「ソハナ高角砲陣地」二八防 西元源一

「ソロモンの死斗 第八艦隊の記録」海軍ソロモン会 昭和60年11月10日発行より抜粋

 

< 海軍第二十八防空隊は、昭和十八年五月十五日、横須賀海軍砲術学校に於いて編成された。隊長は富中音治中尉以下、馬場兵曹長、木山機関兵曹長他、下士官兵180名で、主要兵器は、十二・七cm高角砲四門と二十五m/m機関銃二基であった。砲術学校で約一ヶ月戦斗訓練を受け、軍艦熊野に兵器と共に便乗すると、横須賀軍港を後に一路南太平洋に向けて出港した。途中、トラック島に寄港し、ラバウルに入港したのは六月も末だったが、入港早々に空襲警報が発令されて、艦上を逃げ廻るったことが夢のようである。

 ラバウルに上陸すると、二十先(ママ)のトベラ地区にスコップとナタで高角砲を据付け、また、兵舎の設営を行ったが、やっと終了する頃、今度はラバウル第一飛行場にある、十二cm高角砲四門をもって、ソロモン群島ブカ地区に転進の命令が下った。その頃、私は高角砲の責任者であった。早速に隊員達は第一飛行場に行き大砲の掘り起こし作業にかゝったが、馬場小隊長と私は先発隊として陸攻機に搭乗して、ブカ島に飛んだ。間もなく部隊は、高角砲と共にソハナ島に無事着陸した。九月中旬頃だったと思うが、これからが本当に凄惨な戦争が始まったのである。私は一番十二cm高角砲の砲長として、十名の部下と共に、日夜労力のみで赤土を掘り起こして大砲の据付けに専念した。ソハナ島は、ブカ島とブーゲンビル島の海峡に挟まれた長さ一五○○メートル、巾五○○メートル位の小さな島だが、此処が富中隊長以下、我が隊員の生活の場となった。我々が初めて敵の艦砲射撃を被ったのが十八年十一月一日、午後十時三十分頃だった。幕舎から陣地まで走って配備につき、激しい艦砲射撃に対して高角砲を発射したが、命中の程は不明であった。この戦いで一等主計兵曹片山慶一氏が部隊第一号の戦死者となった。

 その頃から敵機の空襲は激しさを増し、毎日午前中、B24爆撃機や戦斗機が定期便の様に飛来しては、ブカ飛行場やブーゲンビル飛行場、ソハナ等に対して空襲を行った。いま想い出しても本当に身震いするが、十八年十二月二十二日。午前十時十八分。我が一番高角砲は、B24爆撃機の直撃弾を被り、部下十名は全員壮烈な戦死を遂げた。一人私は高射砲の尾栓の下にしゃがんでいたので奇跡的に助かることができた。

 三木秀明一等兵曹。坂本進二等兵曹。広瀬敬男兵長。竹上宇太郎兵長。長友明機兵長。渡辺啓四郎上水。吉開武雄上水。建部勉上水。山之内隆明一水。藤原隆光一水。皆んな可愛い部下達だった。

 一瞬の出来事だったが、私は座ることも、立つこともできないほどの衝動にかられた。他の応援を求めて戦死者を島の南のジャングル地帯に運んでもらい、その晩は枯水を集めて一晩中かゝって火葬した。各自の遺骨は丁重に紙袋に入れ、四番砲の崖下にある、ホラ穴に安置して時折部下の冥福を祈った。

 戦争は益々激しくなり、毎日の空襲で島の形が変わる程で、小さな島は砲弾の穴だらけで、真っすぐには歩けなくなり、敵の物量のすさまじさにただ驚嘆するばかりだった。また悲運の日が訪れた。奇しくも一番砲がやられて丁度一年目の十九年十二月二十二日、午前十時、敵機の来襲で指揮所に直撃弾が命中し、隊長の富中音治中尉以下六名が戦死した。

 この様な戦斗以外にも餓死者が続出した。食糧の輸送が途絶した為め、ブーゲンビル本島に小舟で渡って椰子の実を採集して主食としたが、多数の戦友が栄養失調で倒れ死んでいった。本当に可愛いそうでならなかったがなんともすることができなかった。

 

 昭和五十九年五月十五日、福岡市の円応寺で、海軍第二十八防空隊の第一回慰霊祭を開催することができたが、その折に戦死した建部勉君の妹さん、藤原隆光君の弟さんと会うことができ、戦死の模様を詳細に説明してあげることができた。

 昭和六十年五月十五日、同じ円応寺で第二回慰霊祭を開催した。この時は長友明君のお兄さんに戦死の模様を説明した。ご遺族の皆様に事実を知っていただき、そして喜んでいただけたことで、幾分でも肩の重荷がおりた様な気がする今日です。

 生き延びた者として、これからも健康に留意して、愛する部下や亡き戦友の方々のご冥福を祈り続けたいと思っています。>

 

ソハナ島が艦砲射撃に晒されたことや、爆撃していたのがB24だったと知ったのは、この書籍が初めてのように思います。やはり、ソハナ島はかなりの激戦地だったのですね。祖父がこの戦地で隊長として任務を果たしていたと思うと、今の自分への励みにもなります。今まで色々な戦地から生きて帰った方からの話を直接聞く機会がありましたが、そういう方たちも南方でなくてよかったということを言う方がいました。それだけ南方に送られることを恐れ、特別な戦地だったということを感じるようになりました。他のページには、ソハナ島周辺のブカ地区のことも載っており、第二十八防空隊が置かれた状況を推測する助けになります。水野俊彦さんに、またまた教えて頂きました。感謝!

 

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