「落ち着いたか?」

 ノイマンをベッドに寝かせ、頭に濡らしたタオルを置き、デスクの脇の椅子に腰を掛けると、ナタルは声を掛けた。

「…はぁ…」

 ため息にも似た返事に、ナタルもため息をつく。

「…申し訳ありません中尉…最後まで迷惑を掛けて…」

 天井を見つめながら、独り言のように呟く彼を、彼女は肘をついて見つめていた。

「その、最後、というのはやめろ。まだ二度と会えないと決まったわけではない」

「…そうですけど…」

「…私は、これが再会への約束の誓いになるなら…そんなにいやではなかったのだが…」

「え?」

 彼が上体を起こすと、額のタオルが落ちる。

「〜…だから、さっきは少し驚いただけで…本当は…」

 そこで口をつぐむ。

「本当は?」

 その続きが聞きたくて、ベッドから一歩、片足を出して身を乗り出す。

「…言わせるな」

 顔を耳まで真っ赤にしてそっぽを向く彼女を、心底可愛い、と感じた。

「…か、覚悟は、少し前から出来てた…ただ、タイミングが無いって言うか…ま、まだ迷いもあったし…」

 続きを催促するような男の視線を感じ、そのまま壁を見つめながらしゃべる。

「…それに…独りになる恐怖と比べたら…これくらいのことは……あ、べっ別に自暴自棄になったとか、ヤケになった訳ではないぞ?ただ…」

「ただ?」

 あまりにも彼の声がすぐ後ろから聞こえたのでゆっくりと彼女は振り返った。

「…ただ…」

 すぐ鼻先に彼のすらりとした鼻があり、ほんの少し視線を上げるだけで、彼のグレイの瞳にぶつかる。喜びと、憂いを含むその瞳に目を奪われ、彼女は言葉を失った。「ただ、俺はもう止めませんよ」

 彼女の言葉を引き継いだのは彼のほうだった。

「そんな言葉を聞いちゃったら…俺、自分で自分を抑えられなくなりますよ?」

「ノイマン…」

 彼女はもう目を逸らさなかった。真っ直ぐノイマンを見つめ、彼の言葉を受け止める。

 おそらく、階級をつけずに彼の名を呼ぶことにも気づいてないのだろう。

(俺もドサクサに紛れて名前で呼んじゃおうかなぁ…)

 などと考えていると、

「ノイマン?」

「はい、中尉」

 自分の思考に少し口元を緩めた彼を訝しげに思ったのか、彼女は声を掛ける。

(結局、とっさに出るのはこの呼び方か…)

 自分自身を情けなく思いながらも、目で彼女の言葉の続きを促す。

「その前に、言わなくてはならない事があるのだが…」

「なんですか?」

 彼女は一つ、深呼吸をした。

「私は、フラガ少佐が好きだ」

 一瞬、流れる沈黙。

「…知ってましたよ…」

「え?」

「中尉が、何かあると、すぐ少佐の顔を見ることや、少佐の出撃時に、少しだけ眉をしかめることも…」

「…ノイマン…」

「でも、貴女が誰のことを好きだろうと、俺の気持ちは変わりませんから」

「…」

 女は、目を伏せなかった。男の言葉を、気持ちを、一言も逃さず聞いていた。

「ノイマン…」

「はい?」

 女の声が、心なしか震えていた。

「おまえのことも、好きだ」

「!」

「これには驚くんだ」

 言葉を失う彼に、クスクスと笑う。

「ただ、フラガ少佐への好き、とは種類が違う。どっちがどう、というのはわからないけど…少佐へのは、憧れだったのかな…」

 すうっと、目を細める。

「必死になって艦長をかばう少佐を見て、そういうの、何も感じなかった。少し前までは、二人で話しているのを見るだけで、ドロドロした感情がこみ上げてきたのに…今日は、二人を応援したくなった。」

「中尉…」

「これは、少佐への当て付けかも知れんぞ?」

 ある種の覚悟を決めた女の瞳を、今度は男が食い入るように見つめた。

「それでも、俺は貴女が欲しい」

「…」

「完全に俺の方を見るまで待ってる、みたいなこと言いましたけど、中尉が思ってるほど、俺、人間できてませんから。貴女の中にまだ少佐がいるのなら…俺が消します。」

「ノイマン…」

 

「中尉、大丈夫ですか?」

「…」

 先ほどとは逆に、ノイマンは椅子に腰を掛け、ナタルはベッドに横たわっている。額には濡らしたタオルが置かれ、先ほどと違う点といえば…ナタルは一糸まとわぬ姿でシーツを口元まで被っている。

「だ…大丈夫だ…ちょっと頭が真っ白になっただけ…」

「いやぁ、まさか初めてでイくとは思わなくて…」

「行く?何処へだ?」

「…」

 真剣にそんな質問を投げかけるナタルに彼は苦笑いをする。その顔を見て馬鹿にされたと思ったのか、彼女は頭までシーツを被る。

「ああっ、中尉っ!」

 彼はベッドに寄り、彼女の顔があるべき位置を覗き込む。

「…何だ?」

 彼女は少しだけシーツを下げ、ノイマンをにらむ。

「いえ…顔、見せてくださいよ」

 ナタルの髪をそっと梳きながら、囁く。

「…」

 再びシーツを首まで下げ、これでいいのか、とばかりに口元に笑みを浮かべる。それに対する返事のようにノイマンも微笑み、彼女の額に掛かった髪をかきあげ、額にキスをする。

(…これで、最後なんだ…)

 そのまま瞼に、頬に、鼻に、耳に、唇に、キスを浴びせてゆく。

「なぁ、ノイマン…」

 なすがままにされつつ、ナタルは口を開いた。

「次からは、さ、痛くないはずだから…」

「…はぁ?」

「つっ次は私が…き、気持ちよくさせてやるからっ!」

 ―次…

彼女は…最後だなど思ってはいない…再会をすでに見据えているのだ、と…彼の心が温かくなるのを感じる。

「な…何を笑っている!私には無理だとでも…」

「いいえ、是非お願いします」

 これまで何度も彼の笑顔を見てきたが…こんな顔ははじめてみたような気がする、と彼女は感じた。繕わず、ごく自然に表情を崩す。まぶしい、とさえ感じるほどの…。彼女が魅せられるようにその顔をぼうっと見つめていると、再び彼の唇が彼女のそれをふさぐ。

「でも、『次』は今からでも良いと思いません?」

 耳元でささやく。彼女の耳が真っ赤になるのを嬉しそうに見ながら、

「それから、さっきも十分気持ち良かったですよ☆」

 駄目押しのように加える。

「…バカ」

 乙女は…いや、女はまた男を睨みつけるが、否定はしない。男は満足げな笑みを浮かべ、熱くなった女の耳に口付けた…

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