天道宮神明社を尋ねて

              1.はじめに
                 平成24(2012)年6月10日(日)昼前、小牧と犬山の境近く旧国道41号線沿に
                ある くるくる寿司の店へ出かけた。日曜日であり、11時半過ぎではありましたが、早
                店は満員御礼の一歩手前でありました。そこで昼食を頂き、まだ時間的に家に帰るの
                も早い感じがしましたので、かみさんの運転ではありますが、入鹿池の為に、池の底
                に沈んでしまった旧 入鹿村に創建されていた白雲寺天道宮が移築されたという旧 
                前原新田(現 犬山市前原)へ車を走らせた。

                 この神社は、よく犬山市のさらさくらの湯へ来た時、たまに家へ大回りで帰る時に通る
                県道沿いにあったのでありますが、意識していない頃であり、見過ごしていたようです。

                 場所的には、長者町住宅を小牧市側からくると、現 国道41号線に向かって走り、国
                道近くになると、長者町からの太い道路は、道なり左へカーブし、前原の信号機へ出る。
                その信号機を右折して、100m位進むと、道沿いに天道宮神明社の石柱が少し奥まった
                所に建っていました。こんな所にあったのかと、つくづく思ってしまいました。虫鹿神社は、
                参拝せず、帰宅いたしました。いつかまたの機会に訪ねようと思っての事であります。

              2.天道宮神明社を尋ねて
                 天道宮神明社の参拝道の左側に前原老人の家があり、その駐車スペースに車を止めさ
                せて頂き、直ぐに参拝道へ出られるようでしたが、またもとの道を通り、天道宮神明社正面
                から参拝させて頂いた。

                 入って直ぐのところに立派な楼門があり、立て札の解説を読むと、桃山期の遺構を感ずる
                と記述されており、屋根も銅版葺きでされ、それなりに古さを感じましたが、意外と再建は、新
                しく門の両側には、彩色鮮やかな武者の坐像が二体安置されておりました。

                 その楼門をくぐり、150m位コンクリート製の参道先には正面に瓦屋根の本殿がみえてい
                ました。両側は、かなり年数の経った木々が林立し、森をつくっていました。参道左側中間辺
                りに、解説文が書かれた立て札があり、少し曲がっておりました。が、その文を読むと、この辺
                りに天道宮を補佐する白雲寺があったというような記述であり、古井戸と、屋敷跡がありますと
                も書かれておりました。探しましたが、井戸も無く、只、丸い石垣で囲まれた土地の上に小さな
                祠が鎮座ましましているだけ、丁度お若いご夫婦と子どもさん連れの方が、参道を横切ろうと
                されていましたので、お近くの方ですかと声を掛けると、気さくに対応してくださり、ご本人さん等
                は、あまりご存知ないようで、物知りの小川さんならと直ぐ近くの畠にみえますからと案内して頂
                きましたが、あいにく食事の為に家に帰られたようで、残念でした。お礼を言いつつ別れ、我が家
                に帰着いたしました。

                 天道宮神明社の本殿は、江戸時代の再建でありましょう。しかし、本殿裏の部分へ回ってみる
                と、伊勢神宮と同様の千木が屋根の上に載っており、皇室との関係を充分伺わせる造りではあ
                りました。それもその筈、この入鹿村は、古代 入鹿屯倉(皇室直轄領)のあった所でありましょ
                うから。入鹿という地名は、古からあった呼び名であり、皇室とも深い繋がりがあったればこそこ
                うした造作の神殿が創建されたのでありましょう。

                 白雲寺は、神宮寺(天道宮を補佐、世話するお寺さんの事をこのように呼ぶ。)でありましたが、
                明治の廃仏毀釈で、取り壊され、天道宮とこの地にあった神明社が合わさり現在の天道宮神明
                社となったようであります。以前の楼門のあった所が、平成10年に県道になった為、現在の場所
                に移築されたと解説されていました。きっと、参道は、以前はもう少し長かったのではないでしょう
                か。