神のみぞ知るセカイ 1〜12話

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FLAG 1.0「世界はアイで動いてる」

サブキャラクターデザインと今回の作監が川村敏江氏じゃないか!!

 そんな今回のお話は…
 舞島学園高校2年B組桂木桂馬はギャルゲ攻略の天才“落とし神”の異名を持つ少年。
  突然空から降ってきた悪魔・エルシィによって、地獄の契約を結ばされた桂馬は、 人間の心のスキマに巣くう“駆け魂”を捕まえるため、現実の女を恋に落とすことに!
  駆け魂が逃げ込んだクラスメイト・陸上部の高原歩美……、果たして桂馬は彼女を 攻略することができるのか!?
 以上公式のあらすじ。

 と、OP見てびっくらこいたとみーさんですこんばんわ。
 珍しく原作既読、というか、好きで読んでいるマンガのアニメ化という事で見なければならない。
 しかし好きで読んでいるからとは言え、内容を知っているわけで。それが問題なのよね。
 つまり内容を知っているが故に、他のアニメの感想でいつもやっているように、お話を楽しみにする事が出来ないのだ。
 「どうなるのかなぁ」とか「どうするのかなぁ」とか、今後の展開にワクワクする事がないのは結構痛い。
 しかし、原作つきのアニメは原作読んでいる人が多数見ているはずなので、そこをどうするかが腕の見せ所である。

 さて、一発目という事で、お話としても主人公桂馬のギャルゲ理論もまだおとなしく、見ていて結構ダイジェストっぽい感じであったが、原作読み返してみると意外と流れに忠実であった。
 しかし何か物足りなく、これは一体なぜなんだろうかと原作第1巻を読みながら思っていたのだが、このアニメには原作の桂馬らしさが足りないのだ。
 正直に言うと、ここを入れて欲しかったという部分が軒並みはいっていない。それが何か足りないような感じになったのだろう。
 桂木桂馬という人物は、ただギャルゲの天才というだけではなく、授業中もゲームをしている彼は、文句を言われないようにテストではいつも100点なのだ。まぁつまり、彼はものすごく頭の切れるヤツなのだけど、それがこのアニメで見てこない。
 それとどこを見せるかというポイントがあっさりし過ぎている。
 マンガというメディアが物語を伝えるのに優れているのは、割とどうでも良い事は小さいコマで、どうしても伝えたい事は大きなコマを使い、視覚的にアピール出来るという事がひとつある。
 今回のお話で桂馬という部分を見ると、これからずっと使われる台詞「現実(リアル)なんてクソゲーだ!」「見えたぞ。エンディングが!!」は、桂馬と物語を表す重要な台詞でもあるのでもっともっとアピールしていいのではなかろうか。
 そんな割と抑揚のないところもダイジェスト感を感じた一因なのかもしれないな。

 とはいえ、お話としては上記したように結構忠実に作ってはあり、それでありながら原作を丸っと全部やってしまうと間違いなく尺が足りなくなるところを上手く一本分に落とし込んである。
 先ほどダイジェスト云々と言ったが、ギャルゲの落としが身と言われる桂木桂馬という人物、地獄から来た悪魔エルシィ、クラスメイト歩美の心の隙間に取り付いた駆け魂を出す、という今回見せなければならない所はしっかりと入っていて、この「神のみぞ知るセカイ」がどういう物語か説明するに十分な内容になっていて、本来ならばダイジェストとは言えない良く出来た脚本だ。
 それだけにもうちょと上手く演出して欲しくはあって、この「神のみぞ知るセカイ」は現実(リアル)をもろともしない「強い」オタクである桂木桂馬が、(オタクな)読者の心を掴んでいると思っている私としては、現実を屁とも思わない彼のオタクとしての強さとカッコよさをもっとアピールしても良かったように思う。  なんか文句ばっかりになってしまったが、私は今連載中の長編のお話より、この最初の方のひとりのターゲットと桂馬がどうなってどう落とすか、という話の方が好きだったので、本当の所はこのアニメをすごく楽しみにしているのである。
 
 どーでもいー話かもしれませんが、冒頭の川村敏江さんのことですが、彼女は私が大好きな「プリキュアシリーズ」の作監をされており、「Yes! プリキュア5」のキャラクターデザインもされた方です。
 川村さんの描く女の子はすごい美人なんですよねー。どおりでエルシィが随分と美人さんなわけだ(笑)。
 ああ、エルシィと言えば、彼女が空中を浮遊している時、「ピュルル」とSEが鳴るのは「うる星やつら」ラムちゃん以来のような気がして逆に新鮮でした。
 それはシリーズ構成の倉田英之氏の趣味だったりしてな。

FLAG. 2.0「あくまでも妹です」 FLAG. 2.5「ベイビー・ユー・アー・ア・リッチ・ガール」

内容知っていると今ひとつ「こない」なぁ。

 そんな今回のお話は…
 見事 歩美を攻略し駆け魂を捕まえた桂馬とエルシィ。──だが地獄の契約はこれで終わった訳ではなかった…!!
 桂馬の妹を名乗り同じクラスに転校してきたエルシィは、そればかりか桂馬の家に同居すると宣言!
 すべては未 だこの街に潜む駆け魂を捕まえる為……。次なる駆け魂は誰の中に?そしてエルシィは桂馬の“妹”になれるのか??
 以上公式のあらすじ。

