お好み焼きのルーツ

            1、はじめに
               お好み焼きは、私が幼少期始めて、台所で一人で作った食べ物です。薄力粉だったか、強力粉であった
              か忘れてしまいましたが、家にあった天ぷら用の小麦粉を水に溶かし、だまが出来てもそのままかき混ぜ、
              花かつおの削り節、キャベツの千切り、ちくわの切ったもの、紅しょうがの微塵きり、きざみのり、ソースを
              準備したら、おもむろにフライパンに油を入れ、玉じゃくしで、水で溶いた小麦粉を入れ、かなり水が入って
              いますので、入れると自然に広がり、丸くなる。それでも更に玉じゃくしで大きく丸く薄く小麦粉を伸ばしたも
              のでした。

               小麦粉が、固まらないうちに、すばやくたっぷりキャベツ、ちくわ、紅しょうがを満遍なく、上から落とし、更
              に溶いた小麦粉を少しかけ、直ぐに、ひっくり返していたと記憶しています。

               当然、最初の方の小麦粉は、焦げ目が出来ていました。上から押さえた記憶がありますが、その時、ジュ
              ージューと音がしたと思います。しばらくたって、再度ひっくり返し、花鰹の削り節、ソースをかけ、きざみのり
              を振りかけて、出来上がり。ひとつ作っては食べ、食べ終わるとまた焼く。繰り返しました。後片付けをせず
              に、そのままにする事が多かったので、母に良く叱られたものでした。

               「後片付けをしないなら、作ってはいけません。」と。ガスコンロの周りは、確かに小麦粉のかすやら、キャベ
              ツ等が散乱し、汚くなっていたようですから。
              
               この作り方は、若しかして広島焼きなのでは・・・・。これが、私の幼少期のお好み焼きであったかなと思いま
              す。

               近くでこの焼き方の店があった訳ではないですから、何故私が、幼少の頃こうした作り方をしたのかは、記
              憶がありません。何かの本で、見たのか食べた物で想像して焼いたのかとんと記憶にありませんが、作り方
              は、上記の通りでした。

            2.お好み焼き屋(専門店)の出来事
               大人になり、愛知県内で、お好み焼き専門店に入りました。はじめての経験でした。
               子供の頃のお好み焼きを思い出しながら、さあ作ろうとした時、なんと小麦粉の溶いたのと、具が一緒の入
              れ物に入って来たではありませんか。びっくりしました。これが、本当のお好み焼きなのかと。

               大阪風お好み焼きに出会った最初ではありました。自分でかき混ぜ、ごちゃ混ぜにしてそのまま鉄板の上に
              落とし、丸く形を整えながら自分で焼くのでした。

               確かに手間がかからず、簡単なやり方に二度びっくりしました。このお好み焼きを大阪風と知ったのは、かなり
              経ってからであります。

            3.お好み焼きのルーツ
               お好み焼きは、戦後の食糧難の時代の子供のおやつだったようです。
               最初に登場したお好み焼きは、大阪であるのか、広島であるのか。概ね大阪であろうと言われておりますが・・。
                 
               「一銭洋食」 これが、お好み焼きの代名詞でありましょうか。1個 1銭。安いという代名詞ですが、洋食と名が付い
              ていますから、江戸時代ではなく、明治になってからでしょうか。

               ソースが使われていた事が、洋食と言われた所以でもあるのでしょう。

               ソースのルーツについては、拙稿 ソースやらケチャップの話 を参照されたい。
               
               「ソースが日本に伝来したのは江戸時代末期との説もありますが、実際に味を知ったのは、幕末から明治維新に
              かけて渡来した外国人と接触した日本人がその味を知ったのが始まりだろうと考えられています。特に西洋化のシ
              ンボルでもあった鹿鳴館時代には、チョコレートやアイスクリーム等の菓子類や、パン、バター、チーズ等の新しい
              食品とともに、ソースは、東京、横浜、神戸などに出始めた洋食屋で使われ始めたようです。」とか。

               実際には、日本風のソースとして登場してからの事であったという。
               「日本でソースの開発が始まったのは、1989年(明治31年)の全国醤油大会でイギリス風のウスターソースが注目
              されてからです。しかしこれは、本場のウスターソースとは似ても似つかない、醤油を洋風に作りかえた洋風醤油で、
              新味醤油、洋醤、西洋醤油などと呼ばれていました。これが明治後期になると、コロッケ、トンカツ、カレーライスなど
              の洋食の普及に伴い日本式のウスターソースの人気は急上昇し、爆発的に普及していきました。我が国でソースと
              いえばウスターソースを指すようになったのは、ウスターソースが一番早く一般に普及し、親しまれたからでしょう。」
              (詳しくは、匠の技をちょっとだけ  http://www.miyajima-soy.co.jp/takumi/takumi-sauce1/takumi-sauce1.htm を
              参照下さい。)

