東北旅行紀行文
           
            1.平泉 中尊寺 金色堂見学
              東北新幹線 一ノ関駅で、東北本線に乗り換え平泉に向かう予定でいましたが、何と私が若かりし頃の花形路線就職列車の東北本線
             は、新幹線に追いやられ、1時間に1本の運行という悲惨な状態であり、一ノ関駅で下車し、バス路線にて中尊寺バス停へ向かった。
              本当は、平泉駅で荷物等をコインロッカーに入れて、平泉駅からバスででしたが、一ノ関駅から平泉駅前を通るバスに乗り込みました
             から荷物を持って行く事も覚悟しましたが、中尊寺バス停前にコインロッカーが在り助かりました。

              前もって金色堂までの所要時間(片道20分程度ですが、ものすごい上り坂有りという情報を得ていました)等を知っていましたから覚悟し
             て登りはじめました。確かにキツイ。 中仙道 旧 赤坂宿 金生山近辺の散策の時の金生山の明星輪寺(別名 こくぞうさん)よりは少し
             楽でしたが・・・。

              20代の学生時代にも来ており、2度目でありますが、老体にはこたえました。足の疲れは、当日は出ず、翌日・翌々日になって出ました。
              拝観料 一人 800円。瓦まで木で出来ており、屋根はしばらく野ざらしになった為か金色は剥げ落ち、木地が出ていた。学生時代の頃
             も奈良の大仏のように屋根で覆われ、金色堂は、ケースに入れられて安置されていた。その時のままでありました。

              帰りは、るんるんバス(当地の巡回バス)にて平泉駅に帰り、東北本線にて盛岡駅まで行き、そこからは東北新幹線にて八戸駅に向かい
             ました。東北新幹線は、東海道新幹線の「のぞみ」に相当するするのは、「はやぶさ」。「こだま」に相当するのは、「やまびこ」名であった。

                              *  東海道新幹線での速い電車(ひかり・こだま)については、確かにこだま(音速)よりひかり(光速)の方が速いから分かり易い。東海道は
               現在、ひかりより速い「のぞみ」なる名称になり、良く分かりかねますが、東北新幹線は、速い方が、はやぶさ(鳥名)であり、やまびこの
               方が、実際は速さの点では、速い筈。やや違和感を感じざるを得ませんでした。*

              東北本線車中で、若い女学生が乗り込んでいた。東北人特有なのか、ほとんどの女子学生は、無表情。しかし、顔立ちは良く、仏さまの
             顔をみているようでありました。
  
           2.八戸温泉編 八戸温泉旅館 TEL 0178−27−3334
              東北新幹線 八戸駅より徒歩20分の所にあります八戸温泉旅館。宣伝料は貰っておりませんが、印象に残りましたので記述致します。
              料金が、リーズナブルである事。私のようなロートルは、泊まり賃が安くて温泉に入れる、食事もそこそこ。寝泊り出来れば可という者に
             は、最適ではないだろうか。
               宿泊代 お一人様 1泊2食付 5500円 (温泉代込み) 温泉のみ430円。泊り客は何度入場しても無料。天然温泉掛け流し。源泉
              の温度は、50度を超えていた。源泉風呂(熱い 6m×2mの風呂)と地下水で加水された源泉風呂(適度な湯温でした 2m×2mの風
              呂)と寝風呂・ジェット水流の風呂・大きなサウナ風呂・長い洗い場と脱衣場がありました。
               町の銭湯的な運用ですからシャンプー手ぬぐい等は自分で、泊り客には、無料のシャンプーセットが借りられました。泊り客は、旅館の
              手ぬぐい等を持参。
               町の銭湯的な運用であり、宿泊客以外も利用されており、朝は6時から営業しておりました。旅館からは、階段と廊下で連結されており
              慣れれば、簡単に行く事が出来ました。夜は、10時で終了。30年前からこのスタイルであるようです。

               只、トイレは、お部屋には無く、廊下での共同使用。洗面所も共用でした。宿泊客は、私は、平成28年5月14日(土)に泊まりましたが、
              2〜3名の宿泊客で、ほとんどかち合わせはしませんでした。
               
               旅館のご主人は、やや無愛想でしたが、最低限の対応はそつなくこなし、必要以外はあまり声を出されませんでした。料金は前払い、
              カードは使用できず、現金払いでありました。貴重品は、部屋には金庫が無く、フロントへ預けるシステムでした。

               料理は、夜 味の良い海の幸が入った汁、最盛期のイカのお造り、旨かった。後は家庭料理的な物でした。味噌汁だけは出汁の味がい
              まいちではありました。

               料金的な点からすれば、御の字でありましょう。長い逗留者にはうってつけ、安く済ましたい者にもうってつけのお宿ではありました。

            3.NHK朝の連続ドラマ 「あまちゃん」で有名になった三陸鉄道車中から大震災の爪あとと復興ぶりをみて
               八戸駅からJR八戸線に乗車して久慈へ。NHK連ドラ「あまちゃん」の始発駅と喫茶リアス(夜は飲み屋に変身)は、ドラマではセットでの撮
             影であったようで、始発駅は、久慈駅がモデルとか。喫茶は、久慈駅近くの喫茶店をモデルにしたとか。実際には(ドラマでだけでの)実在して
             いない店であったようです。
              三陸鉄道の久慈駅は、JR久慈駅の隣でこじんまりとしていた。改札から階段通路を歩いて下ると先ほど乗ってきたJRの車両を越えた隣に
             2両連結したお座敷列車と一般車両が待機しており、駅員さんに誘導されてお座敷列車内に入った。向かい合わせの4人がけ中央にテーブル
             1ヶで1組になっていた。私は、1号車  9番A席。記念にその「三陸鉄道 指定席券」を貰ってきた。