 お話は原作第1巻のFLAG. 2と3で、エルシィが桂馬の家に妹として住む事になるまで話と、次の攻略対象「青山美緒」の攻略序盤まで。
 今回はエルシィの愛らしさと桂馬のギャルゲ理論、という所を見せた良い所としてみせており、話としても原作の2話分を上手くアニメ一本分としてまとめていて、良くあるダイジェストのようにはなっていないのは見事。
 しかし、原作既読の私から見ると、このアニメは見事なまでに原作に忠実で新鮮味がないからか、いまひとつ何かが「こない」な。もうちょっとアニメならではというものがあっても良いだろうと思う。
 とはいえ、原作をパラパラ見ながら見ていた所、上記したようになかなか上手く端折ってあってダイジェストになっていないのは素晴らしく、2話分の話が一本の話のようになっているのは上手いし、見せ場のひとつである桂馬のギャルゲ理論も大袈裟に演出していて、初めてこの物語に触れる人はおもしろかったんじゃないだろうか。
 
 個人的な事を言うと、桂馬がちょっとおとなしく見えるのが気になる、というか、あんまり重度のゲームオタクに見えないんだよな。
 原作ではエルシィとのゲーム店でのシーンで、桂馬が同じゲームの限定版と通常版の両方を複数タイトル買っていくという一コマがあるのだが、このアニメは何故か桂馬のそういった「普通ならしない」重度のオタク行為を見事に端折っている。
 私はこういうのが桂木桂馬という人物とその特異性を表していておもしろいと思っていて、現実(リアル」と一線を引き、通常の常識をもろともしない彼の強さと、客観的に見るその行為の可笑しさというおもしろさがあって好きなのだがなぁ。
 さらに言えば、これこそとっても個人的な事なのだけど、どうも主役のふたりの声がイメージと違うと言うのもあるし、特にはエルシィはすごい「ぶりっこ」しているように見えるのが気に喰わない。
 彼女は、たまにあまりにゲーム脳な桂馬にさりげなく常識的見解で突っ込んだり、かと思えば抜けているという「天然」であるのだが、そういう感じが全く無いな。妙に可愛く見せようとしている節が見えるのは私の気のせいだろうか。
 ついでにもうひとつ言ってしまうと、駆け魂サインの音(?)。
 あの「ドロドロ〜」がそのままはっきりと声になっているのがどうもスッキリしないなぁ。
 私はアレをドラムロールとか、よくある一般的な「お化け」が出るときのSEのようなモノと思っていたのだが、声でドロドロと言われるとなんかガクッと来る。

 しかしなんだな、予想はしていたけれど、原作知っていると感想が「重箱の角」になってしまっていかんなぁ。
 お話を知らなければもっと書くことがあるような気がするのだが……。


3.0「ドライヴ・マイ・カー」 FLAG. 3.5「パーティーはそのままに」

早見再生だとちょうどいいな。

 そんな今回のお話は…  次の攻略対象は、舞島学園の金持ちで知られる大財閥のご令嬢、青山美生。
 下校する美生をつけた桂馬とエルシィは、美生が実はボロアパートに住んでいる事実を知ってしまう。
  美生の秘密を知った桂馬はなんと彼女の運転手に立候補!「庶民」と罵られながらも、美生の世話を焼く毎日。
 そんなある日美生のもとにセレブなダンスパーティーの招待状が届き……
 以上公式のあらすじ。

 お話は青山美生を攻略するまでで、基本的に原作に忠実だ。
 それ故に原作既読の私としてはお話に面白味というものは感じられなく割と見ていて退屈である。どこでどうなるか知っているからなー。やはり知っている話の感想を書くのはつらい。
 それはともかくとして、話を知っているからなのか、どうも一本の話という中で抑揚が足りない気がする。
 Bパートからの金持ちのパーティーでの攻略が当然メインではあるのだが、ここは今ひとつ攻略対象を落とすための説得力に欠けるんだよなー。それは原作もそうなのだけど、どうも美生が折れたように見えないし、桂馬の言葉が美生の金持ちのフリをすることで死んだ父を忘れないようにするという事をひっくり返したように聞こえないのが難点だ。
 それというのも、そのシーンではどちらも必死な様子に見えなくて淡々と進んでしまった印象があって、本当ならば美生は死んでしまった父よりも、生きている桂馬の存在が彼女の中で大きくなって、父の事を忘れたくないという気持ちと、いつの間にか大きくなった桂馬への気持ちがせめぎあって、大事な父との事を守りたい彼女が家族との愛と、桂馬への恋心の間で激しく揺れて心の中で戦っているはずなのだが、そういった所がこのアニメで見えてこなくて、最終的に桂馬という現実を受け入れる事に意味があると思うのだが、それも流れとしてそうなっているからとというふうにしか見えなかった。
 その肝心のシーンとそれまでが殆ど同じテンションであったので、きっとそういう印象を受けたのだと思うのだが、だからこそそこで一番盛り上がる抑揚が欲しいところだ。

 もひとつ気になる所として、どうもこのアニメはテンポが悪くて、なんかちょっと間延びしているような、のったりとした雰囲気があって、冒頭に書いたように早見再生してみて見ると結構いい感じであった。
 その辺もやっぱりメリハリが大事で、ちょっと間があっても良い所もあればサクサクと進んでいい所もあるわけで、それも全体的に流れる抑揚の無さに拍車をかけているのではなかろうか。
 ついでに言ってしまうと主役ふたりも気に入らなくて、桂馬はどうもおとなしい感じがするし、エルシィは変に媚びた感じが気に喰わねぇ。
 まぁ原作でもこの辺りは読み返してみると割と今ひとつで、このアニメとしても、これからをちょっと期待した方が良いのかもしれないな。

