永延2(988)年  尾張国郡司百姓等解文 現代訳文の一例  

            1.はじめに
               永延2年11月8日付の解文は、写本という形でしか残っていない。古くは、早稲田大学所蔵の部分的な写本
              或いは、東京大学所蔵の写本でありましょう。完全な形での写本は、無いと言っても良い状況のようです。
               幸い、真福寺宝生院に残る写本を基に研究された安部猛著「尾張国解文の研究」大原新生社版 昭和55年
              が手元にあり、それを参考にして、訓読された31か条の文を分かり易い文にしようと思いました。

               というのも部分的な現代訳文は、インターネット上にもあるようですが、全文となると心もとない状況でありま
              しょうか。
                              下記 尾張国解文の現代訳文の8割は、上記安部猛著「尾張国解文の研究」の注釈に依拠しており、氏の注
              釈のない部分や難解な部分は、私の独断と偏見にて、解文の字句の意味・文脈上の繋がりを考慮して記述しま
              した。
               概ね解文の述べようとしている事柄からは、ずれていないとは自負していますが、何分浅学ゆえの身でありま
              すから捉えきれていない可能性もあります。利用される方は、原文・先学の研究書等々に当たられた上でのご利
              用をお願い致します。
              
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            2.解文の現代訳 前文及び31か条と後文
              <前文>
               尾張国の郡司百姓等解し申す 官裁を請うの事    * 解とは、下の者が上の者に申す文でありましょう。
               裁断せられんことを請う。当国守 藤原朝臣元命の三箇年内に責め取りし非法の官物並びに乱行した横法
              についての31か条の申し状。  * 元命の尾張国守任官は、寛和2(986)年カ 官物とは、租庸調雑物の事。

              <第1条>
               裁断せられんことを請う。例挙の外に、三箇年に収納した暗に加徴した正税43万1248束の息利12万93
              74束4把1分の事。
               右正税の本来は、47万2400束。減省(正税の減額分カ)を除く残りは、定挙 24万6100束は、明らかに
              税帳に録(シル)せり、こうした事が出来るのも、朝廷にあっても百姓にとっても出挙の制度は、欠くべからざる重
              要な制度であってこそでありましょう。               
               そうでありましても疲弊している民は、正税を負わせられていますが、米・麻を得る耕地を耕していません。一
              方富勢の輩は、良い耕地を囲っていますが、正税を請け負いません。したがって公平を期す為、上記息利 7万
              3863束を国内の力田(現作田)に割り当てて取っているようですが、当国守 元命朝臣は、この三箇年の間に
              収納は、滅茶苦茶種類が多く。元命の収納する所も多く、数える事が出来ません。
               それは、負担能力の無い百姓の身としてやっとの思いで納めると、ある時は現納とし、ある時は一定の期間を
              過ぎても納入しないと言い、百姓を良いように扱い財物を奪っている。
               こうした処置に、百姓は逃散したり、騒動を起こしたり、班田農民や班田を離れた民は落ち着きがありません。
               そればかりか、元命の連れてきた郎従(身内の者カ)は、尾張国郡内に多く散らばっている。牛馬鶏等を屠殺す
              る類の者(荒くれ者の意カ)は、蜂のように(武力を持っている意カ)府(国衙の意カ)近辺に住んでいる。
               これらの徒は、都から遠く離れた尾張に居ながら、都での暮らしを思い、人民から土産(尾張の産物)を取りたて
              ています。
               こうした事に郡司は、どうしたらよいのか困りはてています。百姓は、為すすべを知りません。更に、万民に対す
              る律令の精神である民の為の施策を忘れ、只々元命朝臣の為だけの利得を考えているのでしょう。
               こうした百姓の訴えに対して国守 元命は、これを取り上げて正しく事の理非をわきまえず、彼は、国司の権威
              をかさにきて対処しますから、みな沈黙し、しいてものを言う者もなくなっています。ついには、身の置き所がなく
              なり、暮らしがたたなくなっております。
               ついには、他国へと流浪し、こうして官吏は、富み、尾張国は貧しくなり、生産は途絶え民は居なくなります。
               災いが起こりますが、その理由はよくは判りません。望むべきは、お上の裁断を請います。これに関わる元命朝
              臣の行いを止めさせて頂きたい。立派な国司を任命して頂き、それによって、人民の逃亡を防いで欲しい事に尽き
              ます。

             <第2条>
               官符の旨のままに裁断されん事を請う。租税田・地子田を別けず、ひとからげにして租税田として官物を賦課す
              る事。
               右 二種の田は、すべからく省符(民部省符の意)の旨に勘案された徴税にすべし。しかるに横法を以って租税
              田に順ずる徴収は、田堵百姓等にとっては、憂い心痛に等しいものです。それ故官吏は、富み、民は困窮してい
              きます。
               これは、善人と悪人の区別と同じで、政治は濁り、涙する人民は清い、清濁ははっきり区別できましょうか。
               望む事は、規定どおりの輪法(徴税法カ)に任せられるような裁定を下されん事を。

             <第3条>
               裁断せられんことを請う。官法(令制外の租穀官法の事 おおよそ当時は、2斗前後が官法カ)の量の外に意のま
              まに徴収する祖穀段別3斗6升の事。    * 通常の租穀より1斗6升前後多い事への裁断を請う事柄でありましょ
                                        うか。
               右 租穀官法には、限度がありましょう。これは、歴代の国司等に、例損でありますが、と悩んで訴えますが、最後
              の検田にて作製された田に関わる同国国図(太政官認定の国図カ)から出された田の様子で決められている面積(本
              数)であり、一切出来ないと言われ、完納させられます。或る国の国司は、段別1斗5升として徴収し、或る国の国司
              は、段別2斗以下で徴収するようです。
               しかるに当国守 元命朝臣は、段別3斗6升を徴収している。こうした事は以前の例と違っています。政道とは言え、
              政治は、煩雑であってはならず、仁政を旨とすべきではないでしょうか。
               したがって、耕作を妨げてはいけないし、国司(受領カ)は、人民に受け入れられるのが筋ではないでしょうか。
               もっとも国司には、観農の施策を有しており、春の苗代の作業、畑作業の頃ぶらぶらして農耕をしない者には、蒲の
              鞭で諭し、力を尽くして農政が上手くいくように図り、農事には、酒を振舞って農民を慰労する。
               そして、毎年4・5月の農時期には、雑使等を現地に行かせ、農民の働き具合を勘責する祭に言った事には、前年、
              交易雑物(尾張国では、白絹 12疋・絹 150疋・油 3石・樽 2合・芋 110斤・鹿革 20張・鹿皮 10張・鹿角 
              10枚その他 正税をもって諸雑物を買い上げ都に送るもの)の代価として百姓に支払い、百姓は、前年に支払らわれ
              た代価の稲穀を搗(ツ)いて玄米にして進上させるといえり、郡司百姓為すすべがない。
               その方法は耐え難い事で、搗いた米(玄米)は、春の播種時に運び、官庫に納める。その為農夫は、鋤を放り、耕作
              をしないし、蚕を飼う農婦は、桑も摘まず、繭から糸も取らないでいる。
               これは、百姓の歎きにとどまらず、農民が耕作や養蚕に従事しないことであり、困った事であり、ひいては、大切な貢
              納にもことかく事になるでありましょう。
               望むべき事は、官の裁定を請います。これに関わる元命朝臣の行いを止めさせて頂きたい。立派な国司を任命して
              頂きたい事を。

