春日井市内にある馬頭観音
春日井市内にある馬頭観音(ばとうかんのん)は、愛知県春日井市に存在する馬頭観音一覧記事である。
概要
春日井には上街道と下街道を中心に馬頭観音が複数祀られている。そこは多くが馬や動物が急死したり斃死したりした場所であり、供養された痕跡である。春日井では街道での移動や運搬輸送に、馬がさかんに使われたからだ。斃死した馬は馬捨場に置かれ、近くに住む専門の人(多くは被差別部落の人たちとされる)たちによって処理された[1]。なお、全国的には木造の馬頭観音が少なくない。尾張から東濃の地域は石像が多いのが特徴。
馬頭観音とは、 仏教における信仰対象である菩薩の一尊。観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、いわゆる「六観音」の一尊にも数えられている。観音としては珍しい忿怒の姿をとる。
馬頭観音(割塚町) -JR春日井駅前の弘法大師像の前
馬頭観音(鳥居松町)-下街道沿いの観音堂の中。馬車組合が建てたとのこと。
馬頭観音(大泉寺町)-尻冷やし地蔵の堂の前に2基の石仏がある。向かって右側は馬頭観音。左側は馬頭観音には見えない。左の石仏の表に「右 坂下」「左 小牧」とある[2]。
馬頭観音(東神明町)-19号国道を挟んで北西。「大神宮」「九番 馬牛安全」と刻まれている
馬頭観音(廻間町) -げんき牧場[3]。元々名古屋城にあったもの。
馬頭観音(松本町) -新松本橋の東側たもと。
馬頭観音(神屋町) -下街道沿いの坂下中学校そば[4]。
馬頭観音(神屋町) -明照寺参道入口。「馬車連中 上組・中組・下組・大正三年」と刻まれている[5]。
馬頭観音(神屋町) -下街道沿いの戸口橋そば。秋葉社、弘法大師なども祀られている[6]。
馬頭観音(玉野町) -鹿乗橋北側のたもと
馬頭観音(西本町) -神明社の舞殿わき。
馬頭観音(上田楽町)-伊多波刀神社の駆け馬神事(明治39年)で死んだ馬を悼んだもの[7]。
馬頭観音(下津町) -薬師寺の境内
馬頭観音(高蔵寺町)-高蔵寺の境内。子福観音と呼ばれている[8]。
馬頭観音(内津町) -妙見寺の境内。「東春日井勝川運送組」明治27年建立[9]。
馬頭観音(西尾町) -安祥寺の境内。明治時代に路傍の石仏が境内に集められた。
馬頭観音(勝川町) -勝川公園の道を隔てた西南にある観音堂の中
馬頭観音(勝川町) -太清寺の境内に2基
馬頭観音(八田町) -神明社の参道にあったが区画整理で境内が削られ、鳥居に向かって右側の一角に移動した。地区にあった4体の石仏や祠と一緒に祀られている。
脚注
[1] 『愛知の部落史』NPO法人愛知部落解放・人権研究所編 解放出版社
[2] 「尻冷やし地蔵」『春日井の散歩道』p63-p64春日井郷土史研究会には、馬頭観音が2基で、片方に「右小牧 左坂下」とある。誤りと思われる。櫻井芳昭「春日井をとおる街道6 脇道・里道」『郷土誌かすがい 第19号』春日井市教育委員会文化財課の<下街道に沿って>の道標の一覧には「右坂下道 左小牧道」とある。馬頭観音とはかいていない。櫻井氏の記述の方が正しいと思われる。
[3] 「File:げんき牧場の馬頭観音様(春日井市)-1.jpg」WIKIMEDIA COMMONS
[4] 「馬頭観音と常夜灯」『春日井の下街道ガイドマップ』春日井市公式HP
[5] 「馬頭観音と常夜灯」『春日井の下街道ガイドマップ』春日井市公式HP
[6] 櫻井芳昭「春日井の火伏せ信仰」『郷土誌かすがい 第69号』春日井市教育委員会文化財課
[7] 「馬頭観音」『春日井の散歩道』p278-p279春日井郷土史研究会
[8] 髙橋敏明「春日井の伝説を探るⅠ」『春日井郷土史 第4号』p72春日井郷土史研究会
[9] 富中昭智「馬と馬頭観音」『さいお 開校100周年記念ハンドブック』春日井市立西尾小学校
参考文献
・『春日井市の寺院』春日井市教育委員会文化体育課 昭和56年 『愛知県宗教法人名簿』(愛知県総務部学事課 昭和47年)記載の寺院を対象として、春日井郷土史研究会の会員が文献資料をもとに、古老や神職からの聞き取りなど調査して、執筆している。