 しかし話知っていると思う所が少なくて書く事ねーなー。


FLAG 4.0「今そこにある聖戦」

上手くアレンジしたな。

 そんな今回のお話は…
 駆け魂狩りは一休み!心置きなくギャルゲに勤しむ桂馬だが、よもや“落とし神”にも攻略できないゲームが…!?
 バグだらけで誰一人としてエンディングを見たことのない“近年最大の話題作”『くれよん』攻略のため、エルシィに手伝いを頼む(脅迫する)桂馬。
 ヒロイン飛鳥空を「救う」と必死な桂馬に、エルシィは……。
 以上公式のあらすじ。

 本来は桂馬が落とし神モードの果てに疲れ果てて……というインターミッション的なお話で、バグだらけのゲームを攻略するというお話は、原作ではもうちょっと先のお話である。  個人的にはその原作のバカっぽい話(褒め言葉)がおもしろくて好きだったんだけど、何故これをここへもってきたかを考えると、このアニメでやったことをやりたかったのだろう。
 というのも、このバグだらけのギャルゲの攻略のお話は、こちらも原作はインターミッション的なお話で、ただ桂馬が難儀なギャルゲをやるというだけのお話なんだけど、このアニメの方は劇中のゲームのヒロインも、ヒロインのひとりととして扱っているということだ。
 バグだらけのゲームで、ヒロイン飛鳥空の絵を見れやれるのは落とし神である自分だけだと、無限ループという迷宮に捕われた空を「救う」という、現実をクソゲーと言い切る桂馬が、ゲームのヒロインを救おうと必死になる様を通し、だからこそ駆け魂を捉えることが出来ていることを示している。
 ゲームの世界をリアルとミックスして空をひとりのヒロインとして描き、こんな桂馬だからこそ云々をより印象付けている点で良く出来ていると思うし、劇中の台詞「悪いヒロインはいない!悪いゲームがあるだけだ!」から分かるように、桂馬がゲームのヒロインを本気で愛していることがよく分かる要になっているのもいい。
 
 のだが、やっぱりテンポが悪いと言うか、今ひとつ面白味に欠けると思うのは原作を読んでいるからなのだろうか。オチを知っているとどうも乗り切れないなぁ。
 上記したように、結構良いアレンジしたにも関わらず、そんな印象を持ってしまったのでありました。どうせインターミッション的なお話であるならば、もっとバカやっても良いような気がするし、オリジナルのお話をやってしまっても良かったのではなかろうか。
 個人的にはもうちょっと捻りがあって欲しかった所だ。

 それでちょっと気になっているのだけど、このアニメを見ていて思うのだが、この桂馬はどうもゲームの世界で彼が「神」と呼ばれるほどの人物のように見えないんだよな。印象としてはすごくギャルゲが好きな人くらいだ。
 本来の流れとしては、先に述べた通り桂馬が引きこもってたまったゲームをやる話なのだが、それこそが彼が「落とし神」と呼ばれる所以であり、その尋常ならざる姿や「落とし神モード」があるからこそ、ヒロイン攻略時のギャルゲ理論が力を持つのだ。
 そこまで突き抜けた桂馬だから、現実をもろともしない強さがあるし、ギャルゲ理論でヒロインを落として駆け魂狩りが出来ている。
 そういう大前提が見えないのでひとつひとつが弱く感じるんだよなぁ。このアニメの桂馬にはもっとがんばって欲しい。
 エルシィもエルシィで青ブリっ娘っぷりがすごく気に入らない。もっと居ても居なくてもいいような雰囲気を持ちつつ居なかったら居ないで変、というとっても微妙な立ち位置になってほしい。妙に悪目立ちするんだよな、アニメのコイツは。もう少しさりげなくても良いような気がするんですが。

 すごくどーでもいーけど、ゲームのヒロインの話なら「よっきゅん」出せば良いのになぁと思ったよ。そっちの方がインパクトあるだろうに。


FLAG 5.0 「IDOL BOMB!!」

何かが違う。

 そんな今回のお話は…
 今巷で一番人気の正統派アイドル中川かのん(実は舞島学園在籍!)が2ヶ月ぶりに登校してくることになって学園は大騒ぎ!! 
 学園の穴場・南校舎の屋上でゲームをしていた桂馬は、偶然そこへやってきたかのんと出会う。
 今や国民的アイドルとなった自分のことを知らないという桂馬に、かのんは大パニック!彼女がそこまで他人の目を気にするのは一体どうして??
 以上公式のあらすじ。