             <第4条>
               裁断せられんことを請う。守 元命朝臣による正税利稲外の理由の無い田積に応じた率稲の事。
               右 率稲は、正税利稲外の物で段別2束8把を尾張国内で徴収す。合計してもその量は、最も多い。この率稲は、太
              政官符によって特定の用途に正税を割き宛てる率稲ではなく、国司 元命の個人的な用途に収納せる率稲であります。
               これ等は、交易の代価ともなり、率稲を搗いて玄米ともなって、それを都の元命の邸宅に運び込ませます。その費用
              は、人民から用立てている。人民から取り立てた率稲は、私用であり、官納する物ではない。
               こうした事柄は、昨日は、他人事のように聞いていたが、今日は、わが身にかかる事のように思われます。おそらく当
              時の諸国でもこのような事が行われていたのでしょう。
               よくよく様子をみてみると尾張国内は荒れ果て、人民は、困窮している。そこの所を見過ごさないようにされたい。
               望むべき事は、官の裁定を請います。こうした事を正しく糾弾し、一方においてはこうした非法徴収の煩いを無くし、ま
              た一方では、律令法の遵守を願いたい。

             <第5条>
               裁断せられんことを請う。例えば率分官法(租穀官法の一つカ 旧年の未納・未進分に一定の率を定めて徴収する法)
              外の加徴収の段別租税地子 稲の穂先13束の事
               右 世間の様子をみれば、例えば率分官法は、決まりがあり、したがって代々の国司は、正税息利租穀率稲地子等とし
              て徴収してもある時は、8・9束、ある時は、10束でありました。しかるに当国守 元命朝臣は、1年分として段別13束2
              把を徴収した事。一国を通計するとその合計は、百万束にも達する。まさにいま、正税官物を元命の私用の稲の量と比
              べれば、百分の一に過ぎません。
               こうした件の率分加徴物は、ある時は、13束2把分の稲は、玄米にしたり、或いは交易雑物としての絹布・糸・綿・漆・油
              等に宛てる。
               交易雑物の代価は、絹1疋について4・50束、繊維を原料とする布は、8束以下、信濃国産の麻布は、5・6束以下、糸
              綿油漆芋等は、はっきりとしないが、その時々の代価で支払う。
               徴使の面々は、尾張国の特産品を徴収し、入部した徴使の食料費用は、勿論、規定の負担より加徴物の方が多く、それ
              は、5・6倍に当たっている。それ故負担能力のある者は、その支払いを歎き、負担能力の無い者は、あとをくらまして逃散
              するしかない。
               また、国庫に納める日には、国司の目代(私設の代官)がきて、付加税として、絹1疋について2尺2寸を加徴した。元命
              が絹の代価として百姓に支払うものは、上質の絹の場合は、30束以上40束以下であり、中下品の場合は、代価は極め
              て少なかった。
               目代は、更に百姓に対して付加税の絹を低い値に値ぶみして抑え、その差額分を更に加徴した。
               こうした事は、1年だけではない、三箇年ともこのようであった。
               将に郡司あっての国司であり、百姓あっての郡司であった筈。逃散する百姓を連れ戻す努力は致しますが、それにも限
              度があります。
               凡そ1国の衰退は、百姓の逃散にあり、その主要な原因は、ここにあります。
               望むべき事は、官の裁定を請います。旧例に即した裁可を下され、以って悩み愁いている民の心を癒して頂きたい事。

               <第6条>
                裁断せられん事を請う。貢納する調としての絹の定数の減直(減ずる値カ)値並びに精好(縦糸には、練糸。横糸用は
               生糸を用いて織られる絹用)生糸の事
                右 二つの事柄の貢納の定めは、官帳(調帳カ)に詳しく記載されています。但し絹1疋貢納の料田(賦課される田積)
               は、先例では、2町4段であり、その代米は、4石8斗でありました。そうでありましたが、実際に調絹の日に、貢納する数
               値を絹1疋あたり料田数を1町1段とし、また精好生糸に関しては、当国の上等な生糸を上納させ、それを、私用の為に
               綾(上質な絹織物)や羅(薄い絹織物)に織り、他国産の粗末な生糸を買い上げ、貢納に備えています。
                そもそも養蚕については、一向に百姓の意のままにはなりません。ある時は、調物は、糸・絹等の現物納であったり、代
               米で納入させたりでありました。当国守の元命朝臣着任時以降もやはり、養蚕は、百姓の意のままにはなりません。
                これは、貢納絹の料田を減じる為であり、精好生糸を得る為の布石であったのでしょうか。
                国司は、国に忠節を尽くす事はもはや無くなり、天子の憂い事を分かち合う仕事ではなくなっているのでしょう。いわゆる
               国を危うくする輩でありましょう。
                こうした点を見過ごさないように、望むことは、その正しい裁可をして頂きたい事 こうした事柄を問いただし、良い国司
               に改めて頂ける事のみであります。

              <第7条>
                裁断せられん事を請う。交易雑物と称して絹・手作り布・信濃産の布・麻布・漆・油・芋(カラムシ 茎から取る繊維)・茜(根
               から取る染料カ)・綿等を欺き取った事
                右 交易雑物等 絹でも貢納量は、決まっていた。しかるに、当国の貢納雑物等の量は、ほぼ数千疋になりましょうか。
                こうした事は、5月中旬より始まり9月中には、完了しています。此の為の絹を買い上げる代価は、4・50束、手作り布の
               場合は、8束以上、信濃産の布・麻布は、5・6束でありましたが、百姓方に残りし雑物の代価は、はっきりとしません。
                その後絹1疋当たりの代価を減直(本来の値から減らした値)した為予定した絹の量が減ってしまったと言って、元のよ
               うな貢納雑物の絹・布の代価にしてきた。こうした処置は、百姓方からみれば、絹 1疋で済むものが、安く買いたたかれ、
               尚且つ徴収側は、再徴収した絹の交易値段は、元々にしたのであるから更に更に不足金分を支払うように申し渡したの
               であろう。その上、徴使は、多くの従者を連れて班田農民や班田から離れた者に向かって絹1疋分として米 1石5・6斗、
               布瑞分として米 4・5斗を徴収した。
                これによって、付加された交易雑物は、元々の量の3・4倍になっている。
                更に徴使に対するもてなし費用は、勘案できないでいます。こうした非法を蒙る為に先祖相伝の財産も無くなり、子孫繁
               栄の道も閉ざされ、夫婦の衣装も売り払い、わが子まで亡くすはめになる。貧しさ故に、遂には、百姓はくらしが成り立た
               なくなりそうです。
                ここに至って、公民である人民は、顔をしかめ、郡内の浮浪人は、悲運のあまり穏やかではない。こうした事を見るにつ
               け、国司としての資格が無い事は明らかであります。
                望み請う事は、早くこうした非法の事柄を免れますように。

