実施方法
道場両端に刀を右手に提げ対峙す。
神前の礼を行う
静かに歩みより五尺の間隙を置いて正座刀の礼を行い腰に帯びる。
立ち上がる。左足を右足に揃える。
左足より五歩引き下がる。
道場広ければ広い様に狭ければ狭い様に実施する
形の場合の歩みは小走りに近い速度を用う
懸け声は本来「イーエイ」なるも「アーエイ」にても可なり
「イー」或いは「アー」は予令に当たる
仕 :左右足を前進上段より切り下ろす
打 :右左足と後退刀先を右やや下方に刃を後ろに額の
前上にて、鎬にて相手の刀を受け留める
双方:正眼となり中央に戻り
五歩後退
その場にて血振
納刀
右足を左足に揃える
仕 :体を右正面に向きに飛んで、体を開くなり打ちの右
手首を上より握り打ちの右後ろ下方に強く引き体制
を崩し同時に右腹に突きの構えをなす
双方:中央にて正眼となり
仕 :のみ正眼のまま五歩後退
仕 :少しおくれてこれも左足を少し出して八相
右足より小走りに歩みより右足前にして右より斜め
に相手の左横面に切り付ける
打 :左足を引き受ける
仕 :左足を前に出し刀を返して相手の右横面に切り付け
る
打 :右足を引き、受け留め相手に応じる
次に左足を引いて上段になる時即相手に応じようと
する時
仕 :右側方相手の左斜め前方に飛び込んで打の上段に構
えた左小手に切り付ける
双方:正眼となり中央に戻り
仕 :のみ正眼のままにて五歩後退
打 :相手の刀を押さえ気味にして上体を前に屈めて相手
を突く
仕 :小手を返して左横に一歩避け右足を出して流れる
相手の上体を上から切る。(剣道形四本目に似る
但し右足前なり)
双方:正眼になって中央に戻る
後退
仕 :下段
双方:前進振りかぶり打ち合い鍔ぜり
押すと共に互いに右足を引いて脇構
打 :次いで上段から右足を出して仕の左足を切る、
上体屈する
仕 :左足を引いて相手の刀をはずして上段より屈し
たる打の正面を切る。間合いにより少し前によ
るべし。
双方:正眼となり中央に戻る
後退、血振、納刀
打 :前進右足で刀を抜き継足を以って相手の正面を切
りつけ、受流されて上体前に傾く
仕 :受流しの要領により相手を切る
双方:その場にて正眼となり中央に戻る
仕 :のみ後退
注意 双方意気合えば双方同時に発進業を行うは当然なり
仕 :正眼
前進して相手の真向に上段より切る
打 :右左足と後退一本目の如く相手の刀を自分の刀の鎬にて受け留める
双方:正眼となり中央に戻る
後退
血振 納刀
以上を以って一応宇野先生の教えを書き記したるものは終わる。然して居合は動作に間隙無く行うもの、同時に行うもの等甚だ多く、又勿論動作の遅速緩急、手の内、精神等全く筆舌に現すことは出来ない。唯、修行に依ってのみ会得するものであって、従って、書いたものを見て習うこと甚だ不都合にも拘らずこれを書き記したるは、同じ流儀に拘らず相当の差異ある場合少なからず、依ってかくの如き伝承あることを明らかにするの意図を以って敢えて之を記述したものである。
従って初心の方々は然るべく先生について習得反復演錬せられんことを希望すると共に既にご習得の先生方にはご参考の意味を以ってご高覧を乞うものであります。尚本書は宇野先生のご校閲訂正を得て充実したものになったことは真に幸いであります。
次に、業の所に意味を書き記しました点について宇野先生のご直話にて承ったところによりますと、山内先生の教えを受けられたとき色々ご説明を受けられたものであって、其の以前大江先生のご教示を受けられた当時大江先生の教授方法は先ず先生が一つの業の模範を示されそれを見て習う。先生の御許しあるまで繰り返し習う。そして先生が良しとせられると次の業に移る。ということで何らのご説明等はなさらなかったということでありました。考えますと之は一つの教え方であって機に臨み変に応ずる自然にその場において適切な業が出るように習熟する、即ち業が身につく修行の方法と考えられます。
然し、一面居合は敵即ち相手を仮想するものでありますことから、敵の出方敵の体勢、姿態、其のあり場所を眼前に仮称しなければその行う業が生きてこないし、又目の付け所も的確でない様になると思う。
ここに考えて敢えて各業について意味を記して着眼の指針としたものである。
終わりに当たり、近年京都においては京都英信会あり英信流同好の集まりでありますが、之は昭和三十七年八月高知の政岡壱実先生京都お立ち寄りを機会に英信流を稽古する者相集まり居合会並びに懇親会を開催その節在京の者懇親の集まりとしての同好会として発足し同三十八年一月より名称を京都英信会と改め今日に至っております。
本会は元々会員相互の研究及び親睦を目的としておりますが毎月一回例会を開き必要に応じて臨時会を開催することになって励行し参っております。
そのうち現在までに特筆する事は、
昭和三十八年七月二十一日京都における英信流居合の大恩人であられる故山内豊健先生の追悼会を山内家初代一豊公の創建にして長子を開山とせられた縁故のある妙心寺内大通院において挙行したこと
昭和三十八年九月高知政岡先生のご尽力により潮山の山内家墓所に豊健先生の墓標を建立
昭和三十九年五月豊健先生未亡人あさ子様が京都大会のためご来京を機とし四月末有志代表して同行して高知に墓参を行う
なお本会には会員中には前記、黒住、宇野、北村先生の外に
倉橋常茂先生
山内豊健先生に就いて学ばれ後故安立忠司先生と共に研鑚せられた中川英三先生
大江先生の後を継がれた第十八代宗家穂岐山波雄先生に教えを受けられた等多数先生方居られ、多少伝承異なる点もあると思われますので他日京都英信会として統一した居合についてもご高考を得る時があることを期待して筆を擱く事とする。
昭和四十年三月