平成25年に式年遷宮が行われる伊勢神宮を参拝して

            1.はじめに
               私が、初めて伊勢神宮 内宮を参拝したのは、まだ父が若かりし頃であり、正月2日であったと記憶
              しています。時の総理大臣も、同じ頃参拝にみえ、下々は、総理の為に参拝道を開けさせられたように
              記憶しています。

               参道は、人、人、人で歩みは、流れに任せるしかありませんでした。本殿と思われる正殿にはなかなか
              到達出来なかった事だけは覚えております。

               平成24(2012)年6月の平日に近鉄伊勢市駅で降り、外宮の参拝をしましたが、平日であり混雑もな
              く、スムーズに参拝ができ、駅から近いので時間もあまりかかりませんでした。今回は、内宮の参拝を計
              画いたし、平成24(2012)年11月3日(土)に出かけました。五十鈴川駅に午前10時8分頃着し、駅ロッ
              カーに手荷物を入れて、五十鈴川駅前より内宮行きの路線バスに乗り込みました。所要時間は、数分で
              ありました。
               土曜日でありましたが、それほど混雑しておらず、正殿と別宮の参拝は、滞りなく済ませられました。
               平成25年からは、新しい正殿での参拝となりますので、私にとっては、最後の現 内宮参拝となりまし
              た。

               既に、新しい正殿は、ほぼ完成しているのでしょうか、周りをシートで囲み、見えないようにしてありまし
              たし、別宮(荒ぶる大御神を祀る宮)も正殿と同様に新しく建てられておりました。どちらも直ぐ横に遷宮さ
              れるようで、その用地も交互に使用されているのでしょう。

            2.伊勢神宮 外宮(豊受大神宮)について
               豊受大神宮は、伊勢神宮の外宮と言われる事が多く、近鉄伊勢市駅の近い所に鎮座されています。
               正殿は、唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)といわれる、建築様式のご正殿は、ほぼ内宮の正宮と規
              模やつくりはかわりませんが、鰹木が内宮より1本少なく、千木が外削(先端が垂直に切られている)になっ
              ているようです。

               雄略(ゆうりゃく)天皇は、夢の中で天照大御神の教えをお受けになられ、豊受大御神を丹波(たんば)の
             国天橋立近くから、内宮にほど近い山田の原に迎えられたという。今からおよそ1500年程前の事であったと
             いう。内宮より481年後の鎮座であったのでしょう。
              豊受大御神は御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、御饌、つまり神々にたてまつる食物を司られていたと言う。
             このことから衣食住、ひろく産業の守護神として崇められているようです。

           3.伊勢神宮 内宮(皇大神宮)について
              伊勢神宮 内宮は、初発からこの地に鎮座されていたのではないようです。
              そうしたきっかけは、垂仁天皇にあったといい、本来、天照大御神は、歴代の天皇の皇居に祀られていまし
             たが、垂仁天皇は、畏れ多い事として、皇女にその御霊を祀らせるようにされたという。

              尾張の、古代の式内社の一つであります坂手神社、所在地は、一宮市佐千原字宮東、祭神は、高水上神
             (たかみのかみのかみ)。当社御由緒石碑には、「垂仁天皇の御世、皇女倭姫命が、天照大神を載奉りて、
             御幸のおり、当地に入られ、字北郷に仮宮を御造営され、宮東に坂手大神を奉斎されたと言い伝えられてい
             る。」と彫られているというように、各地を移動されていたようです。その後、皇女倭姫命もお年を召され、協議
             をされ、現在の地に鎮座されるようになったという。

              故に、祭神は、天照大御神であります。三種の神器の二つが、神殿の奥深くに鎮座ましましていると言う。こ
             うした神器のレプリカは、現 天皇の皇居に置かれているようであり、その起源は古く、源平の合戦で、壇ノ浦
             に沈んだという三種の神器も、レプリカであったという事のようであります。

              この皇大神宮には、多くの地域から献上品が届けられているようです。こうした莫大な献上品は、その後どの
             ようにされているのか疑問でありました。

              ある時、皇大神宮の氏子の方にお会いする機会があり、そっとお聞きしますと、禰宜、神官、巫女等々の神宮
             関係者に分配され、残り物が、氏子へも分配されているという事を聞き、成るほどこうなっていたのかと再認識い
             たしました。

              はなはだ不遜な言い方ですが、坊主と何とかは、三日やったら止められないという言葉が生きていますならば、
             皇大神宮関係者も、同様に、三日やったらやめられないのでしょうか。言い過ぎましたならお許しあれ。

           4.昼食には、近鉄鳥羽駅の南にある連結店舗の「 みさきや 」の貝類が安くてうまい事
              ある時、安くて旨い貝類を食させてくれる店があると、友人に教えられ尋ねてみた。気さくなおばちゃんが、二人
             いる店であった。私は、かき・さざえ・伊勢エビ・ハマグリ・あっぱっぱ・あわびよりも安くて旨い”大あさり(ウチムラ
            サキ
とも言うんですね。) ”2個 500円をもっぱら頂きます。この貝は、鳥羽港の沖合いで採れるようです。
              焼いて頂きますが、新鮮な貝は、甘くて旨い、ほのかに塩の香りがしていました。是非鳥羽へ行かれましたなら、
             ご賞味下さい。決してCM料を頂いてはおりません。