              <第8条>
                裁断せられん事を請う。代々国司交代時に分付けされた(未納分カ)官物分は、新たにされた古絹布並びに米として
               郡司・百姓より収納する事
                右 新たにされた未回収物 税帳面に記載されているとはいえ、有って無きが如しでありました。こうした未納分につ
               いて代々の国司は、徴収しておりません。その理由は、ある場合は、負名が死去して4・50年になった物であったり、あ
               る場合は、負名が逃散した物であり、数千余人分となりましょう。
                然るに当国守 元命朝臣 寛和3(987)年3月中旬頃より徴使を差し向け、まるで極悪人が如きの振る舞いで徴収
               した。徴収箇所は、既に昔の事であり、よく分からない事ではありますのに。
                従って郡司には、郡内の累積であると言い、累積分を取り、人民には、謂れのある徴収と言って回収した。暗に辱め
               て1・2の家に押し入り、十二箇所で騒動になりました。
                新古物の徴収は、本来の2・3倍になった。尾張国はそのため国力が衰えました。その原因はここにありましょう。
                こうした事から郡司・百姓等は、この尾張国に不安を感じ、この国衙の下では、憂いを禁じえない。ここに至って荒々
               しい悪い政治であり、かっての正しく治める心も無いかのようであります。徴使は、かえって水を得た竜の如く振る舞い、
               力の無い民は、生活の根本を破壊されている。
                望み請う事は、こうした行為を咎めたて、逃散しようと考える民を助けてくださる事であります。

              <第9条>
                裁断せられん事を請う。国守 元命朝臣 着任以来の三箇年 毎月借絹(代金後払いでの交易雑物買い上げ)と称し
               諸郡からの騙し取った絹 1212疋並びに諸使が規定の交易雑物以外に添え物として加徴する土産(尾張特産物)の事
                右 絹等は 当国八郡内から三箇年中にある時は借絹と称して、またある時は交易雑物と称して徴収した物でありま
               す。但しこうして集めた絹は、或る月は、1.2度、或る月は、2.3度、毎月の回数を合計すると右のような数量となり
               ます。その絹の代価は、絹 1疋あたり稲の穂30束以上40束以下であった。絹 1疋の代価は、かくの如しであります
               が、返抄(預り証)を与えたものは、全体の3分の一に過ぎません。しかも、その代価は、未だ支払われていません。
                こうした事で尾張国内で交易雑物としての絹を調達する事は困難になっています。
                よって、隣国から交易雑物としての絹を購入するようになった。その代価は、上質の絹には、6石以下(稲の穂 120
               束)中下級の絹でも代価は、5石以上(稲の穂 100束以上)支払っています。尾張国内の百姓には、元命の支払う代
               価は、30束〜40束であり、百姓の損失は計り知れない。右の如く百姓の損失を知りながら、元命は、敢えて尾張国内
               で減直し収納する。
                貢納の祭に返抄(受領証カ)を渡さず、右の如く受領証を出さずにおいて、代価を支払う時には、受領証の確認をして、
               受領証無しと称して代価を支払わないつもりであります。
                更に、徴使は、連日多く来て、納める人は、月を隔てず来る。そして、使いの者達は、それぞれにいろいろ徴収する土産
               があり、その額は、交易雑物の絹の代価以上になる。
                何故であろうか絹 1疋のところが、更に1疋分取る。徴使の為のまかない費用であろうか。徴使達は、それぞれ百姓か
               ら多く徴収して元命のお褒めに預かろうとしているのでありましょう。こうした非法をするのは、郡を滅ぼすことであり、国
               を滅ぼすことでありましょうに。民を無くし貢納の機会を無くす事になりましょう。
                望み請う事は、裁可を頂き、早く元命を解任し、良い国司に交代する事であります。

             <第10条>
               どうか、良くご判断下されん事を請う。救急料としての現物(籾カ)を支出しないで、正税帳には、支出として記載する。その
              在路救民料(救急料の事であろう)は、三箇年でその籾量は、150石の事。   * 一年分の救急料は、50石に相当。
               右 物の道理を考えるに父としては、父と子の道理を明らかにせずして子を導けば、その子は、子としての道理を知らずして
              父に仕えないでありましょう。国司は、国司の職務を尽くさないで国を治めれば、国についても国の道理を知らねば、国司は受
              け入れられないでしょうに。言ってみれば上位の者は、下位の者を敬い、下位の者は、上位の者を侮らない。上の者は、譲る
              事を好み、下の者は争わない。上の者は、下の者を教化する。例えて言えば、大風の中の小枝のように公家が、在路救民を
              する為に粗穀をそれぞれに配備し、救えるようにすることである。 
               さまよえる民・逃散する百姓は、招かれざる子のように来て、呼びもしないけれど鳩のように集まり、飢えた魚のように餌を求
              めて来るが如し。負い衰えた馬が、働けるようになる事と同じでありましょう。
               しかるに、当国国守 元命朝臣は、私財を蓄える事のみ考えて、今以てその籾を救済の為に支払っていません。かたじけなく
              も天子様より国司に任命されても、飢えたる人々の給する食料を奪っている。こうした事が鰥(ヤモオ 老いて妻無き者)・寡(ヤモ
              メ 老いて夫無き者)孤(ミナシゴ 幼くして父無き者)・独(ヒトリモノ 老いて子なき者)を生きているのか死んでいるのか分からない
              状況にしています。
               同様な事として、転々として所を定めぬ痩(やせ衰えた老人)・寡婦(カフ)・婆もまた同じであります。
               望み請う事は、救急料が支払らわれるように。本当にけちで卑しき事のはなはだしい事を知ってもらいたい事であります。

              <第11条>
                裁断せられん事を請う。履行されていない諸駅を通過する下級官吏に支払う伝食料並びに駅子用口分田156町歩に
               相当する直米(地子米カ)の事    * 駅子用駅田は、1ヵ年では、52町カ 尾張国は東海道の3駅カ
                右 国内には、負担の重い役はありますが、駅伝制の駅子の労役程重い物は無いのでは。古くから今に至るまで伝食
               料は、海道を往来する官吏の食料であり、正税から支出する事になっていた。口分田の地子米は、駅子の手間賃に宛て
               ていた。但し1駅宛ての駅田は、12町、伝馬の駅田は、16町、全ての駅田は、1年間分として52町となる。* 52町−
               12町×3駅=16町 とすると伝馬駅は、1駅となり国衙に置かれていたのでしょう。伝馬は、国衙と郡衙を結ぶ為カ
                しかるに当国守 元命朝臣 三箇年の間 両方とも自ら収納し、未だに実施しておりません。尾張国内では、このように
               されております。そして、都へ送る牧の馬の逓送(テイソウ)の日、牧から都へ向かう貢馬使をよく眺めれば、権威をかさにき
               て、未だ駅子の大変さを知らないようで、或る場合は、貢馬使の食料をなおざりにしていると些細な事で言いがかりをつけ
               たり、或る場合は、貢馬使への饗応が粗末であると、わざと怪我をして血を流したりする。賄賂を得んが為に。官牧から都
               へ貢進する馬を率いる貢馬使は、駅家に逗留し、ぶらぶら過ごす。欲するままに尾張国の土産(特産物)を得ると、馬に鞭
               をあてて、急いで駆け去っていく。
                尾張国に良い国司が着任していれば、伝食料を出し惜しみしないでしょうし、尾張国の郡司百姓は、煩わしい事等何もな
               かったでしょうに。
                望み請う裁断は、早く駅子が安心して業務を遂行出来るようにする事であります。

