米に湧く コクゾウムシについて
1、はじめに
私の生まれ育った家は、江戸時代から農家であります。父、祖父、曽祖父までしか家系図は、追えな
いようですが、私が生まれた太平洋戦争直後には、しっかり農業が主の農家であったとか。
物心がついた頃は、父は、定職について農業は、片手間、祖父が主に農業をしていました。
おじいさんは、完全密閉の大きな米びつ二つにコクゾウムシが湧かないかいつも気にしていました。
それ故、私は、小さい時からコクゾウムシという言葉が、頭にこびり付いていました。農家でしたから、
米のお通い通帳等無く、ほとんど自家米で、生活していたと思います。秋に収穫した米は、裏にある倉
庫を兼ねた1階に、四角い小部屋が、あり、そこに籾のまま保存していました。必要に応じてその籾を
取り出し、村に在る共同籾すり場で、白米にしていました。1年間に1.2度しか行かなかったと記憶して
いますから、数ヶ月分を一度に白米にして、巨大な密閉式米びつに入れ保存し、下から自然落下する方
式で、取り出していました。2基あり、交互に使用しては、無くなると補充していた筈。炊飯は、家の中の
かまどでお釜を使って炊いていました。
おじいさんは、時々籾の状態で保存してある四角い小部屋の中を気にして確認していたように思う。
もし、コクゾウムシが湧いていると早速、家の南の庭先にムシロを全面に敷いて、籾を天日干ししてい
た。滅多にはしない事で、家の者総出でした覚えがあります。
事ほど左様に農家の方からは、嫌われていたコクゾウムシという昆虫でありますが、折角収穫した大
事な米をすっかり食い尽くして仕舞うからです。
おじいさんが亡くなり、父の代になると、しばらくは、二ちゃん農業で行い、その内次第に農業からは、
撤退していきました。
さて、コクゾウムシとは、どのような字を書くのでしょうか、穀象虫であるとか。ゾウムシの一種で、米に
付く専門の象虫であるという。
ゾウムシは、本当に小さい虫で、体長 数ミリで、頭の部分の鼻が、象に似ていることから象虫と呼ば
れるようです。詳しくは、http://d.hatena.ne.jp/ramyana/20090820/1250733805 を参照されたい。
2.コクゾウムシについて
このコクゾウムシ、いつ頃から日本にいるのでしょうか。米に付く虫であるから米つくりが伝わった弥生
時代頃日本にやって来たと思っていましたが、ウイキペデイアフリー百科事典のコクゾウムシというコーナ
ーには、何と縄文時代から存在していたという事が記述されていた。( 最終更新
2013年12月24日 (火)
21:45 )
その例証として 山梨県都留市の中谷遺跡から出土した縄文晩期前半(清水天王山式期)の土器資料
2点から昆虫圧痕が検出されているという。詳しくは、長沢宏昌・保坂康夫・中山誠二・野代幸和「山梨県中
谷遺跡の縄文時代晩期のコクゾウムシSitophilus zeamais」『山梨県考古学協会誌』(第18号、2008年)を
参照されたい。
もう一例は、種子島の事例であるようです。種子島の遺跡で出土した縄文土器から1万5000年前のコク
ゾウムシの圧痕を発見。『朝日新聞』2011年3月29日 参照。
事ほど左様に、歴史を持つコクゾウムシ、生命力の極めて強い昆虫であり、台所に出るゴキブリに匹敵
する強い生命力を持ちえた昆虫でありましょう。
現代では、こうしたコクゾウムシの仲間 象虫をかわいいだの、写真に撮られて写真集を出されている方
もいらっしゃいますが、こうした事ができるのも飽食の時代の人達だからでありましょうか。つい明治生まれ
の祖父が聞いたら、何と謂う罰当たりな事を言う御仁だ。と頭から湯気でも出して怒り出すのではないかと・。
拙稿 所得倍増計画を推し進めた 時の自民党 池田勇人首相の「貧乏人は、麦を食え。」発言の真意と
その時代背景についての覚書 を読んで頂いたら そりゃそうだろうとお思いになるのではないでしょうか。
時代が違うと言ってしまえばそれまでですが・・・。現在 フリーターと言われている方々が、還暦を迎えられ
る頃には、全人口の何%を占める事になるのでありましょうか。その頃には、私のような団塊の世代は、もう
この世にはいないと思っていますが・・・。
どのような社会を迎えていることでしょう。格差が極端にひらいた一握りの裕福世代と多くの極貧の世代に
分かれているのではないでしょうか・・・。
今は、コクゾウムシの一例だけで、上記のように思ってしまいましたが、私も年を取ったのだと思っているか
らではありましょう。
私が幼少期の頃は、ご馳走と言えば、すきやき でした。年に1回あるかないかの時代でありましたし、にぎ
り寿司に至っては、数年に1回、残り物を頂くのが唯一の楽しみではありました。現在では、食べたいと思えば,
いつでも食べれる時代であり、それ故、もっと上を望んでいるのでしょう。際限がない欲望とでも言いましょうか。
団塊世代の後の世代は、どう思って過ごしていくのでありましょうか。