愛知県三河・岐阜県東濃・長野県の山間部の五平餅についての雑感
1、はじめに
私の生まれは、岐阜県東濃地域 多治見市旧 脇之島(現 平和町)であります。我が家の
食卓には、五平餅の伝統は、ありませんでしたが、幼少時には、この五平餅の事を”御幣だ”
と言っていた記憶があります。おそらく、祖父が、そのように言っていたので、子供心に、うっす
ぺらい板材に、ご飯をわらじの形に薄く張り付け、胡桃等を砕いた物を入れた味噌を塗って、
焼いた物を御幣だ、御幣だと言って喜んで食べたのでしょう。
つい先日、弟が、この五平餅を売っている店に行き、「御幣だ、下さい。」と言った様でありま
す。店先の売り子さんは、「えっ。」というような顔をして、「お客さん、これは、五平餅という物
ですよ。」と言って、どこの田舎者が、来たというような態度であったという。弟は、憤慨して、
私に、話してくれた。確かに、岐阜県東濃地域の一部なのかも知れませんが、五平餅の事を
”御幣だ”と言っていた事は、事実でありますし、我が家だけに伝わる特殊な言い方かも知れ
ませんが・・・。いや、やはり、虎渓山の茶店では、のぼりに”御幣だ”あります。と昔、しっかり
書かれていた記憶があります。
こうした食べ物は、幼少時、地区の神社の祭りの時に店先で売られていたと思う。我が家の
食卓では、出されない物であった事は確かであります。神に捧げる御幣(食べ物)として、奉納
されていたのかも知れません。
2.五平餅(御幣餅)について
この食べ物は、「中部地方南部の山間部(長野県木曽・伊那地方から岐阜県東濃・飛騨、富山
県南部、愛知県奥三河、静岡県北遠・駿河)に伝わる郷土料理。潰した飯を串焼きにしたもので
ある。」とウイキペデイアでは、解説がしてあるという。
形は、わらじ型や、串団子型が、あるようですが、一般的には、わらじ型でありましょうか。
岐阜県東濃地域の瑞浪市辺りでは、店で売られている五平は、串団子型の五平餅が多い。が、
私の知り合いの瑞浪辺りの家では、自家用の場合の五平は、わらじ型で作ってみえました。胡桃
を砕いて入れるのが、うまいとも言われている。
この食べ物の食域が、一部の山間部に限定されている所に、この食べ物のルーツがあるのでし
ょう。
豊田五平餅学会なる団体もあり、そこでは、五平餅の最初は、豊田だとのたもうてみえるようです。
何でも、江戸時代、馬を使った輸送団体”中馬”達が、中馬街道を行き来して、この食べ物を伝えた
とか。詳しくは、http://blog.goo.ne.jp/asukesennen/e/b1bceac7c17a981c5b0a202e41cc2211 五平
餅を語ろう 参照 。
或いは、まじめな取り組みであります学芸員さんのサイトもありました。詳しくは、下記URLにて参照
下さい。( http://www.toyota-go-hey.jp/history/kigen.html とよた五平餅の歴史 )
掻い摘んで記述しますと、五平餅のルーツは、
@ 春・秋の山の神さまに捧げた食べ物。特に春の捧げ物を頂いて食した事から御幣餅(後五平
餅)となっていったのでしょうか。
A 山の仕事をする人の携行食として
B 山の仕事(樵・炭焼き・荷運び)をしている五平さんが、考案した。等々。
この学芸員さんも確実な事としては、資料不足から断定はされていませんでしたが、この五平餅の背後
に見え隠れしている山の仕事に関わる方々や、山ノ神さまの存在。また、山鹿であるが故に、米は、貴重
な物であり、その当時としては、祝い事やらのご馳走であったのでしょう。平地では、米は、容易に収穫で
き、山鹿の者達とは弱冠違った意識で有ったが為に、このような郷土料理とはならなかったのかも知れま
せん。
やはり、五平餅は、山鹿故の郷土料理でありましょう。東濃地域の一部かも知れませんが、五平餅の事
を”御幣だ”という言い方も、生まれ育った地域の方言と片付ける事は簡単ではありますが、その言葉には、
その地域独特の言い回しであり、その生育と密接不可分な事柄なのであります。しかし、こうした言葉は、
歴史と共に、その生きてきた方と共に消え去る運命なのかも知れません。
”あんまき”をこの地域では、”おだまき”と言うように・・。食していた人と共に消え去り、やがて死語となっ
ていくのでしょう。