映画フレッシュプリキュア! おもちゃの国は秘密がいっぱい!?

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シリーズ初、意味のあるラスボス。
最初こそ子供っぽいが、お話はとても良く出来ています。

 そんなこの映画のお話は…
 ラブ・美希・祈里・せつなの4人が、楽しくパジャマパーティーで盛り上がっていたある夜、突然、町中からおもちゃが消える怪現象が勃発!
 ラビリンスが現れるかと思いきや、一向にその気配がない…。タルとの話によると、どうやらラビリンスの仕業ではないようだ…。
 その時、クローゼットの中からラブのぬいぐるみ・ウサピョンが現れて喋りだした!そして、子供達のおもちゃが次々に消えているのは、世界征服を企むトイマジンの仕業だと告げる…。ラブたちはウサピョンと共に、いざ、トイマジンの住むおもちゃの国へ!
 たどり着いたおもちゃの国は、建物が色とりどりのブロックで出来ていたり、木製の電車&ブリキの自動車が走っていたりと、見ているだけでワクワクしてくるステキな所。しかしそこには、プリキュアを倒そうとしているトイマジンが企んだ、奇妙で手強い仕掛けがいっぱい4人をまちうけているのだった!
 トイマジンとの激しい戦いの末、クライマックスでトイマジンの子供に対する悲痛な叫びを聞いたラブは、ウサピョンをクローゼットの奥に押し込んで忘れていたことを思い出す。
 ウサピョンに有って謝らなくっちゃ!でもウサピョンは一体どこに?そして、トイマジンの怒りを鎮めるためにはどうしたらいいの??お願い!みんなも力を貸してっ!!プリキュアに、みんなの時のパワーをっ!!
 以上公式のあらすじ。

 冒頭にも書きましたが、最初こそおもちゃが消えちゃったので、その元凶であるトイマジンやっつけて取り返すぜ!みたいな勢いなんだけど、中盤からはかなり趣が変わってぐっとくる内容となり最後もキレイなハッピーエンドで、アクションという部分では今ひとつではある物の、物語としてはとても良く出来ており感心です。

 お話はあらすじになるように、街中のおもちゃが突然消えてなくなり、ラブの部屋のクローゼットから現れた彼女のぬいぐるみ「ウサピョン」からトイマジンの野望を聞きおもちゃの国へ向う事となる。
 ウサピョンがトイマジンの居場所を知らないので、おもちゃの国のおもちゃたちに居場所を聞こうとするも、トイマジンのなを聞くと皆逃げていってラブ達は情報を得る事が出来ない。
 プリキュアが来た事を知ったトイマジンはルーレット伯爵を使い彼女らを誘い出し、各個撃破を試みるが……というのが序盤の流れなのだが、この映画で難点があるとすればこの序盤で、この辺はとても子供っぽく、大人としてはけっこう退屈であるし、なにより個別の戦闘がどうもいただけない。
 まぁこれ以降は4人で戦う事となるので、それぞれの見せ場を作っておこうということなんだろうけど、まんまと乗せられて攻撃されるのはいいとしても、そこからプリキュアに変身し状況をひっくり返す事のしてやったり感が無いのだ。
 蒼い人はまぁいいとして(笑)、パインはおもちゃの恐竜に襲われるのだが、おもちゃの恐竜の接合部(?)に木かなんかの破片が刺さっており、それを取り外す事で解決するのだけど、それが刺さっていて痛かったからといってパインを襲う理由にはならないではないか。
 ピーチは最も意味が分からず、カンフー道場でブルース・リーのような人形と対決する事となるのだが状況の説明が無いのだ。おそらくは互角の戦いをする手強い相手な上に、人形故に疲れを知らないためピーチは一気にけりを付けようとした、のだと思う。「思う」と書いたのは、この戦闘では台詞が全く無いため、おそらくはそうなのだろうと想像する他無いのだ。そしてピーチが目を閉じて動かなくなったと思ったら、正拳付き一発で人形を撃破してしまうのである。なにこれ?なんで目を閉じて呼吸整えたらパンチ一発がすごいパワーなの? どうしてそうなるのかの理由くらい教えていただいてもよろしいのではないだろうか。
 さらにパッションさんの方はチェスの駒たちと戦う事となるのだが、最後のキングが手強く、どうするのかと思ったらアカルンの瞬間移動を使うのである。いやいや、それはちょっと卑怯なのではないだろうか。正直これやっちゃったらほぼ無敵じゃねーか。かわせない攻撃ないしなー。ドラゴンボールでセル編で帰還した孫悟空が瞬間移動を憶えて帰ってきたくらいのズルさですよ(アレはズルいよなぁ。悟空ただでさえ最強なのに)。最後は倒れているキングに向って、まさかそんな誰しも思いつきそうなことを言うわけが無いと思う台詞、チェスが戦いの舞台だっただけに「チェックメイト!」をパッションさんがドヤ顔でおっしゃるので、「あぁ〜言っちゃった」感はハンパない事この上ない(笑)。
 こんな文句だらけの序盤さえ乗り切ってしまえば、良く出来ている中盤、終盤へ突入だ。