              <第12条>
                裁断を頂けるよう請う。三箇所の駅家の雑用(雑費)稲の穂にして6795束の事
                右 彼の国(尾張国カ)の伝馬30疋 直籾 150石(1500束カ) カイバ用籾 24石(240束カ) 駅馬死損買い替え籾
               52石5斗(525束カ) 並びに1年分の籾量 226石5斗(2265束カ)合計した三箇年分の籾量は、6795束であります。       
                  * 2265束×3年=6795束となり、辻褄は合うようです。
                これ等は、正税帳に支出したと記載されている。ところが、当国守 元命朝臣 悉(コトゴトク)く私用とし、少しも支出しない。
                こうした憂いを歎いているだけで過ごせればいいのですが、駅に官吏が来た時には、その費用は、郡司に掛ってきます。
                こうした出費は、際限が無く予測出来ません。たまたま私用の馬を使って回送すると、1回の費用は、数匹分の馬の駄賃
               分になりましょう。尾張郡内の私馬がいなくなりますれば、隣国から借り受けてまかなわなければならないでしょう。
                おそらく当国国司は、将来的にはこれを慣例化するのかも知れません。
                こうした事は、人民にとっては、多くの損害を蒙ることであり、良い事は何もありません。国司一人のみ損害が無いし、良い
               事だらけであります。
                望み請う裁断を。まさにこうした在地の苦しみを無くして頂く事を。

              <第13条>
                裁断されん事を請う。履行されていない三箇年分の池・溝並びに救急料稲1万2千余束の事
                右 多くの民の主業は、農業を基本とする。米つくり・麻作りには、先ず溝の整備が大切かと。しかるに此の為の費用を
               ビタ1文も出さない。こうした事は、知っているのか知らないでいるのであろうか。
                国司が溝池修理料を支出せず、勧農の機能を果たさないでいますから、郡司が、私物で以って池・溝を修理し、国司が
               本来果たすべき勧農機能を代替わりせざるを得ません。更に百姓も乏しい蓄えから池・溝の修理料を補填しています。
                旧記を調べてみると、池・溝料は、全て正税帳に載せられ、報告されていて、支出したと記載されているようですが、実
               際には、現物(料稲カ)を支出していません。元命朝臣の妻子の衣服代に流用したのでしょう。*  着服1ヵ年分 6千余束カ
                こうした事は、国の農業を滅亡させることであります。或いはひでりの時でも、何らの対策もしないし、三日以上降り続く
               長雨の時でも、何らの対策もしていません。此の為、農業の損害は計り知れず、池・溝も破壊されています。
                望み請う事は、裁断をされる事。早くうわべだけのまつりごとを糾弾されますように。
                
                            <第14条>
                裁断されん事を請う。調としての絹の旬法(貢納物は、一定の日数をおいて分割徴収する規定)の符(上から申し渡さ
               れる通達)にいう5・6日の間をあけてに従わず、元命朝臣の連れてきた郎従・従者を郡内に遣わして徴収する事
                右 調絹は、国例(調の絹を進上する尾張国の例となっている規定)に従って6月上旬から9月下旬までに行う事とあり、
               これが、慣例となっております。しかるにこの旬法によらず、力づくで百姓から調としての絹を取り立てる使者を5月中旬
               になると郡内に遣わし、まだ調の絹織物を織りきらぬ内に徴収する事甚だしい。
                今は、旧例に従い符の内容に則っての徴収というより、官符に背いた私利私欲に基づいた徴収であります。非法を正法
               として更に郡内に遣わした使者は、調絹をきびしく責め取り立てようと働いています。元命朝臣は、おのれの意のままに
               なるよう馬上からながめ、郎従・従者を使って家の入り口を蹴破らせ、格子戸を開け放たせ、雑物等を捜させて徴収させ
               ている。
                ほんの僅かではありますが、非法を訴える人もいますが、その人には刑罰を与え、賄賂を差し出す者には、密かにその
               徴収を延ばしている。国の衰退は、百姓を殺す事に尽きます。これらは、国司 元命朝臣の政治がよろしきを得ない事に
               尽きましょう。
                望み請う事は、元命朝臣の任を解き、良い国司を任命して頂く事であります。

               <第15条>
                 裁断されん事を請う。国守 元命朝臣による田の地子代と称し、郡内の上・中・下田で栽培した麦による徴収の事
                 右 旧記によれば、弱い者をいたわり、安んじ、貧しい者を哀れむのは国司の務めであり、逃散・逃亡する百姓を呼び
                寄せ、民政を安定させるのが良使の勤めであるという。
                 滅私奉公を宗とするに、そのようではない。国司の入国とその儀礼については、国司以上の高い位はありません。
                 しかしながら、元命朝臣の所行は、通例の国司とは異なっています。それは、国にとって大切な月には、都の邸宅にい
                て、人民の訴えを取り扱わず、農繁期の時は、任国にて郡内の生業を妨害する。郡司の開墾したる例作田(郡司の私田
                カ)を取り上げ、郎従の例作田とし、百姓の財物を掠め取り、国衙での消費用となす、更には、春のよもぎから秋の木の実
                に至るまでを取り立て、夏の麦(大麦カ)から冬の大豆に至るまで徴収している。(この二つの句は、元命朝臣による米以
                外のあらゆる穀物・豆類を徴収している事を言い表しているのでありましょう。)
                 こうした徴収物を、百姓らに運ばせています。また、集めた麦は、後任の食事料と言って憚らない。
                 このような政治のやり方は、国司にあるまじき事でしょう。
                 望み請う事は、こうした政治を止めさせて頂きたい事。そして元命朝臣の貪欲さを知って頂きたい事であります。

              <第16条>
                裁断せられん事を請う。国衙より派遣される各種の役使を郡内に遣わし、徴収させた雑物の事
                右 件の役使等は、郡ごとに甚だ多く、班田農民やら班田を放棄した民の食料を奪い取る。規定の貢納物以外の副物は、
               既に3倍に達しています。或る場合は、貪欲に、徴収後また徴収している。或る場合は、暴力的に振舞って責めて責めて責
               めまくる。とりわけ検田の作法は、除目によって正規に任命されている国衙の介以下の任用国司の務めでありますが、或る
               郡へは、元命の子弟(子の頼方カ)・郎従(元命子飼いの者ドモカ)等を派遣し、或る郡には、検田業務に不慣れな都に官職
               を持つ者・官職を有しないが官位を持つ散位を派遣。
                田畠の実際の面積にかかわらない検田であり、、田畠の所在を確認しない検田である。只々己の意のままに検田を行う。
               1段の熟田(現作田カ)は、2.3段と記載し、ないしは、不作になった田を現作田であるように記載し、聴取する官物が多く
               なるようにと心がける。これは、国衙領(荘園となっていない公領カ)には、例損田が無いかのように検田する事であります。
               検田使の為の接待以外にも1日料として黒米・白米を徴収。或る郡では、2・30石、或る郡では、絹 7.80疋と米6.7石
               を徴収した。
                こうした余禄を思ってか、一日で検田し終わる郷を数日かけて回り、余禄の合計は、米に換算して数千石になりましょう。
                この外にも、尾張国の国例となっている付加税と言って段別にして米 1升2合を納めさせる。その上この米量を不法な枡
               を用いて量り取る。右のような諸負担は、郡内の田堵百姓らの肩にかかっている。
                                田を検注して従前よりも余分に田の数を帳簿に記載するその使には、国司は、5.6町の報償を与えている。このような無
               法を以って郡内を扱う。
                また、国衙の官物の収納にあたる官人は、元命の子・姪(メイ)・郎従・有官・散位であり、郡内に派遣する時には、収納す
               べき対象・数量を記した文書(配符)を受けていくようであります。この時点で従来の先例に背いています。
                郡司からは、1郷単位に賦課される絹分であると言って1郷当たり5・6疋。但し1郡に5.6郷ある時は、その郡の絹は勘案
               され、4・50疋にもなります。また、田堵百姓5・6人より絹 3・4疋又は1・2疋を取ります。実際国衙が把握している田堵百
               姓は、1郷4.5人となっております。こうした郷分の絹は、合計すると100疋にもなります。
                人民への無駄な仕打ちは、この事でありましょう。今特に官庁の先例を書き写した文書をみれば、国司は、1年に一度国内
               を巡行する義務があったようです。しかるに元命朝臣は、連れ来たった者共のご機嫌を取る為に連れ来たった者の貪欲さの
               ままに任せた。こうした者達は、法に違反している事すら知らない。以上述べた諸点から思えば、元命朝臣のしてきた事は、
               国司として不適当であります。
                望み請う。まずは、召し出して糾明され、そして、甚だしく憂い悲しんでいる民の心を安んじて頂きたい。

