伊勢神宮に奉納されている 八タ鏡(ヤタノカガミ) について
1.はじめに
古代から日本の天皇家に伝わる三種の神器の一つ、八タ鏡(ヤタノカガミ)の本物は、伊勢神宮に安置
され、そのレプリカ(複製)は、皇居の「賢所(かしこどころ 温明殿」にあるという。
本来、こうした神器は、一般には、閲覧出来ない様であり、誰も見たことがないと思われていましたが、
徳間書房より出版された 「日本・ユダヤ封印の古代史」ラビー・マービン・トケイヤー著 1991年の中に、その
鏡についての記述があった。
何と、鏡を見た人は、明治時代の時の文部大臣 森有礼(モリアリノリ)であるようです。
2、前掲書の記述
その記述を要約すると、「鏡の大きさは、内径1尺六寸三分、外形2尺」とか。つまり、鏡の大きさは、
直径49センチ以内の物と想像されるという。
また、鏡の裏側には、ヘルプ文字で、「エヘイエ・アシュル・エヘイエ」と書かれていたと述べていると言う。
本当かいなと思います。時の文部大臣 森氏は、ヘルプ文字(ヘブライ語)を読む能力があったのでしょう
か。疑念が、湧きますが・・・。
先を進めます。この言葉は、旧約聖書・出エジプト記 三章の14にある有名な言葉であるという。
それは、「我は有りて在る者」という神の聖なる御名であると言う。
更に、この本物の鏡は、天皇さえも見ることが出来ず、また、伊勢神宮の神官も同じであるという。かくも
神聖不可侵の鏡を、一介の文部大臣が、見れたと言う事事態おかしなことではあります。が、無いとも・・・。
確かに、熱田神宮内に安置してある 草薙の剣 もかって、熱田神宮の神官が盗み見したという記述も
ありますから。
草薙の剣については、{江戸時代の中ごろ、岡田正利によってあらわされた「玉せん集裏書」という書物
に、松岡正直よりの聞書として次のように伝えている。「八十年ほど以前、熱田大宮司や社家のものがひ
そかに御神体を窺ったところ、剣は長さ二尺七〜八寸(約八十数cm)、刃先は菖蒲の葉のかたちをしてお
り、なかほどはムクリと厚みがある。その本の方は六寸(約18cm)ばかりが節立っていて、魚の背骨のよ
うなかたちしていた。そして色は、白っぽかったという。」}(歴史シリーズ23 愛知県の歴史 塚本学、新井
喜久夫著 山川出版社 昭和45年発行 P.27〜28 参照 )記述もあります。
そして、戦後 GHQのある将軍が、強制的にこの鏡を見ただの、また、青山学院の左近義弼博士も、宮中
の賢所にある鏡をみて、それを確認したという噂も出たという。
そして、もう一人 この本物の鏡をみた人がいるという。元海軍の将校であり、神道家である矢野祐太郎と
いう方のようであります。
伊勢神宮の宮司に極秘裏に許しを得て、裏側の模様を自分の手で丁寧に書き写した。この写しは、一切
外部には出されない物として存在していたようでありますが、祐太郎の長女は、この写しの更にコピーを前掲
書の著者へある友人の手で送ったと言うようであります。が、その先のことは、ミステリーであり、よく判らない
ようで、本当の事が判明するには、伊勢神宮内の鏡の写真が出てこない限りありえないでしょう。
まず、今の状況では、宮内庁から許可が、下りないのは必定。無理な事でありましょうか。