中世に於ける尾張北部地域
の主要荘園等についての覚書
1.尾張北部地域の主要荘園等の領家と地域
ア.東大寺領山田荘 (752年〜11世紀中ごろ 一時不明 1184年〜1490年)
東大寺領には
延暦4(773)年カ 春日部荘 6町 海部荘 10町 中島荘 155町5反19歩 山田荘 6町 丹羽荘 10町 外
天暦4(950)年 〃 50町 〃 296町3反 〃 36町 〃 180町8反外
があり、*
東大寺領の荘園は、10世紀中頃から11世紀にかけて完成したようであります。200年後には、東大寺領
は、大幅増となっており、これは、原野等を開墾した結果であるのか、寄進により増加したものでありましょう。
尚、山田荘は、一時 八条院領 (11世紀末か12世紀初頭頃〜1184年 )となったようです。
八条院とは、ワ子内親王{あきこないしんのう、保延3年4月8日(1137年4月29日) -
建暦元年6月26日(1211年8月6
日)}は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての皇族。初めて后位を経ずに女院となり、「八条院」と号す。
また、山田荘内には、伊勢神宮領として 末御厨( 現 小牧市大字陶カ・・筆者注 )が存在したという。
春日部荘内には、国衙領である 野口保(石丸保とも言うのでしょう。)が存在していた。
イ.山城国 醍醐寺領 ( 914年〜1468年 )
安食荘 ( 現 名古屋市北区安井町から現 庄内川右岸の松河戸、勝川、味金宛<あじま>一帯 )
ウ.皇后宮職御領 篠木荘 { 天養元(1144)年 美福門院 藤原得子の所領とした。が、それ以前は、皇室領は、
分散しており、天養元年に、分散ヶ所の代わりに、一円所領化したと考えられます。}
篠木荘 ( 野口、大山、大草、下原、関田、城内、名栗、下市場、神領、下大富、足振、久木、神明、出川、
松本、外原、玉野、高蔵寺、白山、庄名、上野、和泉、一色、神尾、明知、西尾、迫間、内津、桜
佐、牛毛、野田村の計 34ヶ村 <張州府志による> )が、範囲でありましょう。
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しかし、篠木荘は、東大寺領の荘園に接していたようであり、国衙領もあって錯綜していたと言えましょう。
篠木荘は、春日部郡( 雄略天皇の皇女の名代部の春日部に由来カ・・筆者注 )の領域とも接していた
所領かと推察いたします。
この後の篠木荘の領家職の変遷は、
美福門院ー>後白河法皇領ー>長講堂領ー>宣陽門院(後白河法皇皇女)領ー>承久の乱後一時
鎌倉幕府に没収ー>宣陽門院に返還ー>後深草天皇領(後嵯峨院が管領)ー>1267年
後深草院領ー>1285年 後深草院妃 東二条院(藤原公子)領であり、主に皇族領として推移して
いたようです。
2.主な小牧・春日井に於ける荘園・国衙領について
( 尾張の歴史 展示解説U 中世 名古屋市博物館 P.14 尾張の荘園・国衙領の分布図より抜粋 )
ア、藤原氏領
小弓荘、村久野荘( 現 木曽川沿い )
イ、東大寺領
上沼御厨、宅美御薗、高屋御厨、前野御厨、末御厨 ( 木曽川沿い、現 犬山、小牧市 )
ウ、皇室領
稲木荘( 現 犬山 )、味岡荘( 現小牧 )、篠木荘(現 小牧、春日井 )、柏井荘(現 春日井)
山田荘(現 小牧、春日井 )、狩津荘(現 名古屋北部 )
エ、国衙領
野口保( 現 小牧市大字野口 )
オ、その他の寺社領
安食荘( 現 春日井、名古屋北部 )、六師荘(現 春日井西 )、青山荘(現 春日井の西 )
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当時の境は、杭、石等で表示されていたかと。しかし、まだまだ開発されていない原野等も多くあり、厳密な境
は、無く、隣接荘園等では、こうした原野が、開墾され、利用されるようになると境論争の火種となっていったよ
うであります。