               <第17条>
                 裁断されん事を請う。旧年の正税の内 諸支出を差し引いた残りの稲穀(籾カ)を京宅へ玄米にして運んだ事
                 右 旧年の残稲は、国司 元命の任中の官物の余剰ではなく、以前の国司の頃の残稲であります。
                 こうした残稲は、非常の際の対策として無利息で貸し付けるべき物でありました。
                 しかし、今後の生活を支えるようにと5・6月頃郡司百姓等に玄米にさせて納めさせた物でありました。この残稲は、古米
                である故玄米にすると1束 3.4升にしかならない。しかれども新米では、1束で5升となり、これが法であると。(おそらく
                国司 元命朝臣は、本来返納するには、1・2升分不足していると言った可能性が高い。)
                 これを聞いた貧しい百姓・頼るべきのない郡司の憂いは並みの物ではなかったでありましょう。
                 国司たるべき官吏が、民を煩わす謀にこれ以上の物はありません。
                 望み請う事は、裁断であり、国司の貪欲さを知って頂きたい事であります。
 
               <第18条>
                 停止されん事を請う。蔵人所からお召しがあったと称して恒例の貢進外の加徴された漆 拾余石の事
                 右 漆は丹羽郡の特産物であります。即ち恒例の蔵人所への貢進物(漆) 3・4斗でした。しかるに貢進すべき漆は、
                甚だ多い。 * 漆 拾余石は、100余斗÷3年≒33斗 33斗−3斗=30斗 年間 漆 30斗分を着服カ
                 1升の漆は、規定の4・5合分にしか相当しないと。1斗分は、4・5升に減直。こうした元命朝臣のやり方で補充すれば、
                何時でも百姓が補充しないと規定量にはなりません。そうした事で寛和3(987)年3月13日に漆の未納ありと元命朝臣
                は、幹了使(こうした役使があったかは、不明)を派遣して、責め立て、免れる事を許さなかった。
                 漆を持っていた民は、言われた漆を供出。漆の無い民は、絹で以って納めた。この時も漆1・2斗を4・5升相当とし、
                絹5・6疋を漆1.2斗分にあてて取った。一本の木から出る漆は、僅かであります。
                 木から出る漆は少ないのに、国が責め取る物は、甚だ多い。
                 こうした事で、百姓は去り園は荒廃し、野火の為に漆の木は焼け、木は倒れ、枝は枯れてしまう。国にとっては、大損で
                あり、園にある僅かばかりの漆の木は、漆を塗った柱のようで、たまたま残った漆の木を掻けば、葉に残る露の量より少な
                い。しかるに当国守 元命朝臣は、園の漆の木が枯れ朽ちている実情であってもこじつけて、なお徴収しようとする。
                 望み請う裁断を。恒例の貢進物以外の漆を省いて頂きたい事を。

               <第19条>
                            裁定されん事を請う。馬津の渡し(かっての岐阜県稲葉郡稲羽町付近の木曾川の渡しの事で或いは、墨俣の古名カという説・
                或いは、こちらが妥当かも知れませんが、木曽川下流江戸期には、古川と呼ばれし、津島近辺の渡津であり、軍事拠点カ)に
                は、官船の備えがないので、郡内の少ない船を用い、郡内の渡し場に居住する人達にも渡しについて煩いをかけている事 
                 右 多くの人を船に乗せる為川に落ちて死ぬ人もある。その原因は、誰にあるのでしょう。溺れて沈む人もあり、こうした
                悩みは、誰に持っていけばいいのでしょう。国内の災難は、一人当国守のみその責は、免れません。
                 こうした事で、幅の狭い川では、泥をよけ、幅の広い川の津には、渡し船等を置くべきでしょう。
                 この馬津の渡しは、東山道と東海道を結ぶ間道の一番の難所であり、官吏の往来が滞る所です。ここに多くの往来者を
                乗せる船を購入して渡らせれば、郡司百姓は、何の煩わしさがありましょうか。しかしながら、官帳にその用立てた事を記
                載していますが、まったく購入する気持ちがありません。官裁を下されず、多くの往来者を運ぶ船を常備しないのであれば、
                或いは思いもかけない事になります。その理由は、少ない船で官吏を乗せ、細い櫂で漕いで幅の広い川を渡った時、大風
                が枝を吹くと、大きな波が忽ち起こり、大きな生き物がいる淵に居る心地であり(例えで死ぬかもしれないと感ずる事であろ
                うか。)、試験に落第したような気持ちでありましょうか。
                 およそ当国守 元命朝臣は、現地での惨状を知っていないのでしょう。どうして、このような人を国司と言えましょうか。
                 望み請うは、官裁であります。船を常備して渡し、幅の広い川を越えられますように。

               <第20条>
                 裁定されん事を請う。国守・介以外の三等官以下史生以上の国の官吏等に官物である俸料稲を渡さない事
                 右 任用された国の官吏等は、或いは才能により任官され、或いは売官により補任されている。しかしながら、月々
                の俸給料を渡されないで、むなしく日々を過ごしている。都に帰ることもできず、さりとて留まる事も出来ないでいます。
                 衣食の為の禄に困惑しています。飢えと寒さは甚だしく、暮らしづらい。ことごとく都に帰れば、シャク(官人の標識カ)
                を持つ身でありましたし、国の官吏に任命され都を離れて赴任いたしましたが、官物を頂けず、奉公が決まった頃は、
                国の官吏になり、喜び溢れてにこにこしていましたが、いざ、任地に着いてみれば、元命が、官物を支給してくれない。
                 世の中で恐ろしい事は、国が亡んで、無くなる事、只この1点であります。
                 望み請う事は、裁断せられん事を。まさにこうした事を問いただし、数年分の国の官吏に支払われるべき官物を支給
                して頂く事であります。
       
              <第21条>
                 裁糾されん事を請う。書生(史生と同じような事をする書記官)雑色人(都と地方を行きかう国衙の下級役人)
                に毎日の食料を支払わない事
                 右 書生・雑色人等は、或る者は、学者(国博士カ)であり、滅私奉公を宗とする。或る者は、家業を継いでいる
                者であり、自宅を離れ、国の指示に従う者であります。そうした書生は、文書の破損等を勘案して繕ろう職であり、
                年中一生懸命働いて年を取っている。雑色人は、都と地方を行きかう連絡役人であり、走りまわって年を取ってい
                る。例年の飢えと寒さをふせぐ唯一の楽しみは食事と酒でありますが、元命朝臣は、そうした飲食さえも奪っている。
                 己が連れきたした郎従ばかりを優遇し、立派な政治を行い、人民を教化する事など眼中に無い。国司着任時以
                降人民をしいたげる非政絶える事がありません。こうした日々が続き、郡内の百姓は、困窮しています。
                 人々は、早く元命朝臣の任期が過ぎる事を待ち望んでいます。国衙で働く雑色人は、元命朝臣の任期の満ちる
                事が遅いと歎き悲しんでいます。
                 望み請う事は、裁定をお下しください。早く良い国司が着任されるように。