 中盤はトイマジンとの対決となり、彼が何故おもちゃを消し世界征服を企むのかが明かされる。
 この映画のサブタイに「おもちゃの国は秘密がいっぱい」とあるように、このおもちゃの国のおもちゃたちは皆、子供達に捨てられたおもちゃたちで、遊んでもらって友達だと思っていたのに簡単に捨てられた事を恨んでいる、という秘密があったのだ。そしてトイマジンはそんなおもちゃたちで身体を形成しており、世界征服して逆に子供達をおもちゃにして復讐する、というのが彼の野望なのだ。
 現在おもちゃで遊んでいるメインターゲットの皆様はどきっとするだろうし、大人としましても、子供の頃に遊んでいたおもちゃを今も大切に持っている者はそういないだろう。私とて飽きて遊ばなくなったおもちゃを簡単に捨てられてしまっているし、それに対して何も思う事もなかったわけで、劇中にトイマジンに「お前たちに何が分かる!僕たちは子供が大好きだったのに、友達だと思っていたのに、なんでそんな僕たちを簡単に捨てたんだ!」などと言われると身につまされる。
 プリキュアとしても、物を大切にしないで簡単に捨ててしまうのは良くないし、気持ちも分かるが復讐は間違っている、そんなことをしても身を滅ぼすだけだと諭すが、捨てられたおもちゃたちで形成されているトイマジンは恨みと怒りで彼女らに耳を貸すことはない。ある意味狂気じみているトイマジンの攻勢が、おもちゃ達の気持ちを見事に表していて良いし、プリキュアの皆さんの言う事も間違ってはいない中、彼女らの言う事に全く耳を貸さない程の恨みや怒りを抱えているトイマジンをこのまま消し去ってしまっていいのかという気にさせてくれる。
 そんな中、トイマジンに吸収されてしまっていたウサピョンを見つけたピーチは、自分も彼女に恨まれていると思い込み攻撃できないでいるが、蒼い人やパイン、パッションに今は桃園ラブではなくキュアピーチなのだから、プリキュアとしての使命を果たすべき。間違いはやり直す事が出来るし、今からでもまだ間に合うと諭され、序盤に子供にプリキュアがおもちゃを取り戻してくれると約束した事もあって、ラッキクローバーグランドフィナーレを放ち強引にトイマジンを消し去ってしまう。
 劇場で見た当初は、随分と切り替えてしまっているなと思ったものだが、今見てみると、ラブがプリキュアとしての使命と自分の想いの板挟みになり、やむを得ず強引に浄化する方向へ持っていっているのは上手い。
 上記したように、そこまで見ていてトイマジンを消し去ってしまっていいのか?と思っている所である。なにせ捨てられたおもちゃ達の想いは愛情が裏返っているわけで、子供達が大好きであったが為に、簡単に捨てられた事が彼らにとっては裏切り行為として写っているので、こんな強引な形で消し去ってしまってもスッキリしない。
 そんなふうに思っていると、「こんな事くらいでボクの、いやボクたちの恨みは消えやしない!」とおもちゃの国のおもちゃたちに呼びかけ合身しより巨大な姿を現す。これで「あぁやはり、彼らを心から救わなければならないな」と思わせてくれるし、一旦最終奥義で消し去った後に、より強大となって出てくるトイマジンにプリキュアたちがどう立ち向かうのかが気にさせる。
 あのまま終わっては、プリキュアたちが正義を大義名分に悪と設定した者を問答無用で葬り去ってしまっているのと同様だからな。プリキュアの使命は飽くまでその名の通り大切な何かをプリティにキュアする事なのだ。