 始まってからずっと思っているんだが、このアニメのキャラのイメージは私のそれとはことごとく違う。
 そんなこともあってなかなか乗り切れないのだが、今回からのヒロイン「中川かのん」も同じで、彼女は地味で目立たなかった昔の自分と今のアイドルの自分という所がポイントなのであって、普段の彼女はもう少し地味かと思っていたのだがそんなことも無く、普通に普通の女の子であったのがどうも気にいらねぇ。地味じゃないんなら昔の自分に云々は無くてもいいからな。
 などと思っていたら、どうもこのアニメは使われているような気がする。何故って?それは公式HPで「中川かのん」のイベント云々の告知があったのだ。  今回も妙に彼女のキャラソンを多く流しやがるななどと思っていたら、中の人「東山奈央」はそうも新人さんらしく、まぁ要するに売り出したいのであろう。それにこのアニメがウマいこと使われているような気になるのはオレだけなのだろうか。
 そんなことを感じてしまったので、ただでさえ原作既読な上にキャラのイーメージが違って乗り切れないというのに、こんな仕掛けまでされてオレにこれ以上どうしろというのだ。
 今回からの「かのん攻略」の話は個人的に結構好きなお話なので期待していたのになぁ。なんか今回はかのんが歌って躍っていただけの印象しかないよ。だと言うのにこれ以上どう感想を書けばいいというのだ。

 せめて何かしら見所があればなぁ。しかし、「中川かのん」というキャラはそんな人気のキャラなんですかね?そんな気が全くせんのですが。
 わたしがこの「かのん編」が好きなのは、オチの桂馬の台詞が効いているからってだけなんだけどな。キャラ的には次のエピソード汐宮栞の方が好きなんだけど。


FLAG 6.0「ワタシ平凡?」

ちょっと変えてきましたな。

 そんな今回のお話は…
 ……必ず、私のファンになってもらうから!と、桂馬のため、屋上で歌うかのん。
  彼女の悩みを探るためあえて冷たい態度をとる桂馬だが、それに傷付いたかのんはショックで体が透明に!どうやら駆け魂が影響しているらしい…が、かのんの情報を調べていたエルシィは、彼女のある過去にたどり着く。
 そんな中、かのんの夢・鳴沢臨海ホールでのコンサート開催が刻一刻と迫る。
 以上公式のあらすじ。

 お話はほぼ原作通りだが、これまでと違って原作をなぞる物ではなく、アニメらしい肉付けがしてあって普通に見れた。
 元々原作のこの辺りの話は結構サクサクと進んでしまっていて、それをそのままやると尺が保たないという事もあるが、この「かのん編」としては、もうちょっと彼女の中に突っ込んできた印象だ。
 かのんが透明になるのは自信の無さからくる存在感の薄さであるのだが、このアニメの方はそれプラス、彼女が以前参加していたユニット「シトロン」にも触れてきた。
 シトロンは確か原作ではオマケ四コマに出てくるだけであったが、それをどうも上手く使おうという魂胆のようだ。今回はシトロンで何か展開する事はなかったが、次回あたり何かのフラグにでもなるのかもしれないな。
 お話的な所では、前回は「アイドル中川かのん」を見せていたのだが、今回はそれを通しての「中川かのん」を見せているのだが、これは中川かのんであってそうではなく、厳密に言うならば「駆け魂に取り憑かれた中川かのん」である。
 何かあるたびに桂馬にメールして呼び出してくるかのんは、パッと見ヤンデレのようで(それはそれでおもしろいような気がするが/笑)、果ては寝癖が直らないで呼び出してくる彼女は、心の隙間に駆け魂が救っている事を表しているんだろう。
 そうした中で、かのんがふとした事で存在感がなく誰にも気付かれなかった以前の自分や、売れずに無くなってしまったシトロンというグループを思い出し、やっと自分という存在を知ってもらえたというのにまた忘れられてしまう、という恐怖に苛まれている様子を結構細かく描いていて、かのんという人物が原作よりも深く掘り下げられているのは見ていて興味深かった。
 またそんな彼女を見せる中で、街中の至る所に彼女のポスターが放り出され、宣伝カーが走り、街頭テレビでPVも流れているというのに、なんで彼女はそんなに自分に自信がないのかを桂馬が冷静に原因を探っている様子も見せている。
 それはかのんという人物の事とこの物語のポイントでもある「駆け魂狩り」を上手に配分しミックスしていて、まぁそれは当たり前と言えば当たり前で、ギャルゲオタクがギャルゲ理論で女の子を落とすという話の理由付けなんだけども、この辺りの最初の話はその駆け魂狩りは結果として付いてくるだけでクローズアップされておらず、どちらかというとオタクの桂馬がギャルゲ理論でどう女の子を落とすのかが見所になっているなかで、そういう桂馬の分析がちょいちょい見られて物語の本分をちゃんとしている。

 以下個人的なお話なのだけど、それはこのアニメに限らずなんだけど、桂馬はもっとクールでもいいと思うんだよな。
 というのは、これまで攻略中の女の子に赤面したりするシーンがあるのだけど、どうも桂馬らしくないような気がするんだけど、でもホントはそれが無いといけなかったりするんで困る。
 私のイメージとしては、「現実(リアル)なんでクソゲーだ!」と断言する彼は、他の現実世界の出来事に動じていないのだから、現実の女の子如きに……とも思うんだけど、この物語としては、そんなゲームの二次元キャラを愛している彼がリアルの女の子にドキッとさせられる、現実にそこにいる女の子を意識する、するようになる、という所がポイントだったりするわけで、現実の何事にもどうしない彼が、攻略を通して生きている女の子を思い変わっていく様を見せていきたいのかなぁとおもっているんだけど、どうなんですかね?

