生かさるる

 中村久子女史は明治30年、飛騨高山に生まれ、三歳の時、足のしもやけがもとで突発性脱疽(だっそ)となり、ついに両手両足を失います。七歳にして父を失い、十歳になるとお母さんから「人間はこの世に仕事をしにきたのです。自分のことも出来ぬようでは人間ではありません。」と着物と鋏を与えられ、ほどくように言いつけられます。

そして、想像を絶する工夫と血の滲むような練習から、洗顔、炊事、字を書くこと、裁縫等あらゆることを可能とされました。19歳から47歳まで見せ物小屋に身を投じ「達磨娘」の看板で日本全国はおろか今の中国、台湾まで流れ歩く巡業生活となります。

結婚しても夫との死別が繰り返され、四度目の幸せの時、ヘレンケラー女史と会見し、口で縫った日本人形を贈りました。そのころから、見せ物芸人の生活を終え、亡くなられる直前まで娘の富子さんに背負われての講演活動が続いたのであります。久子女史は詩っておられます。

「大宇宙に 四肢無き身が 抱かれて 生かされている ああ この歓喜 この幸せ 魂 もっておられるだれもが ともに 見いだしてほしい」

 ともすればハンディを背負った我が子こそ、かわいがる親が自然の条理に見えるけれど、久子女史のお母さんは強かった。極寒の地方で何もない時代とはいえ、親の不注意で小さな手や足をしもやけにし、両手両足を無くすような状態のうえ、更に、仕事が出来ぬような者は人間ではないと仕事をいいつける。まさに、鬼のような親であればこそ、あったればこそ久子女史は素晴らしい人間としての幸せを見つけられたのであります。

「 生かさるる いのち尊し けさの春 」


臨済宗 妙心寺派 臨川山 吸江禅寺住職 

 佐 橋 大 観


 
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我が影を忘れて走る人やある 
   身に添うものと思い知らずば