               <第22条>
                  裁断されん事を請う。不法な安い賃金で都の元命朝臣の邸宅へ運ばしめた白米・糒(ホシイイ 乾燥させ干した飯)
                 黒米・雑物の事
                  右 当国に示される国例の運賃は、六路の法(尾張から京都までの運賃は、1駄につき21束、また、運送日数は、
                 尾張から京都までは7日間と決められ、人夫1人宛て路用米 上りは日米 2升、塩 2勺が決まっている。故に路
                 用米等を差し引くと 1駄あたり3束となっていた。)であります。
                  しかしながら、下された符(国司から人夫等に出された書類カ)には、簡単に1石給すべきところ3斗9升余ばかりで、
                 残りの6斗1升余は、支払われていません。
                  こうでありますから、国庫の収納に関わる官人や国司の私的な代官(目代)等は、攻め取った米100石につき絹2
                 疋、或いは4・500石であれば、それに準じて報酬を貰う。尾張国の盛衰は、ひとえに国司の心にあります。政治が
                 正しく行われれば、馴染まない雉でさえなつくと言うし、政治が乱れれば、なついた犬でも門口で吼えるといいいます。
                  しかるに当国守 元命朝臣の就任中は、国では騒動が起き、民は落ち着かない。その上、運脚使は、脚を痛め、都
                 と尾張の中間地点で行き悩み、運送の馬まで酷使により使えなくなり、都までへの遠い道のりに苦しんでいます。
                  こうしたこと以外にも元命朝臣の子・姪・郎従は、おのおの百姓から借用と称して徴収し、郡内毎で消費する量は、
                 甚だ多し。百姓は、歎き、不安な気持ちでいます。
                  かっては、寛容な心で政治をされていましたが、今はそうではなく、訴えれば、鞭や杖で叩く刑罰に処せられ、かって
                 の諌めには、蒲の穂の刑でありましたが、今は、そうではありません。
                  只々、元命朝臣の奢りの為に、もろもろの民は、滅ぼされようとしています。以上述べたことからすれば、尾張国の
                 国司は任せられません。
                  望み請う事は、裁断であります。早く国司の任を解いて下さい。

               <第23条>
                                   裁断されん事を請う。旧例に無い国の雑食人(運脚夫カ)や郡内の百姓を官物外の雑物運送に使い京都・朝妻(琵琶
                湖東岸近江国坂田郡の港)へ雑物を運送させた事
                 右 運送は、国例によれば、寒い月や農繁期を除くというものでありました。しかし、毎月、毎旬と常に運送させられま
                した。
                 京へは、10日くらい掛かりましょうし、本国への帰路は、雲のかかる険しい道であります。此の為荷を担ぐ運脚夫の肩
                は、ただれて痛さの為に天秤棒を担げません。使役の為の駄馬は、ひづめを痛め、鞍の上に荷を乗せると痛がります。
                 食料が底を尽きれば、本国への帰路もままなりません。秋や冬の頃は、転び易くなります。こうして、一国内の運脚夫
                は、居なくなり、百姓の手助けをする駄馬も無くなりましょう。百姓に支払われる賃米は、運脚夫は、1石2斗、かり出され
                る駄馬には、2石余でありますが、これでは、とても為しがたいものであります。
                 望み請う事は、裁断。官物運送外の運送は、従順な運脚夫や駄馬の仕事ではない事を。

               <第24条>
                  裁断されん事を請う。国分尼寺修理料たる稲 1万8千束が支払われない事
                  右 国分尼寺、これは、国家護持・官吏民衆の快楽の為に建立されたものであります。しかるに原因不明の火災で、
                 消失して久しい。仏像は、灰と化し、生ある者は、すべて滅ぶの理のように堂塔は、全て燃え尽きてしまいました。
                  修理の願いもむなしくそのよりどころを失くしています。仏壇に供える草・花も飾るところがありません。
                  こうした時には購読師(読経をする人カ)玄好と国司は、共に早く建立すべき人でありましょう。しかるに、国司は、
                 修理料稲を出し惜しみし支出せず、此の為建立の機会が失せてしまった。年月が経過していますが、空しく願い続け
                 ています。そうした時、四天王が仏の法力を表し、羅漢の18神がお告げるを下された。時に元命朝臣驚いて建立の計
                 画を立てますが、こうした建立に百姓を煩わせますので、伽藍配置は出来ませんでした。僧を召して経を読ませるに
                 も仮屋での読経をお願いするしかなかった。僧による読経は、片流れの粗末な建物で行われた。二十人の僧により、
                 昼夜三時の読経(六時の勤めカ)をし、四部の衆(比丘・比丘尼・ウバソク・ウバイ)は、私的に三輪の勤め(三論宗の三
                 論カ)を行った。こうしても、尾張国は疲弊し、百姓は、逃散している。このようにしても、良くならないのは、上記の事
                 にありましょう。
                  望み請う事は、裁断。国司を召喚し、修理料稲を支出させ、国分尼寺を建立させる事であり、国家の護持を祈り、国
                 土の復興あるのみであります。

               <第25条>  
                  裁断されん事を請う。支出されていない購読師の衣代と食料並びに尼僧等への毎年の布施稲 1万2千束余の事
                  右 災いを減らし福を招くのは、仏法の威験によってもたらされ、護国利民は、祈祷によってもたらされる。
                  もっとも、購読師は、こうした事を遂行出来る座禅僧であります。多くの尼僧は、こうした勤行を行う僧であり、朝は
                 白露を嘗め、夕べには赤きもやを食し、出世の法・身近な理・世間の道理に精通しようと励んでいます。亥の刻に行う
                 読経の為堂に入り、朝な夕なに礼拝している。礼拝時には、膝・手・頭を床に着け、座禅の作法をしている。
                  怠けた僧は、これをみて菩提の心を起こし、信心の無い輩は、これに感じて仏の徳を讃える歌謡をうたうでありまし
                 ょう。
                  このようになれば、皇帝は、先の世に祈り、もろもろの民は、長命を願う。そして、その才能を発揮出来る者を補任
                 されるようになりましょう。
                  しかるに当国守 元命朝臣は、衣料や供養料を惜しんで、自らの酒食に使い、90日間のお篭りでも、元命は、衣・
                 供養料を惜しんで、施しをしないでいる。
                  昔はこんな事があったという。所謂中国の故事で、冤罪の為獄舎に入れられた者があった時、天は、5月に霜を降ら
                 せたとか。
                  古くからの言い伝えでは、冤罪を着せられた有司の事で、天は、3年間雨を降らせなかったとか。もっとも、この事
                 は、天候不順で凶作になった事を孤独なやもめ(未亡人カ)や老女が歎く事に似ている。いわんや僧も尼僧も共に歎
                 いている事でありましょう。
                  望み請う事は、裁定される事であります。将に修理料稲を支出される事をであります。                  