 しかし……今回の感想は全然まとまらなかったな。でも気にせず終わる(笑)。


FLAG 7.0「「Shining Star」

上手く肉付けしてある。

 そんな今回のお話は…
 桂馬のフォローもあり、元気を取り戻したかに見えたかのんだが、コンサート開演直前に姿を消してしまった!!
 慌てふためくスタッフ・必死にかのんを探す桂馬たちだが、もはやホールはかのんの失踪など何も知らないファンの熱気でいっぱい。
 その頃、会場のはずれで不安に押しつぶされそうになりながら一人佇む半透明なかのん。コンサートはどうなっちゃう…?
 桂馬、間に合うか!?
 以上公式のあらすじ。

v  お話のは原作通りで今回でかのんの攻略終了であるが、流れとしては良く出来てあり感心。
 原作はどちらかと言えば、主役の桂馬の方を追っており、かのんにある細かい背景がよく見えないのだが、このアニメの「かのん編」はそこの所良く出来ていて、大きなコンサートを前に透明になってしまうかのんを、彼女の心の隙間と共に良く見せているし、今回の流れを簡単に言ってしまえば、「かのん透明になる、かのんを探す、攻略する」だけなのだが、それをきっちり一本という枠にあうように肉付けしてあり、割とさらりと進んでしまう原作よりも流れは良く出来ていると言っていいだろう。
 どうして大舞台を前にかのんが消えたのかという細かい彼女の心情であったり、消えたかのんを探すスタッフ、待ちわびる観客、このイベントを逃すまいとする桂馬たち、そして攻略後戻ってきたかのんのステージは、原作になかった部分を補足しこの「かのん編」という話を肉付けして盛り上げている。まぁ原作の方はこの辺は連載初期であり、ページの都合もあったろうが。
 全体的にこのかのん編、連載初期の話でサクサクと進んでしまう話を上手くボリュームアップしており、これまでの原作をなぞるようなお話ではなくて、中川かのん役:東山奈央を売り出す仕掛けであった事を差し引いても、正直良く出来ていたと思っていて、桂馬を中心に女の子をどう落とすかという話の中で、攻略対象の女の子の気持ちや背景をちゃんと描いており、彼女が桂馬に惚れて彼によって悩みを解決し最終目的である「キスする」という所へ無理なく収めている。
 これまでのお話の流れは、改めて見ると結構強引にキスまでこぎ着けていた感があったから、そういう意味でも良かったが、まぁこれが出来るなら最初からやってくれればいいのにとも思った(笑)。

 と、ここまで褒めてきたが、気になる点はいくつかあって、まずは前回エルシィが仲良くなったかのんの親衛隊(?)が特に役に立たなかった事だ。
 せっかく原作になかったそのちっさなイベントを作ったのだから、攻略に何かしらフラグでも立てるのかと思っていたのだが、何にもないのなら出す必要はなかったような気がしますな。
 次にかのんのステージだが、前回見事に動いていたので今回もちょっと期待していたのだが、ものすごくなんて事無かったのは、アニメは動いてなんぼだと思っている私としてみると残念しきりだ。その辺は前回の総作画監督・川村敏江さんはやっぱりすごかったということなんだろうかね。
 それと公演後、ステージで一人佇むかのんのラストシーン。アレは蛇足っぽいのだがどうか。ステージ中にフェイドアウトでそのまま終わった方が綺麗だったと思うけどなー。
 最後は桂馬の締めの台詞「かのんはもう『アイドル』ではない。彼女は自ら輝く『スター』になったんだ」は個人的にすごく気の利いた台詞だと思うんだけど、ちょっとこのアニメではさらりと流しすぎなような気がします。
 作られた偶像ではなく、自らの力で光り輝く綺羅星になったのだという事は、おそらくは一番言いたかった事だと思うので、もっと印象的なシーンしてもいいのではなかろうか。

 ともあれ、前述したようにこの「かのん編」なかなか良く出来ていた。どうせならこの調子で最後までいって欲しい。


FLAG 8.0「Coupling with with with with」

どうせならオリジナルのお話にすれば良いのに。

 そんな今回のお話は…
 神にーさまのため自慢の料理を振舞うエルシィ、だけど桂馬にはいつも不評。今回も奇妙な“自走”する弁当を作り、こっぴどく怒られるはめに…。
 盛大にヘコんだエルシィだが、ちひろのアドバイスでリベンジを決意!
 いちごのショートケーキを作るため、彼女が取り出したのは、地獄の砂糖に色とりどりの卵。その中には……。
 原作・若木民喜先生の脚本によるエピソード!!
 以上公式のあらすじ。

 お話は原作にもあるインターミッション的な話にふたつの別視点を加えアレンジした格好になっております。
 原作としては同じ話をエルシィ視点、桂馬視点で描いているのだが、このアニメの方はそれに桂馬の母親と学校のイヤミな先生の視点を加えてあるが、話は大体一緒である。
 あらすじにあるように「若木民喜先生の脚本によるエピソード」ということで、原作のページの都合で出来なかった事をこのアニメでやった、という事なんだろう。まぁ真意は知りようもないが。