 トイマジンが巨大化してからが終盤で、強い恨みを持つ彼らをどうするか、また映画の特徴であるミラクルライトを劇場に見に来てくれたメインターゲットの皆さんにどう付けるのを促すかがポイントだ。
 巨大化した相手に成す術無く、どうしたらいいのかという時に、ピーチが「私、ウサピョンに謝ってくる!だって今の私に出来る事はそれしかないもの!」と言い出し、一人突撃していくのは、フレッシュプリキュア!らしい熱血っぷりが熱くて良い。
 トイマジンに取り付いて、合身した大量のおもちゃの中からウサピョンを探すピーチだが、トイマジンの攻撃によって変身アイテム「リンクルン」がとれてしまい、変身が解けしまうがウサピョンを見つけ出し彼女に大事にしないでゴメンと涙ながらに謝るが、ウサピョンは「ラブは私と捨ててない」と昔の思い出を語る。ラブの母あゆみにもう遊ばないし綿も出てしまっているから捨てるかと聞かれたラブは「ウサピョンを捨てるなんていわないで!だって友達だもん!」と頑に拒否していたのであった。
 捨てられる事のなかった者がいた事に動揺するトイマジンに、みんながみんな簡単におもちゃを捨てているわけではないし、おもちゃを消された子供達が皆泣いていたことを伝えるが、他のおもちゃたちは「でも自分は捨てられた」とやはり聞く耳を持たない。友達と思っていた子供達に捨てられた恨みの方が強いのだ。
 どんなに言葉を重ねても、おもちゃ達の嘆き悲しみは深くその言葉を聞こうとしない。どうしたらそんな彼らにおもちゃを大切にしたいという子供の気持ちを伝えることが出来るのか。ここが満を持してのミラクルライトの点灯のしどころである。
 ここで立派なのは「さぁライトを付けてくれ!」と語りかけるのではなく、子供達のおもちゃを大切にしたいという願いはきっとハートになっておもちゃたちに届くはずとし、「みんなのハートをちょうだい!」とあくまで「気持ちを届けて!」というようにして、物語の雰囲気を壊さないでいてくれるのが良いではないか。
 メインターゲットの気持ちになって考えてみれば、自分の遊んでいたおもちゃが恨んでいるかもしれないと思わされているわけですから、おもちゃたちを救う為にハートをくれと言われれば、手に持つハート形のライトのスイッチを押したくなるだろう。
 このプリキュア映画シリーズでライトを付けるのはこれで4作目だが、ライト点灯の促し方としては他の映画と比べても、なかなか上手い促し方であり感心。たぶん脚本や企画した人達は随分と苦労しただろう事が窺える。
 さて、話を戻してお話の方はというと、満天の星空のように子供達のハートが空に輝く中、「こんなモノはまやかしだ!」と狼狽えるトイマジンにラブが振り落とされてしまう。落下するラブにシフォンがその力で空に浮かぶハートをひとつにまとめると白いピックルンになりラブのリンクルンに飛び込むと、眩い閃光と共にキュアエンジェルへと変身する。
 キュアエンジェルへと変身したラブは、ラヴィング・トゥルーハートで大きなハートを背負いトイマジンを照らす。なにか光線を放ってトイマジンにぶつけるのではなく、子供達の気持ちで作ったハートでおもちゃたちを照らすだけなのだ。暖かい光を浴びたおもちゃたちは、子供達と楽しく遊んでいた時の思い出や気持ちを蘇らせ、浄化し天へと昇っていく。
 攻撃して消去するのではなく救って浄化する、その名の通り正しくプリティにキュアしてくれるのだから、熱心にこのシリーズを見ている者としては感無量であるし、なにより、もともと愛情が反転したが故のトイマジン、イコール捨てられたおもちゃたちの気持ちをまた反転させて、愛情にひっくり返し浄化するというのは、彼らが倒すべき「敵」ではない事を示している点でも良い。プリキュアは相容れないからといって問答無用で消し去る事はないのだ。
 おもちゃたちが浄化していく中で、最後に残ったクマのぬいぐるみ。これこそがトイマジンの本体であった。彼もラヴィング・トゥルーハートの暖かい光を浴び、楽しかった日々を思い出して子供達をもう一度信じてみるとする。こうしておもちゃの国での出来事は終わった。
 その後、序盤でバザー云々言っていた事もあって、バザーでクマのぬいぐるみを出品すると、目を輝かせぬいぐるみを見つめるクマ好きの女の子と出会う。ラブ達はその女の子にトイマジンであったクマのぬいぐるみをあげると、女の子は喜んでぬいぐるみを抱きしめ駆けて行くのであった。

