太古のハス(大賀はす)の開花をみて
1.はじめに
何年前だろうか。まだ私が小学生の高学年頃であったか、中学生の頃だったか、学校の教科書
で、この大賀ハスの事を知った記憶が微(かす)かにあります。
それ以来大賀ハスの事をすっかり忘れておりました。2年前、大垣の花火を見に行った折、かんぽ
の宿 岐阜羽島の隣に「大賀ハス」があることを聞いた。
それ以来一度その太古の大賀ハスの開花を見てみたいと思うようになった。開花時期は、6月下旬
〜7月中旬位でしょうか。朝に咲き始め、午前中で閉じてしまうとか。そうした開花を、一つの花が2〜
3度繰り返し、そして結実するとか聞き及んでいます。
幸い、定年を迎え、割と自由に移動できる年になり、チャンスと考え、その開花時期にあわせ、かん
ぽの宿 岐阜羽島の宿泊(2012年7月10日)の予約を取る事ができた。今年は、太古のハスの花が
見えそうだと今からわくわくしております。ハスの花は、2000年前のハスの花と現在の花と比べても、
それほど大差がないとも聞く。少しロマンがないかなとは思います。
岐阜羽島市では、2012年7月5日〜7月22日まで大賀ハスまつりも開催されるとか。土、日は案外
混みそう。私は、平日の火曜日にいたしました。こうした平日移動が出来るのも、定年を過ぎた役得で
はありましょう。
2.大賀ハスとは
今から五十数年前、千葉市内を流れる検見川の泥炭地より、丸太舟等が、深さ数mの所から見つか
ったという。
その翌々年、故大賀博士が、中学生を連れて、発掘調査をされたという。その時、女子中学生が、地下
深かくで偶然ハスの実1個を発見したという。その後、更に2個のハスの実を見つけ、合計ハスの実は3個
みつけられたようであります。
このハスの実を、米国の大学で鑑定して頂くと、何と遥か太古の時代の物であり、2000年前のハスの
実であることが分かったという。ハスは、種子の皮が厚く、腐ることなく、長い眠りについていたようです。
ハスの権威である植物学者故大賀博士は、自ら発芽に取り組まれたという。3個の内2個は、残念ながら
発芽せず最後の1個が、見事に発芽し、世の注目を浴びたという。このような事を学校の教科書(多分国
語の教科書)で、私は、習ったのではないかと思います。
本家本元の大賀ハスは、千葉市内の公園にありましょうが、岐阜羽島市は、その千葉市から譲り受けられ
たようです。何でも当地は、蓮の地下茎であるレンコンの産地という事、また、昭和54年の市制25周年と新幹
線岐阜羽島駅
開設15周年の記念事業として千葉市より株分けされたようで、現在は、栽培面積約5,100uに
なっているとの事であります。
3.大賀ハスの開花に立ち会って
大賀はすの圃場は、簡保の宿 岐阜羽島の東側、道路を隔てた所にありました。南北60m程、東西80m位
の長方形の水田跡地にあり、ショウブの群生している圃場が、はすの東側にできておりました。
10日の夕方5時半頃その圃場に行き、ハス圃場をみました。南北に4本の通路が、作られ南側には、1本の
通路で繋がれ、隅々まで見ることが出来るようになっていました。
翌日の11日、朝5時半頃圃場へ行くと、蕾んでいた大賀はすの花の外側の花弁2〜3枚が大きく開いているだ
けで、後はまだ閉じていました。3時間後の8時半頃には、完全に開花していました。
東端と西側の端しか蕾はなく、合わせて十数本くらいでした。10年前までは、もっとたくさんの開花があったよ
うですが、混み合ってきたのか、地下茎が年を取ったのでありましょうか。最近は、めっきり開花する数が減っ
てきていますと羽島市の若い職員の方でしょうか、偶然圃場前に建てられたテントへ来て見えた方から話を聞く
ことが出来ました。
この圃場に大賀はすの株が来たのは、三十数年前でしょうか。きっと数株程度だったでしょうから、平成24年
現在では、圃場一杯に株が広がり、羽島市の担当の方の努力が偲ばれます。
ただ、ハスの茎の真ん中辺りに、ピンク色の塊が付いている物が所々にあり、何だろうと思っていましたら、若
い羽島市の職員の方でしょうか、ジャンボタニシの卵だと教えて頂きました。ハスにとってはあまりいいものでは
ないという事でした。
平日であった為に観覧者はあまり多くなく、静かな圃場ではありました。通路の柱には、くもの巣がはっており、
歩く通路は、下が丸見えの簡易通路であり、慣れるまでは、弱冠怖かったし、歩くたびにミシミシと音が出ていまし
た。大賀はす祭りの簡易通路であり、祭り後は、取り外されるのでしょう。
大賀はすの地下茎は、食べられるのでしょうか。2000年後の現在、栽培されている蓮は、食用に適するように品
種改良されたのでしょう。花は、あまり変わらないようですが、地下茎は、大賀はすの場合は、原生種であり、食用
には適さないかも知れません。
今度は、地下茎がどのようになっているのか、具体物が見れるのであれば、見てみたいとは思いながら、圃場を
あとにして、帰路につきました。