「防空隊」とは?
鹿山譽編著「海軍陸戦隊」<1993年(平成5年3月)より抜粋>
< ………昭和17年12月5日,海軍防空隊が初めて編成された。ガ島奪還作戦を繞り航空戦は激化し,敵機の来襲は連日激しくなり,対空地上部隊の編成を急務としたのである。
12月5日附けで即日編成された13隊中12隊(計3553名)は南東方面に配備され,他の1隊(第25防空隊)は南西方面に配備された。昭和18年2月以降逐次編成数を増加し,引き続き南東方面に20隊が配備され,爾後戦場の推移に即応して各戦線に配備された。
昭和18年5月,米軍がアリューシャンに反抗して来た時には,同月15日附けで編成された第26,27防空隊が千島に派遣された。
昭和18年4月20日編成された第16防空隊には,海軍第一期予備学生出身対空専修の橋本一郎少尉が配備され,
……… 略 ………
昭和19年7月22日以降編成の防空隊は甲,乙,丙編成の3つに区分され,合計90隊が編成された。
甲編制 高射砲 8門 約243名 40隊
乙偏制 機銃 24門 約188名 28隊
丙編制 高射砲 4門,機銃 12門, 約269名 24隊
防空隊の大部は第一線に進出,配備地区で戦闘任務に従事中,マッカーサーの飛石作戦により,昭和18年8月15日以降作戦の要請に応じ逐次解体され,所在地の根拠地隊,警備隊,又は特別陸戦隊,或いは航空隊に編入され,終戦まで単独防空隊として存続したものは1隊もなかったのである。
尚終戦時までに編成された防空隊は総計156隊(約38600名)の多きに達しているのである。
南東方面に配備された32隊の防空隊は左の通りである。
… 表 …
・第1~5隊,第7隊,第10~20隊,第21~24隊,第28隊,第31隊,第36隊,第44~45隊,第52隊,第63~67隊,第69隊 >
※漢数字を見やすくするために数字に直して抜粋しました。
※茶色のフォントは富中。
防空隊というのは,飛行機の攻撃から防備したということですので,第一線に配備されたということですね。そして,南東方面に配備された32隊のうちの1つだったということもわかりました。さらに,再編成されて,隊員が180名,高角砲4門,機銃4門だったことを考えると,基本的には丙編制と見てよいのでしょうか。それにしても機銃がだいぶ少なかったところを見ると,変則的な編制だったということでしょうか。それから,高角砲と高射砲の区別や聯装機関銃,探照灯,測距儀がどのようなものなのかが私にはよく分かりません。これから少しずつ調べていこうと思います。