              <第26条>
                 裁定されん事を請う。国守 元命朝臣国司の仕事をしないので、郡司百姓は愁い事を訴えられない事
                 右 国司 国司の仕事として郡内各地を巡検し、風俗を問う事が「戸令」に規定されている筈。しかるに守 
                元命朝臣 都にばかり住み、任国である膝元の様子を省みない。かたじけなくも天子様より国司の任を受け
                ているのに蝦夷人や仇敵と異ならず。国府への出仕日でも国衙へ顔を出さないし、百姓が訴えを持ってやっ
                て来ても国司の館の後ろに隠れてしまう。(居留守を遣う意カ)集まった百姓には、何となく国司 元命がいる
                気配を感じますが、已む無く帰る。
                 郎従の輩は、目配せして何事も無いかのように振舞い、姿を見せない時には、元命様は、京にみえると言
                ったり、或いは役所の入り口に物忌み中(一日乃至数日は、部屋に篭られている。)という立て札を立てる。
                 この為郡司百姓は、朝、訴えの書状を捧げてやってきても、夕べには愁いを抱いたまま帰らざるを得ない。
                 嘆きを枕の代わりにして過ごすしかない。昔何かの罪を犯し、今こうした国司に出合ったのであろうか。
                 嗚呼この先の国司もこうした事をするのであろうか。
                 望み請う事は、裁断を下される事。早くこの胸のつかえを取り払って貰きたい。

               <第27条>
                 裁断されん事を請う。国守 元命朝臣の子・郎党 郡司百姓の手元に残る雑物を責め取る事
                 右 子・郎党のする事は、蝦夷人(野蛮人の意カ)と異なりません。まるで山犬や狼と異なりません。人肉を
                割いて身のかざりとしている。目に付く気に入った物を、責め取らないで頂きたい。珍しい宝物があると聞きつ
                けては使いを送り無理やりだまし取らないで頂きたい。よくよく守 元命朝臣の子息 頼方は、そのやり方が、通
                常の人とは違っている。うまい酒を集め、1日に飲む酒の量は、5・6斗。只この量は、一人だけの飲酒ではな
                く、郎従等も加わり泥酔し、朝から晩まで飲んで踊る輩となる。これは、酔っ払いであり、普通ではありません。
                 父と同じように只己の欲するままに非道を行う。国衙の官人には、恥辱をくわえ、郡内の郡司には、みだりに
                刑罰に処す。未だかってこのような人を見聞きした事はありません。
                 もっともこの頼方は、郡内の郡司百姓の所有する牛馬を、用があると言って勝手に求め取り、1・2日後には
                同じ郡内の他の人に売りつけている。絹 1・2疋で手に入れた馬を絹 5・6疋にして売る。牛に至っては、放し
                飼いしてある物を己の欲するままに奪い取り、商人のように売り飛ばしている。官人としての節操もプライドもな
                いかのようであります。
                 望み請います裁断を。早く律令の禁制に照らし、後々の為懲らしめて頂きたい。

               <第28条>
                 裁断されん事を請う。国守 元命朝臣の子息 頼方は、国内では、数疋の駄馬と人夫を出すことになっているが、
                その代償として絹類を以ってすることが出来ると力ずくで責め取った事
                 右 頼方は、全ての意のままになる郡内へ行って右の駄馬・人夫を借用(代金を払わず使用する事)する者であ
                ります。しかしながらその後人民は、家の子同然であるとして国内の諸郡に適用し、無理やり駄馬と人夫としてか
                絹類の供出かを選ばせた。こうした事で人民の駄馬は、有っても無しが如しの状態であります。僅かに残っている
                馬や牛は、年々の未進分の交易雑物(絹)の代価として責め取り、そうした馬や牛は、交易雑物代を得る為に隣国
                や他国へ売り払おうと画策した。
                 負担しきれないと訴えると、なぐり・しばり・踏みにじる事をもって宗と心得る暴悪な使者が送られ、辱めを受けたく
                無い者は、相伝の田地を、絹を得る為に売却し、上進する他ありません。
                 すなわち絹 1・2疋は、駄馬の代価として納めています。こうした上進は、既に三箇年。どれだけの量になったか
                は、知りがたい事であります。
                 暴悪な使者は、絹を納められない者へは、駄馬1匹について土毛米(班田農民や不浪人には、米を代価にしたカ)
                として、5・6斗以上1石以下で暴悪な使者に従ってきた者達に分担して責め取らせた。
                 こうした事は、父 元命朝臣が、取り残した物を子 頼方に探させて根こそぎ取ろうとする事であり、たった一人の
                国司の為に為す事であり、ひたすら百姓の財を根絶やしにする事であります。
                 望み請う事は裁断あるのみ。辞めさせて頂きたい事であります。

               <第29条>
                  永久に止めさせられん事を請う。国守 元命朝臣の子弟・郎従は、郡司百姓を佃(直営田カ)でない田の耕作を佃
                 とだます数百町歩の収穫稲の事  * 佃の初原は、疫死・流死百姓の口分田(満6年で除帳に記載された百姓
                                          口分田の地子田化カ)カ
                  右 子弟郎従は、着任時から引継ぎにかけても些細な事も見逃さず、請作佃を国内に設置していった。もっとも子息
                 頼方の佃は、ある郡には、4.5町歩とか、ある郷には、7・8町歩というように全ての尾張国8郡内の請作佃は、数限
                 りなく多い。春、播種にさいして種籾を出挙(貸し出す事)するが、佃の経営に必要な費用を耕作百姓に支出しない。
                  子息の佃経営とに鑑み、秋の収穫期に佃でない耕地から上分を取り立てる時、請作百姓の承諾とを問わず補につい
                 たままの稲を取る。百姓が、官物として納めている物をあざむいて佃の稲分として徴収し、割きとられた分は、官物の
                 未納分とした。本来徴税士が、佃でない田から徴収する百姓の官物は、段当たり4.5斗であった筈。このような取立て
                 を合計すれば、既に正官物量の倍になりましょう。
                  わずか1年の間に莫大な蓄えををした。これは、百姓らを死ぬほど困苦せしめた事によるものであり、己の永財とした。
                  これ以上無い楽しみを得るには、十分でありましょう。非道の数々に歎きは、余りあるものであります。
                  望み請う事は、早く止めさせる事であります。 

                <第30条>
                  裁断されん事を請う。国守 元命朝臣 京より任地に向かうたびに引き連れしは、官職を有する者(有官)・官位は有
                 すれど官職についていない者(散位)・郎従・不善の輩(荒くれ者カ)の事
                  5位 1人 天文博士兼権任(天文に関わる博士で正員以外の官人)  惟宗是邦
                  内舎人 2人 橘理信 藤原重規
                  同孝兼 同朝佐 大原弘春
                  良峯松林 伴兼正
                  右 5位以上諸司官人以下 勝手に京畿外へ出かける事を厳しく禁制されている。しかるに今は、自己の利益を考え
                 て、私的に、こっそりと現在の国司について行き、京に帰らず国司の任地に留まっています。
                  在京時には、己の上位の者に諂(ヘツラ)い、国司に従って任国に下る。まさに雲の如く、風のような存在であろうか。
                  暗に手段として、その地の産物を探す。こうして、京・畿内では、人が減っていく。この先どうなっていくのでありましょ
                  うか。お先真っ暗であります。もっとも先に述べた検田使等は、1郡に2人いますが、その勝手気ままな振る舞いは、他
                  に例えようがありません。こうした者は、1段の田を2・3段に、5・6段の田を7・8段、いわんや4・50町歩の田は、90
                  余町歩にしてしまいます。
                   1日で検田できるのに3・4日かけ、3・4日で済む所を7・8日かける。こうした検田使への饗応日には、饗宴の外に、
                  白米 8・9斗黒米 5・6石の持ち出しとなります。それだけでなく郷毎に絹 10疋と利得の多きを望み1町歩あて1斗
                  2升の米を取り、あげく検田使の仮の宿舎の敷物をも持ち去る。
                   しかるに耕作田の百姓には、田を基準として諸賦課がかかる為逃散し、畠地には、賦課が掛からないので畠作百姓
                  は逃散しなくても何とか暮らしていくことが出来ている。
                   内部にこのような愁いがあっても、この事を訴えがたい。
                   望み請う事は、裁断を下されん事。まさにこうした愁いを休ませてもらえる事であります。