               一銭洋食に使われたのは、この日本風のウスターソースであったと思われますし、戦後間もなくお好み焼きは、食
              糧難を助ける子供のおやつとして、その後 大人へも浸透していったと推察していいのでは。

               いつ頃、何処でこのお好み焼きが、売られ始めたのか。大阪が初発であったのか、広島が初発であったのかは、私
              には、判断出来かねる事ではありましたが、日本お好み焼き協会 公式HPをみて、知る事となりました。
               そのHPは、お好み焼きネット http://www.okonomiyaki.to/liblary/f_tplib.html であります。詳しい事は、そちらを参
              照下さい。以下、必要最小限を引用させて頂き、この拙文を終わりたいと思います。

               「小麦粉を溶いて焼く調理法は、茶道の茶菓子で“麩の焼”と呼ばれるものからはじまったとか。千利休が催した“利
              休百会記”という茶会の席で供されたという“麩の焼”は、水で溶いた小麦粉を煎り鍋に伸ばして薄く焼き、サンショウ入
              りのみそをはさんだクレープのようなお菓子だったようです。
               これがルーツとなり、江戸時代末期には溶いた小麦粉を鉄板や鋳物鍋に流し込んで、焼いて食べるという習慣が庶
              民の間にも広まったのが、どうやら今のお好み焼きのルーツ」であるとか。

               {広島でも明治時代、「一銭洋食」と呼ばれる食べ物が駄菓子屋の店頭で売られていたという。
              一銭洋食とは、水でゆるめに溶いた生地を丸く焼き、粉ガツオ、ネギ、とろろ昆布をのせて半分に折り、ウスターソース
              をかけたもの。
               現在の広島焼きの生地の薄さと似通っていることから、一銭洋食が広島焼きのベースとなっていると考えてよいとも
              いわれているようです。}

               「大阪では戦前から屋台で、お好み焼きがよく見られ、“洋食焼き”が庶民の食べ物に。当時は、1枚1銭で売られてい
              たため、“一銭洋食”とも呼ばれ、以来、大阪のメリケン粉文化は途絶えることなく、庶民の味として根づいてきたようで
              す。
                戦後、肉は貴重品だったので、キャベツなどの野菜、イカなどの海産物を混ぜて焼くことが多くなり、今のお好み焼き
              のスタイルに近づいてきたようです。呼び名も、“洋食焼き”や“一銭焼き”から、好みの材料をのせて焼くという意味の
              “お好み焼き”へと変わっていった。」という。どんど焼きという名称も、大阪にはあったといい、この焼き方が、現在の焼
              き方に近いのかも。こうした簡便な焼き方を思いつくというのも、さすが大阪というところでしょうか。最初から、ごちゃ混
              ぜ焼きであったかも知れません。

               お好み焼きと呼ぶようになった初発は、大阪が先だったのでしょうか。広島が先だったのでしょうか。どのような判定が
              出されるのかは、時間が掛かりそうな気がいたします。

               似たような物に、もんじゃ焼きがありますが、東京が発祥なのでしょうか。この語源は、”文字焼き”であるとか。子供が
              文字を書きながら、覚え、楽しんで食べた事が、始まりだと言う。

               大阪風でも、広島風でも、もんじゃ風でも、元は、小麦粉を水で溶かして焼く点は、共通しています。弱冠水の量の多さ
              が違うという所だけでしょうか。いやいや、お好み焼きは、水だけで溶く、しかし、広島焼きは、水にだしを加えているとか、
              もんじゃには、みりん等も加えられているとか、諸説ありますが、子供向けの食べ物であったという所が、どちらも同じ、発
              祥であるようです。子供の食べ物から大人の食べ物へと変遷する過程で、水で溶くから、だし入り、みりん入りとかの趣向
              が加わった可能性が高いのでしょう。

               戦後の食糧難の時代に、子供向けであろうが、何であろうが機を見て鬢なのは、いつの時代でも商魂逞しい余り元手を
              掛けないでも出来うる庶民感情の発露の出発点での商売ではありましょうか。