 お話としましてはエルシィが桂馬のためにイチゴのショートケーキを作ろうとするのだが、人間世界の知識が乏しい彼女は……というのがメインで、そこから各キャラの視点で同じ事柄を描く。
 エルシィを可愛いヤツと思っている人にはおもしろい話なのかもしれないが、私としてはなんとも思っていないのでどーでもいーし、正直書く事ねぇよ。
 そんなお話ではありますが、私はこの話で好きな所がひとつあるんですよ。
 それはイヤミな先生の「お前のようなヤツがゲームと現実の区別がつかなくなって犯罪者になるんだ」との言葉に対する桂馬の台詞で、「ゲームと現実(リアル)を、一緒にするんじゃない!!」からの台詞が見事な「返し」なのだ。
 全文は「ゲームはゲーム。現実(リアル)は現実(リアル)さ。なんでもゲームと結びつける人の方が区別できていないんだ」であるが、あぁその通りだなぁと思わざるを得ない。
 現実に何か凶悪な事件を起こした犯人が、何かのゲームを好きだったりすると、さもそれが事件の起因であるかのような報道をされ、上記イヤミな先生の台詞のような結論を出す事がある。
 それはマスコミが視聴率という数字のために人々の興味を引くよう脚色したものであろうし(そもそもゲームが人の精神に悪影響を及ぼすという研究結果はなかったはず)、それを見て鵜呑みにした連中がいるのを腹立たしく見ていた身としては、そんな連中に桂馬の台詞を聞かせてやりたいし、もし私の日常でそんな話が出たらこの台詞を言ってひっくり返してやろうと思ったのでした。

 そういえば、もひとつ思った事がある。それは「桂馬の母ちゃんは美人だよなー」だったりする(笑)。
 TVを見ていて美人女優さんの子供や家族の話なんか出ると、その子供は母親に対しどう思うのだろうかというのが気になるのだ。他人から見て明らかに美人の母親は実施に取ってどうかということだ。
 総じてアニメでは母親も美人さんであったりするわけで、アニメに限らず美人さんの水着姿なんぞ見れたら眼福々々などと思うのだが、実際自分の母親の水着姿なんぞは見たくもないのは皆一緒だろう。それで思ったのだが美人女優さんを母親にもつ者も同じなんだろうかねぇ。
 まぁ母親は母親なんで一緒なんだろうとは思うのだけど、とりあえず「家のかぁちゃんは他と比べてキレイだな」くらいの優越感はあるだろうな。ま、それとそういうのは違うんでしょうが。

 と、なんか全然関係無い話を書いてますが、まぁ要するに書く事ないのでお茶にごしてみた。というわけです。
 ホント、この物語においてエルシィってどーでもいいよなぁ(笑)。ワザとやっているんだろうけど。


FLAG 9.0「大きな壁の中と外」

なんかノッタリしているな。

 そんな今回のお話は…
 ケーキを作れば大爆発!人間界の知識もてんでダメなエルシィに辟易した桂馬は、一般常識を勉強させようとエルシィを図書館へ。
 膨大な蔵書数を誇る舞島学園の図書館、カッコイイ図鑑を見つけてはしゃぐエルシィだが、受付で図書委員の少女・汐宮栞に駆け魂の気配を発見!
 とっても大人しくて無口な栞。仲良くなるどころか、おしゃべりするのも一苦労で……。
 以上公式のあらすじ。

 お話としては、攻略対象である汐宮栞の人となりを見せる話だ。で、そんだけだったりするからこんな事をしている身としては困る。
 まぁ、彼女の台詞よりモノローグの方が多かったり、ワザと間を取って頭の中でたくさん喋っている栞に対し、物言わぬ彼女の周りの時間は進んでいるという表現をしているのは分かるのだが、どうも間が悪く、正直早見再生してみてちょうど良いくらいであった。
 この辺りの話は、サクサク進んでいくとさっくり終わっちゃうので、なんとか3話分かかるようにしているんだろう。
 にしてもだ。エルシィが本を探す件を数分に渡って見せる必要もないような気がしますな。見ていて「このシーンいるか?」と思ってしまったよ。どうもこのアニメはエルシィを推すよなぁ。どうせなら攻略対象を推せよ。エルシィなんて特に役に立つわけでもないのにずっと出ているんだから。
 とまぁそんなわけで、汐宮栞は頭の中でいろいろと考え過ぎて逆に物を言わない本大好きな文系少女であり、彼女が攻略対象だという事が分かれば良いだけなので、特の思う所もなく書く事がねぇなぁ。
 などと思って原作をペラペラとめくってみると、この栞編は全4話で構成されていて、今回のお話は2話目の最初の方までやっている。
 公式あらすじを見ると栞編はどうやらFLAG.11で終わりそうだが、となるとFLAG.10は原作1.5〜2本分やる事になるなぁ。
 であるならば、今回はなんかどーでもいーエルシィの本探しや、劇中CMなどを削って話を進めれば良いのではなかろうか。

 あんまり書く事がないのでちょっと栞の事でも書いてみますが、原作のここまでのお話の中で私はこの栞が結構お気に入りなんだけど、このアニメがこれまでことごとく私のキャラのイメージとは全く違う感じで作ってきたのと同様、この栞も私のイメージとはかなりかけ離れていたりする。個人的にはもっと静かでもっとおとなしい感じなんだけどな。
 しかし、マリみてのキャスティングなんかは、ビックリするくらいイメージ通りだったのに対し、こういう具合のもあるわけで、そういうイメージの具現化っていうのは随分難しい物なのだなぁと思いました。
 だって未だにエルシィや桂馬に違和感を感じているんだから、やっぱりそういう事なんだろうと思うが、それを踏まえ、見事に最大公約数を導き出す作品もあるわけで、キャスティングひとつとっても作り手側の腕がいるという事なんでしょうかね。
 まぁ、原作者の意向ってのもあるのかもしれませんが。