                 <第31条>
                    裁糾去れん事を請う。寛和3年某月某日に諸国に下された九箇条の官符の内3箇条は知らされましたが、六箇条は、
                   知らされていない事
                    知らされた3箇条
                     1条 むやみに武器を携行し、郡内を横行する輩は、処断する事
                     1条 陸上・海上の盗賊を取り締まる事
                     1条 王臣家は、荘園の田地と称し検田使・収納使を拒否する事を止めさせる事
                    知らされなかった六か条
                     1条 庸調雑物は、規定の記述通りに現物を納める事
                     1条 庸調雑物の納期を違えたり、未進した国司は、格の規定により任を解く事
                     1条 諸国に任命した受領使は、任国の輩を滅ぼすような事は止める事
                     1条 諸国受領使は、多くの五位・六位・官職を有する者(有官)・官位を有する官職を有しない者(散位)客人を任
                       国へ連れていかざる事
                     1条 全ての正税帳類に記載されている前任国司が官物の欠損分として、うめもどした物を後任国司は、自己の官
                       物分としない事
                     1条 国衙・封戸を与えられる主に納める官物にしても、並びに王臣から庶民に至るまで銭貨を用い無い事
                    右 太政官符の内容で、去る永延元年7月8日 尾張国諸郡へ知らされたのは、右 知らされた3箇条と言えり、3箇
                    条は、知らされましたが、未だ6箇条は、知らされておりません。国守 元命は、自分に都合の悪い6箇条については、
                    手元に隠して公布しなかった。
                     天皇の意思を伝える文書でありながら、尾張国では、一部しか公布しなかったが、尾張国以外の国々では右の太政
                    官符の内容が全て公布されたので、それにより、尾張国の郡司百姓等もその官符の内容を少なからず知りえたのであ
                    ります。
                     訴えに応じません。諸国受領使は、任国を衰退させない。並びに五位・六位・有官・散位・客人(マレビト)を連れて来な
                    い。禁制は、誠に重いものであります。このような官符の内容に背いて、みだりに私事の為の政治をしました。
                     もっともこうした諸国への天子様の委任は、重いものであり、善政は、賞賛せられますが、しかしながら当国守 元命
                    朝臣は、尾張国の困窮していく事を省みないで、尾張国の民の逃散を知りながら、任官中にたちまち永代の財産を蓄え、
                    三箇年で数箇所の園地(畠)を購入している。国が滅び、民がいなくなろうとしているのに、国司からしてこのようであり
                    ますから、いわんや有官・散位・諸司官人も同様であります。
                     しゃくを有する重い身分でありながら、只人民を鞭で打つが如きを好み、右 官符たる重みある禁制を隠し、公布しな
                    いでいます。本当に国を思う国司であれば、やさしい心を持っていましょうものを。
                     詳しく訴えたい趣旨は以上であります。
                     望み請う事は、裁断されん事であります。天子様の意思を蔑ろにする者を懲らしめて頂けるように。

                   <後文>
                     以上記しました31箇条は、朝廷の法(ノリ)の貴き事を知り、ご威光を仰ぎみる事であります。良吏が任地に赴けば、
                    虎も子を背負って山に隠れるとか。政治が徳を持って行われないとイナゴが羽ばたいて集まるという。しかるに当国守
                    元命朝臣 奪い取ることばかりを考え、困窮した民の飢えて青くなった顔色すらみず、百姓をきりさいなむ事のみ心に
                    かけ、国司としての心がけを無くしている。昔中国の戦国時代に六国の王が、殺戮をしあい、七ヶ国の災いの元となっ
                    たという。
                     今一人の国守の悪政の為に、尾張国八郡内は、騒然となっております。これにより、生まれし国を棄てようとすれば、
                    天子のご命令に背くことにもなりましょう。また、越境をして、他国に逃れようとすれば、公民としての課役を怠ることに
                    もなりましょう。僅か3年にならんとしていますが、その間は虎の尾を踏んでいる心地であり、もし守 元命が、任期いっ
                    ぱい国司として務めるならば、何で被害を受けずに済みましょうか。逃げ支度をします。
                     思いのほかの収奪があると聞けば、急いでそれから逃れようと別れの宴をしなければなりません。
                     今は、郡司百姓は、守 元命朝臣の非政を記録して官の裁定を請けたいと思う者であります。しかし、郡司は公務多
                    忙で、百姓は、国衙からの賦課に忙しく、都への四度の勤めも忙しく、都へ出て訴える事も出来ない状況でありました。
                     やっとの思いで尾張国を離れ、都に上り太政官のもとへやってきました。
                     まな板の魚が、逃れ江海に来れたような、また刀で殺されようとしていた鳥が、山に逃げ帰ったようなほっとした想いで
                    います。
                     望み請う事は、この元命朝臣を解任され、良い官吏に改めて任命頂ける事であります。この事で他国の国司も自国の
                    民から賞賛されないといけない事を知る事となり、遥か東国で起こりし、争いより良いと知りましょう。
                     よろしく天皇の綸旨を得られますように、この31箇条を呈示いたします。以上であります。
                      永延2年11月8日                                 郡司百姓等

               3.尾張国解文の現代訳を終えて
                  ・ この解文の執筆者像
                     確かに後書きに 郡司百姓等と記載されていますが、各写本には、記載されていないものもあり、確かな事柄ではない
                    ようです。
                     記述された内容を吟味しますと、尾張国内の郡司百姓のみの事だけでなく、守・介以下の国衙に任用されている官吏等
                    雑色人・運脚夫に至り、果ては国分尼寺の修理にも言及し、尾張国を彼の国とも記述している事から国政に関わる有位・                     
                    博識ある在地外の人ではないかと推測いたします。
                     或いは、尾張国在住の博識のある者が書いた提出文を上記の方が、手を加えて加筆し体裁を整えた物かもしれません。
                     そして、稀に見る名文であるが故に、尾張は勿論解文の例文として中部を中心にして近江・関西の荘園を有する大きな
                    寺社に残ったのでありましょう。

                  ・ 書かれた訴状の内容等
                     それぞれの条に於いて、訴えている内容の当事者が、郡司であったり、田堵百姓であったり、信心深い仏教徒・僧でもあ
                    り、駅子、国衙に任用された守介以下の官吏でもあり、1国のほとんどの層で有る事。こうした多くの事に関わって文章化
                    出来うる力量を持ちえている者は、博識の書生乃至は史生あたりの者か博士なる憂国の人物ではなかろうか。                    
                     全て何らかの事実を踏まえた事ではありましょうが、難解な部分もあり、平安時代の中後半の在地の様子を垣間見る手
                    がかりにはなりましょう。
                     私の住む愛知県に関わっている事柄でもあり、今後腰を落ち着けて取り組んでいくつもりであります。
                                                                 
                                             平成27年11月14日 フランス パリで連続爆弾テロが起こった日に脱稿