 映画シリーズで、ここまで意味のあったラスボスはこのトイマジン以外いないと言っていいくらい、トイマジンはいい役であった。上記したように最後も彼が救われる形になり、観賞後の気持ち良さもひとしおである。映画シリーズで最後に「あぁ、良かったなぁ」としみじみ思ったのは、このフレッシュプリキュア!くらいだ。またトイマジンの他に、ウサピョンも綿が出ていた耳・背中部分もラブによって修復され万事丸く収まっているし、序盤での先程述べたバザーのことであったり、プリキュアがおもちゃを取り戻すという約束も見事に回収していて、最後まで見れば、ひとつの物語として見事にまとまっている。
 あ、言い忘れていましたけど、この中盤でのトイマジンとの対決は戦闘シーンとしてはなかなか良くて、広いフィールドを感じさせる奥行きのあるアクションがとてもカッコいいですし、終盤の巨大化したトイマジンの時ではおそらく実験的であったであろうが、ポリゴンモデルを使っているのだが、この使い方が実に上手く見事にマッチしているし、作画するとかなり面倒であろうカメラワークでのアクションシーンで作画の負担を大きくする事なく、クオリティを下げない方法として上手く使っていると言えるのではないだろうか。
 前述しましたが、序盤はまぁ子供っぽい部分はありはすれども、物語としての完成度はとても高く、子供はもちろん大人も一度は必ず通る道を話の主軸にしていて、話が進むにつれ引き込まれる。この映画を見て子供の頃を思い出さない人がいるのなら、よっぽどおもちゃに思い入れのない人なのだろう。
 と、いうのもですね。私も子供の頃にすんごい大好きだったパンダのぬいぐるみがありまして(自分は全く記憶がないのだが、母によると、かなり小さい頃は自分は女の子だと思っていたらしく、人形なども家にはあった)、引っ越しした事もあったし、今、家にそのパンダのぬいぐるみがない事を考えると捨ててしまったのだろう。
 そんなこともあって、私はこの映画を初めて見た時にものすごくドキッとさせられたし、ウサピョンとラブにすごく感情移入させられました。きっと私のような人は少なくないだろうし、メインターゲットとしても、大事な思い出となるおもちゃを大切にしてもらう為にもいいテーマを使ったし、いい物語であったと思います。
 是非親子で見ていただきたい、そんな逸品なのではないでしょうか。

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