FLAG 10.0「あたしの中の……」

相変わらずノッタリしてるなぁ。

 そんな今回のお話は…
 本なんか現代じゃもう必要ない、なんて桂馬の発言で、大人しい栞がついに怒った!?
 そのおかげでやっと栞の気持ちを聞けた桂馬だけど、今度はなんだか図書館が騒がしくて…?
 今まで栞を現実から守ってくれていた“紙の砦”にある変化が起ころうとしていた。
 以上公式のあらすじ。

 お話としては……なんだろうね今回は。攻略中?
 そんなわけで今回もノッタリ攻略中であったわけで、個人的にはもうちょっとサクサク行っても良いような気がします。
 内容は物言わぬ栞の大量のモノローグから、彼女がどう思っているかということと、そんな彼女と桂馬の接近を描いている。だけなので、どうも間延びしている印象があるな。
 次回を入れて全3回の栞編だが、正直な所、その間延びしている部分を削れば前回と今回で終わらせれるような気がします。
 まぁおそらくは、栞の喋りはしないが頭の中はフル回転していて、その所為で他人とテンポがずれてしまうという所を意図的に見せているのだろうと思ってはいるのだが、この物語、特にはこの栞編は最後のイベントまでに動く展開がないから、見ていてちょっと退屈だな。
 今回は栞と桂馬が接近することとそこまでの過程が見所であったりするわけだが、もうひとつの見所というか考えどころとして、劇中の桂馬の台詞にあったように、これまでの栞のキャラ付けから、彼女の「心の隙間」はどこなのかを大量にあったモノローグから探る事である。
 それは当然完結編である次回が詳しいが、結論を言ってしまうと、栞が本に固執するのは他者と接するのを恐れる栞は本に逃避しているということで、今回あった精神描写はそれを表している。そしてその後の「私は本の世界に生きるのよ」のカットで魚眼レンズで覗いたような絵になるのだが、それが弱いのだ。
 このカット、原作でもあるのだが、原作のそれはもっと歪んだパースになっており、栞の瞳もどこか虚ろでその考えが偏っていてこれこそが心の隙間に巣食う駆け魂である事を示しているが、このアニメでのそれは単なる栞の主張に見えてしまっているのはもったいない。

 もったいないついでに言えば、と言ってもこれはとっても個人的な見解であるのだが、このアニメで頭の中でたくさん考えている栞を表す演出のひとつとして、大量のふきだしが現れては消えるというのがあるのだが、これを活かせないだろうかと思ったのだ。
 というのは、栞は物言わぬ文系少女であるのだから、大量のモノローグを「……」のふきだしに置き換えたらおもしろかったんじゃなかろうか。
 そうして桂馬と接していくうちにその演出が段々と減ってモノローグになっていけば、視聴者も桂馬の体験を擬似的に体験できていいのではないかと思うが、まぁそれがアニメ的に成功するかどうかは知らないが(笑)。

 ともあれ、次回でこの栞編も完結です。このオチも桂馬が栞をひっくり返す気持ちよさがあって好きなんですけど、どーなりますか。
 しかし、残りの話を何で保たす気なんですかねぇ。そーいえば、2期が決まってるってホントですか?えー、なんかもうどうでも良いような気がするんですが……。


FLAG 11.0「おしまいの日」

やっぱノッタリしているなぁ。

 そんな今回のお話は…
 図書館では、視聴覚ブース導入により蔵書の一部処分が決定。
 大好きな本が捨てられるなんて耐えられない栞は、なんとバリケードをつくって図書館に立てこもってしまった!
 栞の無言の抗議運動にも怯まず、本の処分作業を進めるべく図書館に侵入しようとする委員長たち。
 その迫力に押され弱気になっていく栞の前に突如現れた桂馬、彼は栞を救いにやってきたのか、それとも……。
 以上公式のあらすじ。

 相変わらずノッタリしていて早見再生するとちょうど良い。
 割とサクサク進んでしまう原作に対し、心理描写や栞の本好きのきっかけなどを肉付けして保たせたという印象だ。
 話の内容としては原作と同じで、栞は本を守りたいのか、それとも他人から逃げる場所を守りたいのか。そして栞と桂馬の違いと栞の本当の想いを描いている。
 個人的にこの話が好きなのは、栞が他人と話すのは嫌われるかもしれないから嫌だと本に逃げているのに対し、桂馬は彼女と同じようにゲームに逃げているわけではない強さだ。
 「ボクはリアルなんてなんとも思ってない」「ボクには信じるものがある」と彼がするように、自分の好きな物にはこうありたいと思わせる。
 まぁ現実をないがしろにするのはどうかとは思うが(笑)、他人になんと言われようと、自分が信じるものにこれくらい邁進してもいいだろう。
 話をこのアニメに戻すと、女子からメガオタを蔑まれるも全く意に解さない桂馬はゲームに引きこもっているのではなく、ゲーム以外がただ単にどうでもいいことなだけで、それ以外を無視してしまえる勇気があるのである。そんな彼が本に埋もれた栞を引きずり出し、本当は誰かと話をしたいという彼女に勇気を与える。
 本に埋もれて「どうせ私の声は届かない」「勇気が出ない」とする栞は駆け魂に巣食われているのでそうなってしまうのだ。図書館に立て篭る、極度の口下手はその所為であって、要するに事後の栞が本当の栞であったのだろう。
 極度の口下手で本に閉じこもる栞は桂馬に勇気を与えられ、心の隙間が無くなり駆け魂が逃げ出して本当の栞に戻る。と、ちゃんとこの物語のすることをしているという点でなかなか良いシナリオだと思う。
 
