剣法秘訣北辰一刀流(千葉周作述)
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第一節 剣道初心稽古心得
第二節 一刀流秘事第七節 剣道名歌
例:山川の瀬々を流るる栃殻も身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ附録 入場心得
一 禮儀を守るべし
二 師言に背くべからず
三 品行方正たるべし
四 膽力を養生すべし
五 修行中は雑談喧譁すべからず
六 人の技術を批評すべからず
明治維新以降の剣道
明治新政権の封建制の廃止と、四民平等・国民皆兵制の政の新制度の元で、「脱刀令」、「廃刀令」が出される。欧米文物の吸収に熱心なあまり、日本古来の旧習は時代遅れとして、捨てて顧みるものもなかったので、剣道はむしろ野蛮とされ、無用の長物視された。明治4年8月9日: 脱刀令「散髪、制服、略服、脱刀共可勝手事・・」
明治9年3月28日: 廃刀令「・・・違反者は其刀取上事」
明治6年4月11日から10日間: 撃剣興行
榊原健吉(直心影流)が、食べるに困った道場の先生を集めて「撃剣興行」を企画。大好評だったが長続きはしなかった。明治10年: 西南の役
薩摩軍は、兵器の点で官軍の敵ではなかった。しかしこの欠陥を日本刀による白兵戦で補い、官軍は薩摩軍の抜刀隊の為、散々に悩まされた。官軍は、これに対する為、東京警察隊6千人の中から、腕利きのもの百余人を選抜、抜刀隊を組織した。彼らの勇猛な奮戦は、逆に薩摩軍を悩まし、官軍諸隊の士気を大いに奮立たせた。この結果を見て、福沢諭吉は、「華族の尚武の士風を喚起せよ」という建議案を提出。明治13年: 警視庁近県撃剣大会
明治17年: 警視庁全国撃剣大会
明治28年4月: 大日本武徳会設立
明治38年10月: 武術教員養成所
明治43年11月: 武徳学校
明治45年1月: 武術専門学校
大正8年8月: 武道専門学校
本会は創立当初より武道の名称を世の套語(トウゴ)に任せ剣術柔術弓道と称し綜合の場合は武術と称し来たりたるも術の字を以ってしては形而下の技術に偏し最も尊重すべきその道の神髄たる其の精神を逸するの処ありとし剣道柔道弓道其の綜合の場合には武道と改称する事に決したり。
昭和の剣道
GHQの占領政策により、剣道は廃止される。明治の廃刀令に似ている。マッカーサーの占領政策の基本は、以下の3R,5D,3Sである。即ち3R: Revenge, Reform, Revive
5D: Disarmament, Demilitalization, Decentralization,
Democracy, Deindustrialization.
3S: Sports, Sex, Screenつまり、Revenge(復讐)の念を以って日本をReform(改造)して其の後、日本をアメリカの属国としてRevive(復活)させるという大方針が、3R。
その為の方策として、5Dがある。武装解除、非武装、財閥の解体、大衆支配(民主主義というのは誤訳。実は、個人主義を広めて、意見をまとめないようにする事)、非工業化。これ等を実行していくと、日本人は、ストレスを感じるようになるので、息抜きが必要である。
この息抜きが、3S。即ち、スポーツの奨励、セックスの解放、映画(Screen)の振興。方策実行時の対策にあたる。
剣道は、英語ではマーシャルアーツといわれております。GHQの武装解除項目に当てはまりますので、当然廃止。武道専門学校も、昭和21年から京都文科専門学校と改称し、昭和22年1月に廃校。GHQの設置期間は、昭和20年(1945年)から、昭和27年(1952年)のサンフランシスコ講和条約の発効まで。
これに対して、どうしても剣道をしたいという事で、スポーツとしての剣道が開発されます。それが撓競技(シナイキョウギ)です。【附記】
財閥の解体は確実に進んだし、非武装にしてもほぼ改定不可能な状態で日本国憲法に盛り込まれている。非工業化については、朝鮮戦争の勃発により方針変更。いわゆる朝鮮特需。これにより日本は工業国家というか、世界の製造工場としての道を歩み始める。米国の骨董市に行くと、"Made in Occupied Japan" の文字が印刷された陶器の人形をよく見かける。ヨーロッパの陶器人形を真似たものである。これは、ノリタケの砥石製造部門が、当時食うに困って開発したものである。従ってこの人形は、この時期にしか作られておらず、骨董品としての価値がいや増しに増している。3SについてはScreenがテレビとなって家庭にまで入ってきている。嗚呼!!