方の方の思う処、為さんとする処を悉く知らるるもの故とかく無念無想の打突になくては叶はぬ事なり。能々練磨すべし。心妙剣と云う事あり、これは我が思う処、為さんとする処を悉く違えず打ち突きて外さぬを云う事にて、或いは実妙剣などとも言って微妙の所なり。然れども無想剣とは其の意大いに違えり。剣術も無想の場に至れば百戦百勝疑いなし。千辛万苦の労を積み無想の場に進むべし。
徳川三代将軍家光の時代に朝鮮国王より虎献ぜし事あり。将軍、柳生但馬守に命じて剣術の気合にて虎の威を取り挫くべしとの事なり。但馬守拝諾して扇子を持ちてサシコの内に入れば虎怒って但馬守に向かう。但馬守少しも恐れず立ち向かい扇子にて虎の頭をハタと打ち、虎恐れて引きしりぞき猫の犬に出遭いたる如く目を怒らしたるのみにて但馬の守の気合に取り挫かれしとなり。然るに其の席に居合せたる沢庵和尚この体を見てカラカラと打ち笑い、但馬の守殿マダマダ至らぬなりと云いて同じくサシコの内に入れば、前の如く虎怒って和尚に向かう。沢庵ひるまず手の掌を出しツバキして虎の前に出す。虎其の唾を舐め弱き犬の出遭いたるが如く尾を振りながら横に倒る。沢庵其の上に悠々と立ちまたがり、如何に但馬殿これにて馬手指自由なるべしと云えば、公大いにこれを鑑賞したまう。但馬の守の気合善しと言えども、どうもすれば相打ちになるの気あり。沢庵の気合は向う気を取り挫きて心服さするの処あり、剣術もこの場合に至を上手名人とは言うべし。深くこの意を熟考し味わうべきなり。
世に憲法のそくひ付けと言うて敵をそくひに付けるように心安く勝ちとも誤るものあり。全く左様の事にあらず。即意付けは即座の意につくと云うことにて『向うの意を知りその意に付く事』なり。例えば向うより此方の方の篭手を打ちに来たらんとすれば其れを知りて篭手へ打ちくればがかくする、面へ打ち来ればかくするぞと云う、相手の為さんとする意を知り此方の意を向うへ示せば向こうとてもこの人の術には及ばぬと心中に思う故、其の術に居付きて打ち突きを出す事叶わず、依ってその処を自由にそくひ付けて勝つように勝ちしと云う事なり。これを後世伝え誤るものなり。深く勘考すべし。
『露の位』という事あり。例えば草木に露あり、其の草木に手を触れれば其の露忽ち地に落ちるものなり。剣術も其の如く向うの動く頭、起こる頭、出る頭、其の処を逃さず打ち突くべしとの意なり。この事を誤る者有れども決して左様のところにはあらず、よく考ふべし。
他に一円流と云う流派あり、甚だ感服すべき流名にて何業も円くと云う意にて受けては円く打ち切落しては円く突くと云う意なり。甚だ面白き意味あり。味わうべし。
当流に睡中痒き処を撫づると云う事あり。剣術もこの場に進みたき事なり。この場に至を名人とは言うなり。深く思慮すべし。
闇夜に霜を聞くと云う事あり。是又是非剣道の極意と云うべき処なり、発明あるべし。痒き処を撫づるとは敵を打つ美妙の場。霜を聞くとは如何にも心気納まる所にて極く剣術の高尚なる処なり。
柳生家に二人の男子あり。二男某下卑と密通せり。その事父但馬の守に漏れ聞こえ大いにその不義を憤りて草々勘当いたされしかば、二男某詮方無く舎弟十兵衛三吉中国辺りに居られし所へ到り、段々子細を打ち明かして話されしかば、三吉同じく怒りて手打ちにせんと云われしかば、二男某前非を悔いて一言の返答も無く差しうつむきて居られたり。三吉スラスラと立ち寄り太刀抜き放したれども、某少しも動ぜず兼ねてお話申し上げ、千に一つもお聞きあるまじき節は腹一文字に掻き切りてお詫び申さんと兼ねて覚悟致したる事故、同じくは尊兄の御手に掛けくださらば本望なりと驚く気色更に無く首差し伸べたり。十兵衛三吉此の体を見て大いに感じ忽ち太刀を投げ捨ててさて驚き入りたる御心底。流石に柳生家の二男なり。其の心底を見込みて頼みたき一大事あり。今死する命を我に給わるべしと云う。某更に其の意を解せず、唯何事も違背致さず、御心に随うべしと云われたり。十兵衛三吉今死する命を剣術に打ち入れ死する覚悟を以って修行頼み入るなり。と述べられしかば某暫く感涙にむせびややあって頭を上げ仰せの趣きっと相守り再生の御恩に報いんと返答に及ばれ其の後寝食を忘れて死を以って日夜修行致されしかば日ならずして上達し、終に其の志を遂げ後柳生家を継ぎて柳生但馬守と名乗り其の名最も中興高し、依ってつらつら考えるに万事心掛け次第にて成就せぬと云う事はなきものなり。然れども剣道は自分の身を全うして敵を仕留める術にて実に難しき事なれども心掛けに依りては又よく自在になるものなり。この処深く熟考すべし。
以上