伝書に「太刀打ちの位」と称されるものである
現在行われる形は大江先生の取捨及び改定せ
られたるものと承る。          



一 出合

二 拳取

三 絶妙剣

四 独妙剣

五 鍔留

六 請流

七 真方 終礼
あとがき
 以上を以って一応宇野先生の教えを書き記したるものは終わる。

 然して居合は動作に間隙無く行うもの、同時に行うもの等甚だ多く、又勿論動作の遅速緩急、手の内、精神等全く筆舌に現すことは出来ない。唯、修行に依ってのみ会得するものであって、従って、書いたものを見て習うこと甚だ不都合にも拘らずこれを書き記したるは、同じ流儀に拘らず相当の差異ある場合少なからず、依ってかくの如き伝承あることを明らかにするの意図を以って敢えて之を記述したものである。
 従って初心の方々は然るべく先生について習得反復演錬せられんことを希望すると共に既にご習得の先生方にはご参考の意味を以ってご高覧を乞うものであります。

 尚本書は宇野先生のご校閲訂正を得て充実したものになったことは真に幸いであります。

 次に、業の所に意味を書き記しました点について宇野先生のご直話にて承ったところによりますと、山内先生の教えを受けられたとき色々ご説明を受けられたものであって、其の以前大江先生のご教示を受けられた当時大江先生の教授方法は先ず先生が一つの業の模範を示されそれを見て習う。先生の御許しあるまで繰り返し習う。そして先生が良しとせられると次の業に移る。ということで何らのご説明等はなさらなかったということでありました。考えますと之は一つの教え方であって機に臨み変に応ずる自然にその場において適切な業が出るように習熟する、即ち業が身につく修行の方法と考えられます。

 然し、一面居合は敵即ち相手を仮想するものでありますことから、敵の出方敵の体勢、姿態、其のあり場所を眼前に仮称しなければその行う業が生きてこないし、又目の付け所も的確でない様になると思う。

 ここに考えて敢えて各業について意味を記して着眼の指針としたものである。


 終わりに当たり、近年京都においては京都英信会あり英信流同好の集まりでありますが、之は昭和三十七年八月高知の政岡壱実先生京都お立ち寄りを機会に英信流を稽古する者相集まり居合会並びに懇親会を開催その節在京の者懇親の集まりとしての同好会として発足し同三十八年一月より名称を京都英信会と改め今日に至っております。

 本会は元々会員相互の研究及び親睦を目的としておりますが毎月一回例会を開き必要に応じて臨時会を開催することになって励行し参っております。

そのうち現在までに特筆する事は、

昭和三十八年七月二十一日京都における英信流居合の大恩人であられる故山内豊健先生の追悼会を山内家初代一豊公の創建にして長子を開山とせられた縁故のある妙心寺内大通院において挙行したこと

昭和三十八年九月高知政岡先生のご尽力により潮山の山内家墓所に豊健先生の墓標を建立

昭和三十九年五月豊健先生未亡人あさ子様が京都大会のためご来京を機とし四月末有志代表して同行して高知に墓参を行う

なお本会には会員中には前記、黒住、宇野、北村先生の外に

倉橋常茂先生 
山内豊健先生に就いて学ばれ後故安立忠司先生と共に研鑚せられた

中川英三先生
大江先生の後を継がれた第十八代宗家穂岐山波雄先生に教えを受けられた

等多数先生方居られ、多少伝承異なる点もあると思われますので他日京都英信会として統一した居合についてもご高考を得る時があることを期待して筆を擱く事とする。

昭和四十年三月


    
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