              久慈駅から3番目の陸中野田駅と4番目の野田玉川駅の間にあった野田村は、あの東日本大震災での津波遡上高 37.8mの為水門の
             屋根を軽々と超え、野田村は壊滅。今も何も無い荒涼とした所のままでした。

              久慈駅から5番目の堀内駅が、連ドラの「袖ヶ浜駅」として登場した駅とか。確かに三陸鉄道進行方向の左側には、下り坂があり、年増の海
             女に混じって橋幸夫の「いつでも夢を」歌いながらあまちゃんが歩いていた所や、赤い灯台らしき所から海にあまちゃんが飛び込んだ堰堤も見
             えた。実際にここでロケをしたのでしょう。

              この堀内駅と次の白井海岸駅間は、大沢橋梁があり、非常に高い橋梁でそこで一旦電車は停車して観光させてくれた。聞くとそこの海岸で
             夏ばっぱが、春子を送り出す為に大漁旗を振って見送った所とか。場所をかえながらロケをしたようです。

              白井海岸駅と普代駅間には、巨大水門があり、村を守ったようです。8番目の駅 田野畑(たのはた)駅は、連ドラでは、脇役の「ゆいちゃん」
             の実家のある所という設定であった。(連ドラでは、「はたの」という地名になっていた。)また、JR八戸線には、種市駅もあり、連ドラでは、地名
             やら人名は、何だか安直に設定されたように思えました。

              そして田野畑駅と鳥越駅間にあった鳥越村(震災前 120戸)は、震災で壊滅。僅かに進行方向(宮古駅に向かう列車)左側の海岸に近い
             高台にあった2戸の家だけ無事で残ったとか。
              その家の方でしょう震災後は、三陸鉄道が通過する度に旗を振ってみえるようで、私たちの乗った列車に向かって実際に旗をふってみえた。
              鉄道は、海岸沿いばかりを通過しているのではなく高台も通過しているようで高台の家は、震災を免れたようであります。

              復興は、進行方向線路の右側(海岸から離れた高台)で町並みは出来つつありました。只、漁業関係の仕事の倉庫等は、再度海岸の港に
             建ち、たくましく営業を始めてみえました。

              そして終着駅 宮古駅に着きました。1時間半の行程でありました。着いたのが、2時少し前の午後1時54分。楽しみにしていた徒歩 1分
             の魚彩亭 「すみよし」のランチは、2時で終了。2時前でしたが、店員さんに腕でバツ印を出されアウト。おいしいランチは駄目になりました。
              JR八戸線の久慈駅直通列車は、7時台と10時台に各1本のみ。やはり7時台での移動が正解でした。ランチを食い損ないましたから。
              かみさんは、車中にて「うに丼」を食し、満足したようでしたが、薄味だったのか、関東出身者のかみさんは、愚痴っていました。

              この三陸鉄道は、2両編成。12時13分発は、一般車両 1両とお座敷列車 1両であり、平成28年5月15日(日)であり、バス利用の観光客
             が、バスから降りて、わざわざ一般車両に乗り込んで来た為、満員。仕方なく私は、お座敷列車に乗りました。通常は予約客で満員なのでしょう
             が、この日は、3組だけであり、予約無しで乗り込めました。通常の料金にプラスお座敷指定券(1人500円)が掛かりました。が、お陰でゆったり
             座っての車中になりました。
              また、お座敷列車のみ「ゆいちゃんと同じくらい若くて美人の海女スタイルのアテンダントさん」がいて、飲み物・食料品販売と震災についてのガ
             イドやら連ドラの舞台裏の事・観光の見所等を車中で解説して頂け、有意義に過ごせました。

              途中から団体客の2組(関西系のお客)がお座敷列車に移動され、賑やか(実はうるさい位はしゃいでいた)になりましたが・・・。
              団体客は、途中の駅でまた乗ってきた観光バスに移動され、その後は一般車両も閑散としていました。

              記念にお座敷列車北三陸号乗車証明書と列車が写っているしおり(久慈琥珀のかけらが閉じ込められている)が頂けました。

              震災後5年経ちましたから、少し落ち着いてきたのか、復興もしつつあり、よかったかなと思います。赤字せんべい(200円)も購入しましたが、
             少しは復興のお手伝いになるのでしょうか。

              宮古で少し時間を取っていましたが、ランチがフイになりましたので、急遽盛岡駅へバス移動。JR山田線は、地震ではなく、崖崩れで盛岡駅近く
             がずっと不通であり、宮古駅からの不通駅手前まで列車運行、その後バス移動していますが、1日 3本とかで全線鉄道運賃でバスが利用出来
             ました。2時間強掛かりました。岩手県をぐるっと一回りした事になりましょうか。3泊4日の最終宿泊地 郡山駅へ新幹線を使って移動しました。