ところてんの由来やら諸々の覚え書き

        1.はじめに
           私の幼少期、現 多治見市立昭和小学校南東寄りに二つのお店やさんがあり、その小学校にやや近い方
          の店で、小学校高学年頃は、一杯 5円か10円程度で、ところてんが、売られていた記憶があります。
           お金を払うと、店の人が、一つの四角い棒状になったところてんの塊を無造作に冷水から取り出し、天突
          箱に入れ、ところてんの塊を棒の様な物で、突き出すと四角い細い糸状になった物が出てきて、カキ氷を盛
          るような器に盛られ、三杯酢の汁にすりゴマをふりかけられて渡される。その場で、箸一本でつるつると食し
          ていたものです。夏の風物詩であったかと。

           その当時のところてんは、寒天を溶かして作られた物であったのでしょう。懐かしい思い出であります。

        2.ところてんの起源
           得てして食品に関する事柄は、伝承があいまいでありましょう。本来のところてんは、天草と呼ばれる紅藻
          類が原料であり、、その天草を煮て、ドロドロにし、濾した液を冷やし固めた物が、本来的なところてん(心太)
          であるという。(詳しくは、http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1213754542 を参照下さい)

           何処からどのように伝来したのかは、はっきりしないのでは・・・。確実な事は、こうした用語が記録されている
          『和名類聚抄』(承平4年(934)頃成立)であるとか。

           本来的なところてんは、かなり古く、既に平安時代頃には、食されていたのでしょう。高貴な食べ物であった
          とかで、一般に広く広まるのは、江戸期になってからという事を書かれているのは、本来のところてんを作り、
          販売してみえる香川県坂出市西庄町759−1 清水屋(キヨミズヤ)さんのHPであります。別にコマーシャル料等
          を私は、頂いておりません事をお断りしておきます。

        3.寒天と本来的なところてんの違い
           詳しい事は、http://www.kantenmura.com/main/mame-chishiki/tanjyou-yurai.html に譲り、概略のみ、述
          べさせて頂きます。

           本来的なところてんは、先述した通り、海で取れる天草という海藻を煮て、どろどろにし、濾した液を冷まして
          固めた物であるそうな。それ故、少し海の臭いがしたり、やや色があり透き透ってはいない由。また日持ちもし 
          ないようで、作り置き等の出来ない物であったようで、残り物は廃棄していたとか。

           京都伏見の宿屋の主人 美濃屋太郎左衛門さんが、薩摩の島津公一行のお泊りの時、残り物を外の樽に
          入れておいたところ冬場であり、夜凍り、昼には解け、それを繰り返すうち透明の固い寒天になっていたという。

           偶然が重なって出来上がった物が、現在の寒天であるという。こうすれば、日持ちもし、その固い寒天を宿で
          提供していた時、旅のお坊さんがえらく感心して、寒さによって出来たところてんという事で、「寒天」と名付けら
          れたとか。

           また、この寒天を溶かし、固めれば、透明のところてんができる事も知りえたという。
           さすが、商売上手な宿屋のご主人、寒天を売り出したという。

           現在では、海のない山鹿の長野県茅野市とか、岐阜県東濃地域の山鹿の山岡で寒天作りが盛んなのも、冬
          の寒い、空っ風が吹く気候を利用出来、寒天作りには、都合が良いからでありましょう。