 のだけど、前々から思っていたのだけど、この話って、勇気を与えることとキスが結びつかないよねー。
 もちろんキスは最終目標であるのだけど、この栞の件に限ってはキスが無くとも心の隙間は埋まったような気がする。要は本は逃げ場所ではないことを分からせればよいのだから。
 まぁよくよく考えると、どれもこれもあんまりキスは関係無くて、桂馬がお悩みカウンセラーやっているという話なんだよな。
 しかし物語上キスしなければならないのでキスしていると見えなくもない。もうちょっと話が進むとそうでない話も出てくるのだけど、この辺のお話はとにかくキスをさせなければ終わらないという感じで、結構キスシーンが唐突だなと思ったりするな。

 とまぁお話の方はそんな感じであるが、このアニメとしてはどうもノッタリ感が気になるな。テンポが遅くて退屈してしまう。
 サクサク進んでしまう原作を、より掘り下げている結果ではあるんでしょうけど、校ノッタリしているのつらいのでなんとかしていただきたいものだが、次回最終回なのでまぁ今更の話ではある。
 え?2期があるじゃないかって?……う〜む。2期前提で作っているんなら、それこそもっとサクサク行っていいではないかと思うが。


FLAG 12.0「神以上、人間未満」

神だ。神過ぎる(笑)。

 そんな今回のお話は…
 いつも駆け魂狩りに追われているせいで、桂馬の部屋は未攻略のギャルゲでいっぱいに…。積みゲーを片付けるべく「落とし神モード」を発動!
 次々とゲームを攻略していく桂馬は正に神!! 
 数時間が経ち、心配するエルシィの忠告もきかずゲームを続けた桂馬だったが、ついに体力の限界か意識が遠のき始めて……もう限界かと思われた時、彼の目に映ったのは…!?
 以上公式のあらすじ。

 お話は原作1巻FLAG 6.0の同タイトルを肉付けしオチを変えてあり、桂馬はゲームしたまま終わる。
 本来は2人目の後に入るエピソードであるのだが、何故か最終回にこれを持ってくる意図が正直よく分からん。
 個人的にはこのエピソードは原作通り早めにあるからこそ、桂馬という人物が分かっていいと思うのだがなぁ。
 それはともかく、お話としてはまぁ上記の通りではあるのだが、桂馬の台詞はオタクとして見ると同意せざるを得ないモノがあり、ジャンルは違えど世間一般から忌み嫌われる種族として感銘を受ける部分があった。
 私もアニメ・マンガが大好きだ!毎期たくさんアニメを作ってくれてありがとう!毎週たくさんのコミックスを発売してくれてありがとう!毎月たくさんの本を出版してくれてありがとう!まだ見ぬ物語は無限にあるよ!そうさ、僕たちの闘いはまだ始まったばっかりだ!

 オレたちはようやくのぼりはじめたばかりだからな。この果てしなく遠いオタク坂をよ……(未完)

 さて、第2期の告知があって終わりましたが一応最後なので全体的な感想をば。なに?今回の感想?書いたじゃないか。  全体的にノッタリ気味でテンポが悪く、個人的なことを言えば、キャラのイメージはことごとく違い、妙に小学館が推しているように見受けられるが、原作のおもしろさを出し切れてはいなかったように思う。
 確かに原作のこのアニメの辺りはサクサク進んでいってしまうので、アニメとして尺が足りないというのもあったであろうが、妙にノッタリとしていて結構見ていて退屈であった。
 まぁ話として基本日常の延長線上を描いているので、何か燃え上がる展開だとか、大どんでん返しがあったりとかが無いわけで、やることと言えばちょっと変わった女の子をギャルゲーマーが落とすだけだ。
 だからと言ってノッタリしていて良いわけでもなく、ギャルゲーマーで重度のオタクである桂馬が、ゲームでなく現実(リアル)の女の子をどう落とすのか。その過程、その結末をこの世の全てのように見せなければ話にならない。そういった部分で力が足りなかったように思える。
 全く同時期に放送していた「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」は同じ日常を描いていながら見事にエンターテイメントしていたことを考えると、この差は一体なんだったのだろうと考えてしまう。
 アニメは物語があって絵が動いて声がある、ただそれだけではダメなのだなと思ったよ。
 キャラとしても、主役である桂馬はオタクで変な人ではあるものの、オタクとしてまた落とし神としてカッコいい部分があるのだけど、それは見えてこないし、妙にエルシィが推されており、変にカワイコぶりっこなのも気にかかる。その他攻略女子も、原作を読んでいた時のイメージとは違い、総合すると「なんか違う」アニメであったように感じました。いい所はと言えば、全体的に絵が綺麗、という事ぐらいなもんである。
 来春からリピート放送がされ、第2期をやることも決まってはいるが、正直な所、これをもう12話も見たいとは思わん。
 原作付きのアニメが原作と肩を並べるほどおもしろくなる例は少ないと知ってはいるものの、もうちょっとなんとかならんのかと思わずにはいられないのでありました。
 けっこう感想書くのつらかったなー。


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